ジョーエンの温泉宿にて
「ごゆっくり。」
そう言って、温泉宿の主人は下がる。
ミギィとラピスが案内されたのは、とある一室。
ここは広い部屋の外側に、温泉が備わっていると言う珍しい物。
〔露天風呂の在る客室〕に近い。
存在を目立たせるのには格好の場所だが、素に戻って話が出来ないのが難点。
だからミギィはここでも、賢者を演じ続けなければならない。
部屋は一般的、床も壁も木製。
入り口から真正面に風呂が見える、それを望む方向の左側の壁に。
申し訳程度の暖炉が有る。
ここは言わば温泉街、あちこちから湯気が立ち上る。
熱源が地表に近いのだろう、それ程寒くはならないので。
暖炉は単に、豪華さを演出するインテリアと化している。
部屋の中央からやや左側に、木製の四角いテーブルが備わっているが。
上面には、ガラスの様な透明の板が嵌め込まれ。
床が透けて見える、これも高級感を高める演出か。
脚や縁に凝った彫り物が施されているのも、その類いだろう。
それは、備わっている椅子も同じ。
背もたれはフカフカな生地が使われ、脚や縁に彫り物が。
腰掛ける部分の右側には、やや大きなねじが付いていて。
座る高さが調節出来る仕組み。
至れり尽くせり、流石温泉宿。
壁にも、豪華な枠に入れられた絵が飾ってある。
入り口から右奥には、2人用のベッドが1つ。
寝心地が良さそうなシーツ、少し薄手の掛け布団。
ベッドを見つけた時、ミギィはドキッとする。
これは、2人で寝る流れか?
焦るミギィ、それを察したラピスは。
従業員が食事を運んで来た時、何やら申し出る。
すると、数人がかりで。
備わっていた2人用が撤去され、代わりに1人用のベッドが2つ運び込まれた。
『ありがとうございます』と、ラピスは従業員に礼を言った後。
チラッとミギィの方を見て、にこやかに言う。
「これで宜しゅうごさいましょう?」
食事を取り終わり、食器も下げられ。
2人は早速、風呂に入る。
先にラピス、その後にミギィ。
烏の行水では無いが、鳥人は風呂に浸かる時間が短い。
特別な効能の温泉は、じっくり浸からないと効果が得られないので。
我慢して、長時間入っているが。
水浴び程度が丁度良い、これも鳥に似た部分。
だからラピスの入浴時間は短い、待っているミギィが『えっ?それだけ?』と思う程。
手持ち無沙汰に成りそうだと考えていたので、色々やる事を考えていたのだが。
ミギィの気遣いは無駄となった。
風呂も入り終わり、2人は椅子に腰掛ける。
どうしてオイラスが、この宿を指定したのか?
それは。
ここが一番、オイラスの声が届き易いから。
ゴトッと剣をテーブルの上に置き、2人は剣とひそひそ話をし始める。
内容は勿論、明日の打ち合わせ。
ミギィが切り出す。
『ねえ、サラ。賢者って、結構辛い立場なんだな。』
『だね。』
《私もそう思います。》
『オイラス様!お、俺は別に!そう言う意味で言ったんじゃ……!』
《気を使わなくて大丈夫ですよ。慣れていますから。そうでしょう、ラピス?》
『ですね。変な輩が接触して来ようとするのは、しょっちゅうですから。』
『ラピスさんも、大変なんですね。』
『あなたもでしょう?少ししか、同じ時を過ごしていませんが。感じますよ、苦労具合を。』
『分かって頂けますか?最近、ほんっとに振り回されっぱなしで……。』
目に涙をやや湛えながら、嫌気が差した感じで。
ミギィが心境を吐露する。
そこへサラが付け加える。
『ミギィに同行している仲間の事じゃ無いよ、彼が迷惑しているのは。あっち、ヒダリィの方だよ。』
『その〔ミギィ・ヒダリィ〕と仰られているのは、どう言う事なのでしょう?』
ラピスがサラに尋ねる。
ずっと気になっていた、その呼び名。
『本名では無い』と思ってはいたが。
彼が話したがらないので、敢えて聞かなかった。
でも、これからの作戦上。
やはり聞いておきたかったのだ。
大まかな説明をするサラ、聞かされて素直に驚くラピス。
『その様な御業が出来るなんて、さぞかし高名なお方なのでしょうね。』
『違いますよ、断じて。ただの〔アホの子〕ですよ、あいつは。』
ミギィは、頑として。
サフィを、優秀とは認めない。
その気持ちは良く分かるサラ、間近で苦労する様を見て来たから。
それでも話を進めようとする。
『明日の事なんだけど、良いかな?』
『ごめんよ、愚痴みたいな事を言っちゃって。』
『こんな場所だからね。ボヤきたくもなるよ。』
リラックス出来る空間、気持ちも緩みがち。
だからもう一度ミギィは、気を引き締める。
サラは話を進める為に、一連の会話をぶった切って。
軌道修正する様に、続ける。
『いよいよ、例の温泉へと向かう訳なんだけど。首尾はどうだい?』
《滞りなく、進んでいますよ。》
オイラスが答える。
『〔奴等はまんまと引っ掛かった〕と言う事かな?君の想定通りに。』
《ええ。ただ……。》
『ただ?』
そこで言い淀むオイラス。
気になる、ミギィとラピス。
少し間を置いた後、オイラスが続ける。
《かなりの人数を動員している様です。ここが勝負所と踏んだのでしょう。》
『そうすると、明日は苦戦しそうだね。』
《あなた方なら、完遂出来ると確信しますが。》
『まあね。一応、【切り札】は有るから。』
《それは是非とも、お目に掛かりたい物ですな。》
『なるべく使いたくないんだ。こっちにも色々事情が有るんでね。』
《これは、失礼致しました。》
『出過ぎた事を言った』と思い、サラに謝罪するオイラス。
『構わないよ』と応じるサラ。
ミギィはサラに尋ねる。
『切り札って何だい?俺には、心当たりが無いんだけど。』
『だから、切り札なんだよ。〔君の知らないモノ〕、それがね。』
ややトーンが低くなるサラ。
サラの言い方が寂しそうに感じたミギィは、『ごめん』と一言。
『こっちこそ』と返すサラの言葉は、どんな意味が有るのか。
ミギィに明かさない事なのか、それとも別の意味なのか。
その話は置いといて。
具体的な明日の動きを、話し合うミギィ達。
一通り議論が終わった後、オイラスは。
《彼女達には、私から伝えておきます。》
『頼んだよ。』
《それでは。》
サラにそう告げて、オイラスの声は聞こえなくなった。
『ボクも引っ込むよ』と、サラの声も止んだ。
「もう遅いですし。明日に備えて、もう寝ましょう。」
ラピスにそう言われ、コクリと頷くミギィ。
ベッドに横になると、別動隊として蠢いている3人の事を考える。
今頃、何してるかなあ。
無事にジョーエンへ着いているかな?
アンビーは、はしゃいでいそうだけど。
考えながら、段々眠くなるミギィ。
寝付く最後に、頭の中で過ぎったのは。
先程サフィの話が出て来たからなのか、分割されて生まれた〔もう1人の自分〕の事だった。
お互い、苦労するよな。
なあ、俺よ?
そう思ったのを最後に、ミギィは眠りへと就くのだった。