むっ、刺客(しかく)かっ!
岩場に建つ、エルフの宿泊所。
それは簡易宿場を、更に簡素化した物に見えた。
分かり易く言えば、〔1LDKの部屋〕だろうか。
キッチンと居間、それに寝室。
洗浄の力を行使出来るエルフに、風呂場は不要。
キッチンと言っても、捌く場所と釜が有るだけで。
ナイフ等は置いていない。
『自分が得た獲物は、自分の武器で調理しろ』と言う事か。
こんな時、ジーノが居れば。
適当に調理器具を作ってくれるだろうが。
仕方無く、ヒィ達は。
荷物に入っていた、干し肉を取り出し。
ヒィの剣で火を付け、軽く炙る。
これだけでも、味は変わる。
初めは『何でこんな物が荷物に……』と、不思議がっていたユキマリも。
納得せざるを得ない。
道中ここまで、動物の鳴き声は聞こえたが。
困難な道のりの中、捕らえる余裕など無かった。
精々、食べられる草を引っこ抜く位。
そうやって空きっ腹を誤魔化しながら、ここまで辿り着いた。
これからも、食糧事情は厳しそうだ。
そう考えながら、ヒィ達は食事を取る。
リディは弱っているせいで、干し肉は食べられそうにない。
代わりにヒィが荷物から取り出すのは、〔リディの食事用〕と書かれた麻袋。
その中には、米に近い穀物が入っていた。
それにスニーが水を振り掛け、ヒィの剣の上で熱し。
おかゆ状にして、リディの口に運ぶ。
もごもごしながらも、リディは食べてくれた。
ホッと一息のヒィ、心配そうなユキマリ。
サフィはリディの頭を撫でながら、エルフ達と今後のルートについて話し合っている。
しかし結論は、『時間短縮は無理』。
サフィの能力が制限されている以上、今のルートを通るしか無い。
何とももどかしい表情となるサフィ。
サラからの反応は無い、敢えて沈黙を保っている様だ。
火を付けた時も、小さな炎しか出なかったし。
サラの方にも、かなりの負荷が掛かっているのだろう。
無理は出来ない、そう思うヒィだった。
1泊した後、宿泊所を後にする一行。
ゴツゴツした岩場を歩く。
所々に、目印の様な跡が在る。
エルフは跳ねながら移動するので、着地点が決まっていて。
そこだけ地面が剥げているらしい。
道理で、道らしき物が見当たらない筈だ。
納得しながら、ヒィとユキマリは足を進める。
まるで荒野、草が余り生えていない。
砂漠化していないのが不思議な位だ。
本日も、目印は遠くの大木。
初日に目指した物と、外観が似ている。
対になっているのかも知れないな。
理由は分からないが。
きっと土地が元の姿になったら、意味が分かるのだろう。
ヒィはそう思った。
大木から、神聖な何かを感じ取っていたから。
数時間歩き、周りに草が増えて来た頃。
目標物の大木が、一層大きくなる。
それに伴って、辺りに段々モヤがかかって来た。
まるで、大木の周りを隠す様に。
更に歩く事、数十分。
やっと大木の根元まで来た。
来たのだが……。
「何奴!」
ヒィ達に向かってそう言い放ち、高さ10メートル程の大木の枝に立ち尽くす者。
それはどうやら、若い男のエルフ。
怖い者知らずで、普段から粋がっているのだろう。
弓に矢を番え、ヒィの方へ矢の先を向けている。
慌ててクロレが、間に割って入る。
「彼等は客人だ!手出し無用!」
「信じられるか!」
言ったと同時に、矢を放つ。
ヒィに向かって、勢い良く飛んで行く。
その前にはクロレが居たが、彼女の身体を避ける様に軌道が曲がり。
グルリと周り込んで、ヒィの後ろから心臓辺りを狙う。
しかしヒィは微動だにせず、背中の剣で矢を弾き返す。
ポトリと地面に、力無く落ちる矢。
『ちっ』と枝の方から、舌打ちの様な声が聞こえたかと思うと。
5本纏めて弓に番え、再び矢を放つ。
今度はヒィの頭上から1本、背中から1本。
左右1本ずつ、最後の1本はクロレの股を潜って正面から。
枝に立つエルフが言う。
「これは躱せまい!フハハハ!」
高笑いし嘲る、枝上のエルフ。
リディを背中に背負ったままのサフィが、ボソッと言う。
「甘いわね、坊や。」
ヒィは最初の矢を弾き返した時、既に剣へ手を掛けていた。
そしてそのまま、5本の矢が飛んで来ると。
ヒュッ。
空を裂く音がする。
カカカカカンッ!
甲高い金属音がし、5本全てが地面に落ちる。
しかしヒィは、剣に手を掛けたまま抜いていない。
何だ!
何をした!
目を丸くし、一瞬硬直する枝上のエルフ。
その横から。
「それっ!」
「うわぁっ!」
枝に飛び移っていたユキマリが、足を引っ掛け。
男エルフを、上から滑り落した。
手に弓矢を持っていたせいで、ユキマリの不意打ちに耐え切れず。
バランスを崩して、地面に叩き付けられそうになる。
こなくそっ!
咄嗟に弓矢を手から離し、両手両足で着地する。
『難を逃れた』と思ったその先、屈めていた顔を上げると。
目の前に、ヒィが構えた剣先が。
落下したエルフの眉間に、剣先を突き付けながら。
ドスの利いた低いトーンで、ヒィは言う。
「試す様な真似は、止めて貰おうか。」
「くっ!」
それでも、屈する態度は取らない。
心の中では降参し掛かっていたが、その気を悟られたくない。
強がりなのか、プライドが高いのか。
しかし、ヒィの気迫は強烈だった。
自分だけならまだしも。
動きの悪いサフィと、その背中に居たリディをも。
標的にする素振りを見せていたから。
冗談にしても、許されない範囲が有る。
それを知らしめる為、ヒィは尚も圧を掛ける。
抵抗する様子の男エルフに、『止めないか!』とスニーが覆い被さる。
スニーの身体の振動で、漸く自分の身体が震えている事に気付く。
ヒィの前に、クロレも立ち塞がり。
直ぐに膝間づいて、謝罪の弁を述べる。
「この者、若輩につき身の丈を知らず。ご容赦を。」
平に、平に。
頭を下げるクロレ、その光景が信じられない男エルフ。
これでもスニーとクロレは、ユミンの民の中でも凄腕なのだ。
なのに、人間如きにこんな醜態を……!
「頭を下げろ!お前も!」
覆い被さっているスニーが、男エルフの頭を押さえ付ける。
身体を震わせながらも、意地を張って『嫌だっ!』と抵抗する男エルフ。
「やれやれ。これ位しないと、分からないらしいな。」
そう、吐き捨てる様に言うと。
クロレ越しに、ギロッと睨みながらも。
剣を振り上げ、シュッと振り下ろすヒィ。
その刀身はクロレを真っ二つにし、男エルフの顔に剣戟が達した。
『バスッ!』と言う大きな音と共に、男エルフの纏っていた衣服が弾け飛ぶ。
丸裸になる男エルフ。
だが。
その目が直後に捉えた〔真実〕に、身体が固まる。
確かに刀身はクロレの身体を通過した、なのにクロレ自体には何のダメージも無い。
何よりもヒィは剣を振り上げたまま、自分の衣服も破れてはいない。
奴の気迫が、自分に幻を見せたのだろう。
男エルフはそう考えたが。
頬からポトリと落ちた赤い液体を見て、相手の恐ろしさを思い知る。
思わず顔を背けた時、ヒィの方へ差し出した左頬に。
切り傷を負っていたのだ。
最小限のダメージで、最大限の効果を。
男エルフの心は縮み上がっていたが、身体は固まったままで。
最早、震える事さえ許されなかった。
「済まなかった!いや、済みませんでした!」
今度は自発的に、心の底から謝る男エルフ。
大木の下に広がる、フサフサした草原の上で。
鮮やかな土下座を見せる。
この男エルフ、名を【ファル】と言う。
町の暮らしに飽き飽きし、この大木を住処として暮らしていた。
大木周りにモヤが立ち込めていたのも、勢力を誇示するファルの仕業。
そこを、スニーとクロレが通過したかと思うと。
変な連中を連れて戻って来た。
しかもその中には、事も有ろうに人間が居るではないか。
脅して追い返してやろう、【積年の恨み】と共に。
しかし、呆気無く返り討ち。
ヒィも。
ファルがサフィとリディを標的にしなければ、ここまで強硬な態度に出なかっただろう。
反省しきり、シュンとなっているファル。
ヒィに対し、クロレが説明する。
「申し訳ございません。ただ、こ奴の行動にも。一定の御理解を賜ります様。」
「この土地が分離した事に、関係が有るのですね?」
「はい。この件に関しては、【人間が大いに係わっている】のです。」
「そうですか……。」
なら、俺も頑張らないとな。
同じ人間が仕出かしたであろう、とんでもない事の尻拭いに。
その一方で。
リディと一括りでは有るが、自分が狙われた事へ怒りを隠さなかったヒィに。
少し嬉しく思う、サフィだった。
一騒動有ったが、大木で休む事になった一行。
ヒィの力を目の当たりにして、刺激を感じたのか。
それともその技に、興味を惹かれたのか。
ファルも、『一行に加わる』と言う。
爛々としたファルの目付きに、嫌な予感がしながらも。
休息を取る、ヒィ達だった。