共同募金倍増計画
初老の夫婦がにこやかな笑みをたたえてそっと手を伸ばす。その向かい側で小学生くらいの子供が赤い顔をして見上げていた。
「ぼく、偉いねえ。風邪ひかないようにね」
夫が、妻が、それぞれ僅かばかりのものを箱に滑らせた。
「ありがとうございましたぁ」
とたんに元気な合唱がわき上がる。夫婦は面映いような表情をうかべ、雑踏に中にまぎれていった。
年に幾度もあるのが共同募金。街頭のそこここで見かけられる光景である。
赤い羽根共同募金、赤十字共同募金、あしなが共同募金、助け合い募金……。いろんな種類の募金があるが、それがどう使われているか詳しく知る人はきわめて少ないのではないだろうか。街頭募金はもちろんだが、町内や地域で取り纏めている募金ほど不明朗なものはない。といっても、使い道のことではなく、収入のことである。
たとえば町内で募金を取り纏めるとき、各家庭に封筒が配られて、そこに善意を託すのであるが、けっこうな金額になっていることがある。町内で集まった募金は学区で取り纏め、区で集計される。更にそれが市なり県なりに送られるのだろうが、私は知っている。驚愕の事実を。
町内で取り纏めた募金。募金なのに大雑把な目標額があるらしいのだ。それを超えていた場合、時として金額調整が行われている。
「清やん、清やん、ちょっと見てみぃな。みんな気前よう出しよったがな、どないする?」
「どないて、お前。どないもこないも、きっちり募金せなならんやないか」
町内の集会所である。共同募金の封筒を回収し終えて、どれだけ集まったか集計している最中のこと、会長がなにやら言いにくそうにしている。
「そう……なんやけどな、前の募金の時に、こんなことがあったんやで」
チョイチョイチョイと手で招き、声をひそめた。
「大きい声で言えんのやけどな、この前の募金を学区へ持って言ったやろ。そこで何があったと思う? 聞いたら怒れてくるで」
「怒れる? な、な、なんや。募金が少ないて言われたんか?」
相談を受けたのは副会長。長年役割分担から逃げていたバチがあたったのか、いきなり副会長にされてしまった。といっても、ほとんどの仕事は会長がやってくれるのだから、今夜だってただ出席しているだけだった。
「待てや、あんじょう聞かんかい」
「早う言え、言わんかい!」
「実はな……」
あらためて誰もいない部屋に目をくばり、唇に舌を這わせた。
「持ち寄ったらな、軒数のわりに額が多いて」
会長が小声で言った。
「多かったら結構なこっちゃないか」
「さあ、そこや。そんなんされるとな、他の町内が出し渋っとるように思われるさかい、減らしてくれ言われてな」
「何言うてんねん。募金やから金額を較べるもんちゃうがな」
しごくまともな反応である。事実上町内会のことは会長に任せきりなため、学区で行われていることにはとんと無知なのだ。
「ようよう聞いたらな、一軒当り百円ちゅう計算らしいわ。せやから、多い分は減らして持ってきとるんやと」
「なんやとー。ほな、へつった金はどないなったぁんねん」
「さあな。どこぞの便所に流れたんかもしれんでぇ」
「なぁーにぃー。泥棒やないかい」
「まだ先があんねん。学区が区に持って行く時にな、七割の世帯しか出さんかったことにしてるそうや」
「なんやとー」
というようなことが横行しているのである。まあまあ、そのあたりのことは地域で行われているミミッチイ小悪だ。が、募金の運営主体でも同様のことが行われているのではないだろうか。なぜなら、募金に関する事務のために多くの人が専従で働かねばならない。ましてや、募金会なる団体は自ら利益を生む事業をしていないのではないか。専従職員の給与はどこから出るのだろうか。設備費は、家賃は、通信費や光熱費は……。そう考えると、我々の募金は、どれだけ集まり、どれだけ目的に支出されたのか疑いたくなってくる。
それに加えて、国から交付金があるはずだ。
また一方では、収支を度外視した予算に悪戦苦闘する者もいた。
予算とはつまり、国の予算である。
税収が爆発的に増えれば万々歳なのは誰にでもわかっている。が、景気は一向に上向かず、名目だけ上向いても庶民の懐は……、目減りするばかりなのだ。それなのに消費税を上げると言い切ってしまった男がいる。言わずとしれた、総理大臣だ。
三パーセント上げただけで消費は冷え込み、それが丸一年かかってようやく動く気配をみせ始めたばかりなのだ。なのにあと二パーセント上げると、いったいどんなことがおきるのだろう。にもかかわらず、控除額を変更して税収を増やそうと画策する議員がいる。そういう奴等が予算を要求するのだから困ったものだ。
なにかと槍玉にあがる官僚の一部に、現状を憂う一団がいる。
その一団が仕組んだ増収プランをここにご披露しよう。
ただし、それが元で機密保護法違反で懲罰を受ける危険はなんとしても避けたい。
情報元についての質問は一切お断りすることを宣言しておく。
とかく残業が常態化している官庁ではあるが、時には気晴らしをすることもある。
一人で、また同僚と誘い合って、時には省庁をまたいだ交流もある。とかく閉鎖的な職場に新鮮な風を送る意味で、それも有効に機能することがあり、今回も思わぬ成り行きになった。
「ついては、来年度の予算についてだけれど」
小汚い店の一番奥の席。入り口からカウンターを素通りし、便所の奥に隠れた席である。
もし誰かに聞き耳をたてられたら困ると思うあまり、彼らはこういう席を好むようだ。人目につきにくい席には、すでに空瓶が立ち、皿が何枚も重なっていた。
「おいおい、まだ新年度が始まったばかりだぞ。ちょっと早すぎるよ」
「まあ聞けよ。予算が今回みたいに減額されるのを見越しての話なんだ」
まだ三十代の二人連れである。二人とも小ざっぱりした服装をしている。本人たちは完璧にとけこんでいるつもりだろうが、場末の焼き鳥屋で飲むにしては上品すぎる格好である。
「なんだ、気前がいいなぁ。減らしていいのか?」
「良くはないけど、減らされるものとして考えなきゃいかんだろう」
「そんなこと大声で言うなよ。親分が知ったら大喜びするぞ」
「でだ、俺には絶対に減らしたくない事業があるんだが、きっと大幅に減額されるだろう。議員なんかが喜ぶ事業じゃないからな。だったら稼いでやろうじゃないか。そう思ったわけさ」
「稼ぐって……、簿外資金でもあるのか?」
「そんなもの、あるわけないだろ。けどな、ここの使いようで金なんて」
グラスを口元に運んだまま飲もうとせず、男は指先で額をチョチョイとつついた。そして、焼き鳥の串を口に運んだ。
「けっこうなことだ。だったら稼いでくれ」
向かい合った席でも、若い男が串をトントンと皿にたたいて一口頬張った。もうすっかり顔が赤く染まっている。だけど、酔っているのを感じさせないほど小声である。
「それには条件があるんだ。これをなんとかしないと動くことができんのだよな」
襟のボタンをだらしなく開けて、ムシャムシャと口を動かしながら目の玉だけを天に向けていた男が、歯切れ悪そうに答えた。
「みろ、自力では無理なんだろ?」
「うん。実はな。だからさあ、ちょっと知恵貸してくれよ。そうしたら予定外収入を回してやるから」
「なんだ、袖の下か? 少しばかりだったら動くことはできんぞ」
「予定外の二割。これでどうだ」
「だからさ、全体がわからなけりゃ二割ってもなあ」
「知りたいか?」
「おう」
「実はな、共同募金に目をつけたんだ。あれって、年間百八十くらいあるらしいな」
「さあな、詳しいことは知らんが、それを横取りするのか?」
「そんなことできるわけないだろ。そうじゃなくて、便乗だ」
「便乗? 詐欺か?」
「馬鹿な、これでも文科の精鋭のつもりなんだからな。真っ当な事業だ」
「事業なぁ。何をたくらんだか知らんが、とりあえず聞こうか」
「聞いて驚け。俺の考えは街頭募金限定だ。実はな……」
グビッと一口グラスをあけて身をのりだした。自ら精鋭と名乗るのは、酒を飲んでも素面とかわらないことからきているのだろうか。そのかわり、顔色が妙な黒味を帯びた男だ。
「そりゃあだめだ。そんなことしてみろ、世間が大騒ぎするぞ」
「わかってるって。だから、こうしてな……」
「全国選手権? 街頭募金のか? そんなことできるわけないだろう、バカバカしいにも程があるぞ」
「まあ聞けよ。こういう秘密兵器を使ってだな……」
「馬鹿、風営法と児童福祉法に触れるって。条例にも触れる。そんなの問題外だよ」
赤ら顔の男は半分気乗りしないで聞いていたからか、核心部分を耳にしたとたんに咽た。口にしたグラスを離し、噴出しそうになったのか口に手を当てた。そしておしぼりで手を拭いながら呆れたような目を向けた。
「頭固いなぁ……。防具をつければ法をかわせるだろ?」
収入が見込めないから予算を削りますと片方で言い、収入に倍するような予算を押し付けられ、挙句の果ては収支バランスを叩かれる。それが経理担当部署の哀しさなのだが、それなら稼ぐということを考えろよ。肝臓をこわしたような顔色で、からかう。
「防具?」
「パンヤ入りの下着をつけたら何も感じないだろ?」
「そりゃあ、触ったこともわからないだろうけど、だけどなあ……」
「じゃあ聞くけどなぁ、おばさんと女子高生が並んで募金箱持ってる。お前は募金しようと思っている。どっちの箱に入れる?」
「そりゃあ女子高生。そんなこと当たり前だろう」
「じゃあな、中学生と女子高生が並んでいたら?」
「……女子高生に行くかな」
「じゃあさ、女子大生と女子高生が並んでいたら?」
「うーーん、むつかしいなぁ。だけど、やっぱり女子高生かな」
「それじゃあ最後の質問だけど、三人の女子高生が並んでるとするだろ。一人はスレンダー、一人はぽっちゃり、もう一人は、ババーン、キュッ、ドバーン。さて、お前はどれを選ぶ?」
「そりゃあ、ババーンだけど、そんな女子高生いないだろ?」
「だろ? だろ? だろ? あどけない表情、何を見ても笑いこける、それなにに、ボタンがはちきれそうな……。それが制服着てるんだぞ。そんなのを並べてみろ、客がわんさか……」
「お前さあ、風俗省ってのが設立されたら間違いなく事務次官に抜擢されるわ」
「まあまあ、そういう意味もあるんだぞ、防具っていうのは。そんなの着てみろ、すごいボリュームになるだろ。ついつい触りたくなって募金するってわけさ」
「……それで?」
「まず、千円募金してくれたら羽根を襟に挿してやる」
「そんなの、金額に関係なしでやってるだろ」
「二千円の募金なら、握手付き。三千円の募金なら、両手で握手。五千円なら、羽根を挿すときに胸をこすりつける」
「万なら抱きつくのか?」
「まさか。胸と同時に腿をこすりつけるってのはどうだ?」
「……なんだかなぁ」
「募金箱を持つのが千円。三千円だと腕を絡めてくれる。五千円だと腰に手を回してくれる。それだけじゃないぞ。募金を求めながら会場を歩く。つまりお散歩コースもありだろうな」
「……」
「どうだ、予定外収入だぞ。客は多いと思うがな」
「……つまり、JKビジネスってことか?」
「だからさぁ、文科省の事業。なっ、国の事業が違法なわけない。そういうふうに法の運用を変更すればいいじゃない」
「……」
「……」
「ところで、集めた金はどうなるんだ?」
「一部を共同募金会へ渡す。といっても、二割程度だな。二割は財務省に渡す。二割を参加校のために使う。残った四割の内、三割を予算削減された事業に充て、残った一割を雑費にする。と、考えたわけさ」
「……で? 頼みってのは?」
「募金の運営母体を文科省に移せないだろうか」
「そんなことできるもんか。そんなことしてみろ、厚労省が騒ぐのが目に見えてる」
「だろうよ。だけどな、募金の何割が正当な目的に使われてる? 四割、せいぜい五割だろ? それって泥棒だよな。善意を食い物にしてるんだからおまえ、極悪人だぞ。それに較べりゃ、こっちは事業だ」
「……」
「要は、現状の金額を募金会に渡せば問題ないわけだろ? 文科省が管理するのは残りの僅かな金額じゃないか。さっきも言ったけど、なにも独り占めするつもりなんかないし、なんなら厚労省にも少しくらい分けてやってもいいぞ」
「……」
「……」
「……まあ、やってみるか……。予算に影響ないんだし、不足分を補う努力は認められるべきだよな。だとすると……、警察庁も説得しなきゃいかんな」
このようにして制度が改められ、運用されているのである。
「ただいまー。あー疲れた」
清美が帰ったのは、もう夕餉が終わろうかという時だった。カバンをそこらに放り投げると、そのまま食卓に崩れ落ちた。
「どうしたの、疲れた顔してるわよ。はい、お茶飲んで一休みしなさい。今日は天丼だからね、温めといてあげるから」
疲れた顔で帰宅した娘にびっくりした母親が、そっと湯のみを押しやった。
「なんだ、クラブでしごかれたのか?」
父親は、啜りかけだった茶漬けを途中で止め、軽くジャブを打って茶漬けに戻る。
「部活なんかじゃないよ、街頭募金。立ちっぱなしだから足が浮腫んじゃう」
清美は投げ出した足をしきりとさすった。
「だけどお前、街頭募金やると成績が上がるんだろ?」
清美が足をさするたびに、短いスカートが付け根まで捲れ上がった。父親は、その様子をチラチラ見るのに忙しく、茶漬けの味をかみ締めることもできずに、そそくさと箸をおいた。
「そりゃまあ成績は上がるけど、全国選手権に参加することになっちゃってね、そのおかげでクタクタ」
「なんだよ、先生が張り切っちゃってるのか?」
「そうなのよ。だからね、他校に差をつけなきゃいかんということで、学校から指示があったの」
「指示? いったい、どんな?」
「そんなことより、早くごはん食べなさい」
温め直したどんぶりがテーブルに載った。
「うん、ご飯食べたら説明する」
しかし、父親も母親も気づいていた。清美が最近大人びてきたことに。これまではとかく敬遠していた父親とも以前のように気軽に話していることもあるが、急に制服がきつくなっているようなのだ。ことに胸のあたりの皺のよりかたが目を見張る。胸が突き出るように感じるのは下着のせいかもしれない。しかし、脇のあたりによっている皺が、胸にゆくにつれきれいになくなり、アイロンでもかけているようにピンと張っているのだ。胸のボタンも、穴から外れそうに引っ張られている。
それに、腰のくびれが顕著になっていた。腰が細くなったのか、腰周りの肉付きがよくなったのか、とても気になる変化だった。
「なあ、清美のやつ、妙に女っぽくなってきたと思わないか?」
「ちょっと、娘に女感じてどうするのよ、イヤラシイ」
「だけどさあ、較べてみろよあの乳。出っ張ってるわ、パンパンだわ、ああいう乳って……」
「子供ができたときみたいね。……子供?」
「腰だってそうだろ、見るからに男を誘うような……。えぇっ?」
テーブルの下で、お前が、お父さんがと足で嫌な話の口火を擦り合う闘いが始まっていた。
「清美さあ、お付き合いしてる人とかいるの?」
「そりゃあいるよ」
「そ、そう。年頃だもんね。その人いくつなの?」
「へへーん、同い年なんだ。募金で知り合ってね、意気投合しちゃって。もう、何されてもいいって思えちゃうんだ」
「なに……されても……」
父親は言葉を失った。何をされてもという意味を、つきつめた意味を先走って想像してしまったからだ。
「ねえ、何かされたの?」
母親も色を失った。
「えっ? いいじゃん、そんなこと」
「ねえ、何されたの? ねえ、おしえてよ」
「嫌だって。何しようが私の勝手でしょ!」
「勝手じゃない! お母さんみたいになってほしくないのよ」
ついつい声高になるのを必死で堪える母親。だが、娘を思うあまり秘密のベールをそっと捲ったことに気付いていない。
「放っといてよ、私の勝手じゃない」
「何言ってるの。お母さんみたいに大きいお腹抱えて学校行くの? 清美だけにはそんなことさせたくない!」
激昂した母親は、ずっと隠し通そうと夫婦で話し合ってきた秘密の一端を口走ってしまった。
「お母さん……、そう……だったの。それが私ということね?」
「ずーっと良かったのに、たった一度の失敗だったのよ!」
「ねえねえ、私を連れて学校行ったの?」
「そんなことできるわけないでしょ! いくらパット当ててもポタポタ落ちるのよ。それが滲みて、若い先生がギラギラした目で見るの。その恥ずかしさ、想像できる? そんなお乳になっちゃうんだよ」
「へーぇ。私は八月生まれだから……、なによ、お母さんだって二年生の頃からしてたんじゃない」
「そ、そんなことより、問題なのは清美の胸よ。妊婦みたいな胸してるじゃない。正直に言って、怒らないから。子供……できたの? どうなの?」
思わず口走ってしまったことをもみ消そうと、母親の形相が変わった。
「子供なんかできるわけないでしょ。お母さんみたいにドジじゃないから」
「ドジって……。あんたやっぱり……。気をつけなさいよ、男なんて身勝手なんだからね。そんなことより、胸、そんなに大きかった? やっぱり子供ができたんじゃないの?」
それが精一杯だ。奇しくも自分と同じように……。毎月きちんとあるのでしょうねなんて、のみ込むしかない母心である。
「ああ、これ? プロテクターつけてるから」
「プロテクター? なによそれ」
「先生がつけなさいって。だけど、つけてて良かったよ。おじさんたち、すぐ触ろうとするんだから」
「触る? 募金活動してるのに? ちょっと清美、それ、どういうことなの?」
それは初耳だった。募金活動している最中に痴漢されているのだろうか。それを見越して防具をつけさせるとはどういうことなのだろう。いくら学校行事、授業の一環だとはいえ、行きすぎではないか。
「だからさぁ、募金にもいろいろあるのよ」
「おい、清美。いろいろってどういうことだ。募金なんかおまえ、箱持って立ってるだけだろ? 募金してくれたら羽根を挿してやるってのが普通だろ?」
自分の娘だと思い込んでいたのに、娘はすでに他の男のものになっていた。その事実を受け入れられず、父親は消沈している。しかし一方で、父親としての務めを果たさねばという義務感もあった。
「だからね、普通のことしてたら募金なんか集まらないじゃない。だから、いろいろコースがあるんだよ」
「コース? ちょっと解るようにように説明しなさい」
「だからぁ、千円募金してくれたら握手するの」
「握手?」
父親は、持っていた湯呑みをテーブルに置いた。
「でね、二千円だったら握手する上に手を載せて」
「……」
「三千円だったらしっかりお辞儀して胸の谷間を見せてあげるのよ」
「そ、そんなことしてるのか? けしからん。ああ、けしからん」
「なにを言ってるの。うちの級長なんか背が低いのをいいことにして、ボタン外してるんだよ。邪魔にならないように、ポニーテールにしてるの。何もしなくても級長の前に人が集まるからいつも一番なんだよ」
「なにが一番なんだよ」
声に凄みをきかせている。
「売り上げよ。私なんか、背が高いからそういう小技がつかえなくてさ、いつも三番。そのかわり、大技は得意なんだから」
「大技ぁ?」
ついに声が裏返った。
「五千円の募金があったら、襟に羽根を挿してあげるの。そのときにね、胸を押し付けてあげるの。おじさんって単純ね、すごく嬉しそうにしてるわよ」
「ちょっと聞くけど、一万円という人がいるのか?」
ごくりと咽仏が動いた。さんざん躊躇ったあげく、好奇心に勝てなかったのだろう。
「うん、たまにだけどいるよ」
清美は平然と答える。満員電車で通学すれば、多かれ少なかれ体を押し付けあう。その延長と考えれば何でもないことなのだ。それに、プロテクターのおかげでイヤラシイことをされているという意識は薄くなっていた。
「い、一万円なら、どうするんだ?」
「五千円コースに加えて、足をスリスリしてあげるけど」
「……そのときに触られるのか?」
「ううん、それは別。アクティブコースがあってね、参加費を納めたら私と募金活動ができるの」
「募金? おまえといっしょに?」
「うん。そこにオプションがあって、千円は、手つなぎ。二千円は腕組み。三千円は腰に手を回していい。五千円出せば、十五分のお散歩……じゃなくて、移動募金」
「あ、あのな、清美。そういうのをJKビジネスって、違法なことだぞ」
「お父さん、新聞読んでないの? 私たちは、国の方針でやっているんだよ。それにね、会場には私服のおまわりさんが警備してくれているんだよ」
「くに? 国がやらせてるのか? あっ、その散歩を狙って触られるんだな?」
「うん。おじさんって本当に助平なんだから。だけどね、プロテクターのおかげで大丈夫なんだよ」
「ほんとうか?」
「うん、ちょっと触ってみる?」
清美は、形良く突き出た胸を父親に向けた。
「お父さん!」
思わず伸ばした手が、妻の叱声でぴたりと止まった。
「こういうことは母親の役目!」
夫を睨みつけて娘の胸に手をかけたはいいが、娘は涼しい顔をしていた。
「これで感じないの? じゃあ、これでは?」
さわさわ擦るだけでは何も反応がないので、妻は思い切って豊かな乳房を揉んでみた。
「だからね、そんなのでは何も感じないの。思い切って抓ってみたら」
妻は、かるく抓って反応がないことをたしかめ、思い切り力をこめてみた。
「それくらいだと感じる。そうだね、板で挟まれているような感じ」
妻の顔色をうかがいながら胸を触っていた夫も、どうなっているのだと妻と目を交わした。
「お尻もいっしょなの。試してみて」
立ち上がった娘が、ぴょこっとお尻を後ろに突き出した。
パンッ!
生唾を何度も飲み込んだ末の一撃だった。子供を叱ったときも尻を叩いたものだが、これだけ肉感的な尻を叩くとなると、父親であることを忘れ、一人の男になってしまう。極限まで緊張した一撃だった。なのに……、娘は平気な顔で笑っているではないか。
「お母さん、ほらね」
母親の手を導いた娘は、そこにあるべき肛門が見事に消えうせていることを教えたのだった。
「わかった? こういうプロテクターなの」
「それ、いったい何?」
「ああ、パンヤだって。野球のグローブの中身だそうだよ」
「……そんなこと考えるか? そんな防具なんか、考えるか?」
「いいじゃない。これつけてるとね、電車の痴漢にも心配ないんだよ。クラス全員つけたまま通学してるんだよ。それよりさぁ、今日も名刺もらっちゃった。就職に困ったら訊ねてきなさいって」
「名刺?」
「うん。いろんな会社のエライサンみたいだよ」
清美が並べた名刺には、大手自動車販売会社の人事部長とか、証券会社の人事部長、宝石店や料理屋の主人という肩書きが踊っている。
「これは案外……」
馬鹿にならない政策だという言葉をのみこみ、父親は痺れの残る手の平をそっと撫でた。
『恵まれない人に愛の手を』
気高い基本理念をふりかざし、庶民の善意を食い物にしている共同募金。
基本理念を置き去りにして、さまざまな取り組みが試みられている。
あなたは、どの募金箱へ向かいますか?
終わり