†One :トリックの外堀
玄関口から家の外に出る。入る時には注意して見なかったが、玄関ドアについている鍵は、通常のサムターン錠(補助錠)だった。それだけでは問題はないが、、ポスト口から距離が近く、すぐにサムターン回しで開錠されそうだった。が、触ってすぐに分かった。このサムターンは、摩擦係数の低いフッ素樹脂製で出来ていたからいくら何でも無理はあるか。
そして、驚いたのはそれだけではない。それは何気なく美優が鍵を開けて外に出ようとした時だった。
ガチャン。
「え?」
「どうしました?」
ドアを半分あけて半歩踏み出した美優は、とても立ち辛そうな位置で止まった。ハエが入ってきた閉めてくれ。
「普通サムターン錠って反時計回りじゃないの?」
「あ、うちの鍵は、逆周りになっているんですよ」
「へぇ~!すげぇ!そんなことできんの!」
「ピッキング対策ね?」
一般家庭には鍵は二つ付いていると思う。それはどちらも同じ回転をしているだろう。(反時計周り)そこにピッキングを目的とした犯人がやってきた場合、ダブルウェーブキーかそれよりも複雑なものでないと、普通に開錠されてしまう。しかし、一つを反時計周りにしておき、もう一つは開けっ放しにしておけば、犯人は今どちらがどうなっているのか分からなくなり、諦めるだろう。たとえ理解したとしても少しでも時間を稼げる。もう一つ開けておくというのは怖いだろうが、「二つ掛かっているという固定概念こそが鍵となる」ように、ロジカルに説き、フィジカルに影響させるというコンビネーションだ。防犯マニアには、こういう者も少なくはないらしい。全く頭がいいぜ。
「いや、いくら鍵の素材がすべすべだからといい、ポスト口から近いのは少し怖いな」
「これじゃぁ防犯意識が強いのか、それともただのおっちょこちょいさんなのか分かんねぇぜ」
「というか、ここまでするならドア鍵自体を強靭なものにすればいいんだけどね」
「なんかすいません」
一気にきまづくなった。
「おいリンダ」
「え、あ、全然なんでもないよ」
しかし、やはりおかしい点は鍵にあった。ここまで鍵に気を配っていながら、強盗犯に入られるなんてまず無いだろう。何か計画性があった筈なんだ。
外からドア周辺に異変が無いかもすみずみまで確認したが、何も見当たらなかった。
「なんだってばよぉこれ、外から開けた形跡がねぇじゃん」
「さっき俺が言った様に、サムターン回しは不可能だ。しかもダブルウェーブキーの鍵はピッキングがかなり困難だ。更に鍵の一つが時計周りになっているから何もかも理解していないと無理な気がする」
「ってことはやっぱり~?」
「このドアの内事情を知っているか、本当に鍵が掛かっていなかった、しか考えられない」
「まっ、今はなんにも断定出来ないだろぉ。ここはお終いだ」
美優は変な形の鍵を取り出し施錠した。やはりピッキングは無理だ。
一同は腑に落ちないまま、家の周りを調べた。
出窓、物置、花壇、洗濯干しがあったりなど、何の変哲もないただの民家だった。
「んぁ?んだこれ」
彼は、「え?何だこれは」と言ったのだろう。
久利生は、花壇の土にあった『穴』を見つけた。奥まで掘られている穴ではない。何かで押し潰した様に、窪んだ穴だ。直径は4,5cm。利き手で『OKサイン』を作った時に出来る丸の部分だと思って欲しい。
「何かで押したみたいですね~」
佐倉は呟きながら指で土を押したが、土は上手く形を形成してくれない。硬いのだ。
「このつぶつぶは何ですか?」
「これは、バーミキュライトです」
「ば、ばーみゅきライトぉ?」
ライトしか聞き取れなかったのはみんな同じだった。
「バーミ、キュライト、です」
わざわざ言い直して親切な子だ。
「なにそれ~?」
「簡単に言うと、植物が育ちやすくなる肥料の一種です」
2mmくらいの白い球や乾燥した木の枝みたいのがたくさん混ざっている。
「オレだったら実感湧かなそぉ」
詳しくないとそりゃあ分からないだろ。
「で、この穴、なんだと思いますか~?」
「そうだなぁ、今みたくミサキが押したくらいじゃ、簡単には穴が出来ないみたいだな」
色々な肥料が網目のように入り組んでいて、普通の土のようにはサァーッと指が入っていかないのだ。何か、湿っぽくてふにふにしてる感じ。
「てかぁ、これに関して警察なんか言ってなかったん?」
「いえ、特には……」
まぁ確かにこんな小さな、しかもコントラストが激しい土の中を、探せる筈がない。
「久利生よくやったな」
「っしぃ~」
彼的には「よし」と言っているんだろうが、男子高校生特有の、「よし」の「し」を「しぃ~」って伸ばす名残だ。説明が回りくどい。
その穴は、丁度玄関とは真反対の裏庭にあった。そこに面している壁には通常のサッシ窓がある。例の、「物置との距離が近いからよく開け閉めしている窓」だ。
「どうしたんだよリンダ」
「ん、いや、待て待て」
その穴から視線を上げると、細い隙間がある。アパートとアパートの間の、言わば路地。雑草が少し生えている。間隔は、人が横になれば通れるくらい。
「ん?何だこれぇ、よくガキの頃こういう所通って探検してて、近所のBBAに怒られたな」
「あ、そうなんですか。でもここはあまり子どもが通ったりはしませんね」
「あらぁ」
「ここは元々子どもが少ないですからね」
「ん、子どもが少ないぃ?……」
「くりゅう先輩、なんか閃いたんですか?」
「……ハッ!分かったぞリンd――」
スタスタスタ。安瀬宮はどこかへ行ってしまった。
「ちぇー、んだよぉ」
「私たちが聞きましょうか~?」
「いーんだよ!お前は!」
「なんでよ~」
「つかリンダは?」
「あそこです」
美優が指差したすぐそこに居た。棒遊びをしている。
「あいつ、オレの話を聞いて童心に帰っちまったのか」
「リンダさん何やってるんですかね~」
そうすると、安瀬宮は何かを思い出したみたいに美優の方を向いた。
「お父さんの部屋、見せてもらっていいかな」
「はい、かまいませんよ」
また家に入った。時刻は正午きっかし。
「やべぇぞリンダ、一時四十分までにはズラかるぜ」
「くりゅうはそういう所しっかりしてるよな。過去の経験か?」
「ぬ、盗みなんかしてねーし!」
まだそうとは言ってないのに、という台詞はみな、脳内再生だけで強制終了させた。口に出すと面倒なことになりそうだから。
「お父さんの部屋は、二階です……」
言いづらそうだった。
二階には、孝、莉子、美優のそれぞれの部屋が三部屋と、寝室の一部屋、合計四部屋があった。
一行はその中の父、孝の部屋に入った。とても綺麗に整頓された部屋だった。
部屋には、24インチの液晶テレビ、りんご社のPC、ワークデスク、本棚には大量の数学に関する参考書がひしめき合っていた。また、壁掛けのホワイトボードと大きな三角定規もあるのだが、驚きなのはもっとも、その隣りに黒板があることだった。面積は、縦130cm、横175cmと、一畳規格よりも幾分か大きかった。赤、白、黄色、緑、青、紫、茶色、オレンジ色と、色は全部で八色。黒板には、次の授業で扱うであろう内容が、無機質な黒板を鮮やかに彩っていた。
「へぇ、几帳面な正確なんだなぁ」
「綺麗な色で、授業が楽しいだろうね」
「それでも重要なところは赤で書いたり黄色で囲ったりしてるから~、見やすいんだよね~」
「生徒にさぁめっちゃ優しいじゃん。殺したりとかすんの?」
「くりゅうはまだ父さんが犯人とは思えない様子だな」
「ん~、なんかこういうの見るとなぁ」
「目の前のイメージだけに囚われてころころしてるだけですよくりゅう先輩は」
「うっせぇなぁ。オレは家族思いなんだよぉ」
「それは俺がよく知っていますよ」
「えーっ、そうには見えないんですけどね~」
「ミサキも、目の前のイメージだけに囚われてんだよぉ」
「ここは一本取られたわね~」
部屋は全体的に、黒や銀で占めており、いかにも『デキル男』って感じのゴシック調だ。特に、部屋の中心に置かれているガラステーブルなんかが雰囲気を醸し出している。
「失礼します」と一礼して、デスクの引き出しの中などを漁った。勿論返答は待っていない。チェストの中には、生徒の写真を集めたアルバム、生徒会誌、大きなファイルが沢山入っていた。因みに生徒会誌というのは、クラス別にクラスメイトの内容や雰囲気、出来事などがまとめられた薄い本である。ん?薄い本?いや、そういう意味ではない。数十ページ程の冊子という意味だ。
A4サイズの分厚いファイルを開いた。そこには、生徒の名前が出席番号順に並んでいる。担任教師が持っている、あの黒い出席簿の中に入っている紙と同じやつだ。しかし、これは編集されていて、生徒の名前の横の枠はかなり長くなっていて、文字が書けるようになっていた。
『アズは今日の体育祭で、男子バスケ部門において学年一番の記録をたたき出した。流石はバスケ部。部活だけではなく勉強も頑張れよ!!』
これは出席番号一番の、東 竜太郎君の欄に書いてあった。次は……と、適当にパラパラとページをめくった。
『ヨッシーは前回、数学で赤点を取っていたが、期末では70点と平均点を越える点数を取ってびっくりした!!日頃の成果が出たな』
こちらは、出席番号十七番の吉田 賢二君の欄に書いてあった。生徒をあだ名で呼んだりと、普段から優しく接しているのが見て取れる。生徒には内緒でよく見てくれてるいい先生だと思う。
「なんだ、アイツこんなことしてたんだ……。最低。ただのロリコンじゃん」
「まぁまそんなこと言うなよぉ、男子もちゃんとヒィキしないで見てくれてるぜぇ?」
「それは穴埋めですよ。仕方なくやってるんです。女子にも近づくために」
今の美優には、義理の父孝の行為は善悪問わず全てが汚らわしく思うのだろう。
「そうか……。確かにこういうもの見てると、ますます殺しなんてしないような人物像が形成されるな。第三者だから良く思えるのかは分からないけど」
「生徒達にも直接聞く必要があるわね~」
「もっとどんな人か知らねぇとな。動機とも強く結び付けられる筈だ」
久利生にしてはちゃんとした発言だった気がする。
次はクローゼットの中だ。取っ手を自分の方に引くと、扉が折れてスライドする、よくあるタイプだ。どうでもいいが色はちゃんと黒だ。
中身は到って普遍的だった。普段学校に着て行ってる服だと思われる、ワイシャツ、ジーンズ、チノ、ネクタイなどが収納されている。その隣りにはなんと、アルマーニのスーツが掛かっていた。
「うわ……すごいなこれ」
「アルマーニじゃないですか~!」
「ん?んだそりゃ」
「これ、十万くらいしたんじゃないのか」
「えぇっ、これってそんなにするんですか!勿体無い!」
「ベルトとか靴も合わせたらもっとするだろうな」
「……お母さんの遺産だわ」
一気に空気が重くなった。それは何とも言えないからである。
「ま、まぁ、そこはまだ分かんねぇしさ、それも一緒に調べようぜ?なっ?」
「……はい」
久利生は見た目とは裏腹結構人情深い人間なのだ。
「あれ~!リンダ先輩これなんですか~!」
「ん?どうしたそんな」
佐倉なりには声を張り上げて言った感じだったが、割と落ち着いたトーンに聴こえたのはいつも通りだ。
「あぁ!?んだこれクッセー!」
「濡れた雑巾?」
「そんなに日は経ってないみたいですね~」
「これは確信出来ると俺の中では思う」
「えぇ!マジで!」
雑巾をくまなく見てみる。やっぱり一部は茶色くなっている。小さな枯れ木もくっついている。かなり雑に扱われている。雑巾だからしょうがない。
「随分と汚れてんじゃねぇの」
「これに見覚えはないか」
「なんでか~?」
「これがあのバーミキュライトだ」
「えぇ!さっきの!?」
「しかもなんでこんなとこにあるんですか?」
「証拠を隠したかったんだろう。でも、逆に物置に無いと変だよね」
「だからぁ、なんでここに隠したんだよぉ!」
「まずはこれを見つけられない場所に置いて措きたかったんだろう。だけど、こうして見つかるんだったら物置で見つかった方が全然違和感無かったよね」
「数学教師やってる割には隙がアリアリだなこりゃ」
「人間なんて、興奮したらこうだって」
安瀬宮は、顔の右の筋肉を上げて、鼻で笑ってみせた。