一鬼刀戦
明は直枝を見た。
直枝の顔は吐瀉物にまみれている。
僕たちの視線に気付き、顔を上げた。
その顔には、生気が感じられなかった。
死人のようだった。
「直枝、お前はここで隠れていろ。オレたちは、奴らの情報を集めてくる。とりあえず、オレたちが戻ってくるまで隠れているんだ」
明の言葉に対し、直枝は弱々しくうなずくだけだった。
明と僕は外に出た。
外には、他に誰もいなかった。
「明、どこに行く?」
「さっき見たんだが、なんか役場というか、集会所みたいな建物があって、そこに八人いた。その中に力士とボクサーは含まれていなかったから、少なくとも、まだ八人は敵がいるってことだ」
明は、一軒の家の前で立ち止まった。
さっきまでいた物置小屋から、かなり近い位置にある家だ。
家と言っても、人の住んでいる気配は全くない。
だが、人の出入りした雰囲気がある。
明は、その家に慎重に近づいた。
扉を開け、僕を手招きする。
暗い中を、慎重に、ゆっくり進む。
前を進んでいた明が、不意に立ち止まった。
「やっぱりここだったか……翔、これ見ろよ」
明はそう言うと、自分は部屋の隅に移動し、床を指差した。
床には、人が三人横たえられていた。
上條、大場、芳賀の三人だった。
僕は一瞬、訳がわからなくなった。
こんな所で、のんきに寝ているのか……。
だが、次の瞬間、三人とも死んでいることがわかった。
三人とも喉を切り裂かれていた。切り裂かれた部分は大きくパックリと開いており、傷口の周りは大量の血が固まっている。まるで、喉にもう一つの口ができ、さらに固まった血が口ひげの役割を果たしているかのようだった。
そして、上條の死体は二人よりもさらに酷い状態だった。
顔は原型をとどめていなかった。あちこちにへこみやゆがみがあり、鼻は切り裂かれて一つの穴になっていた。両方の耳たぶは消え失せ、ただ穴だけがそこにあった。
死ぬ前に凄まじい暴行を受けたのが、はっきりわかるその姿を見て、僕は思わず拳を握りしめた。
「翔、この上條がオレたちの事を全部吐きやがったんだ。死んでからも使えない奴だよ。だが、これではっきりした。奴らを全滅させなきゃ、ここを上手くしのいでも、後で面倒な事になる」
明はその場に座った。
僕も隣に腰かける。
上條も大場も芳賀も、正直言って嫌いだった。どうなろうが知ったことではない、と思っていた。
だが、ここに横たわる三人の無惨な姿を見ているうちに、凄まじい怒りがわき上がってきた。
その三人に誓った。
僕は必ず、奴らを皆殺しにする。
奴らの仲間がいたら、探し出して殺す。
その家族も根絶やしにしてやる。
「翔、お前に二つ言っておく事がある。一つは、さっきお前を殺しかけた時のことだ」
そう言って、明は僕の目をまっすぐ見た。
今までと違い、その瞳には、感情らしきものの動きが見えた。
「お前には怖い思いをさせた。本当にすまないと思っている。だが聞いてくれ。お前にも戦いに協力してほしかったんだ。だから、オレはお前に恐怖を抱かせた。戦わなければオレに殺されるという恐怖を、だ。その結果、お前は実によく戦った。凄いよ、お前は」
「い、いや――」
「だが、オレはお前を殺す気はなかった。信じられないかもしれないが、これが本音だよ」
え……。
殺す気はなかった?
そうだったのか……。
「お前は、オレと親父とは関係ないと言った。明は明だ、とも。オレにそんなことを言ったのは、お前が二人目だ。それを聞いた時、お前だけは死なせたくないと思った。だが、ああでもしなかったら、お前は戦ってくれなかっただろう」
確かにそうだ。
僕は明への恐怖心があったから、戦った。
そして――
「言わなければならないことが、もう一つある。直枝だが、このままさっきの場所に置いといたら、確実に狙われ、そして死ぬ。どうする?」
「どうするって?」
「オレは直枝を助けたい。だが、今のあいつは完全に足手まといだ。お前の意見を聞きたい」
直枝を助けたい?
僕の意見?
さっきまでの明からは想像もつかない言葉だ。
僕はとっさに返事ができなかった。
「親父は常々、情は己を殺し、非情は己を生かすって言っていた。オレは今までずっと、その通りにしてきた。だから、オレは生き延びられた。だが、オレが日本に来て読んだ本の中に、こんなことを言ったキャラがいたんだ。甘さや優しさは強者だけの特権だ、ってな。今、オレはそのキャラみたいに行動してみたくなったんだよ。そうすれば、オレは親父を越えられるんじゃないか、ってな。キチガイ親父をな。翔、オレは直枝を助けたい。お前はどうだ?直枝を助けたいか?足手まといの直枝を?」
僕?
僕は直枝に借りがある……。
それに、やっとできた、友だちになれるかもしれない人を失いたくない。
僕も助けたい!
「明、直枝を助けよう。そして、三人でここから帰るんだ。奴らを片付けて、さっさと家に帰ろう」
明はうなずいた。
明は慎重に、入ってきた扉を開けた。
扉を開けたまま、しばらく様子を見る。
誰もいない。
僕と明は、さらに念入りに周囲を確認する。
その時、歩いてくる何者かの姿を捉えた。
革ジャンを着て、手袋をはめた中肉中背の男が一人、直枝の潜む小屋に近づいている。
暗くてよく見えないが、武器は持っていないようだった。
おかしい。
さっきは、ボクサーと力士という強者コンビをよこしたのに……。
たった一人?
ピストルでも持っているのか?
「翔、あれは確実に囮だ。うかつに近寄ったらヤバいぞ」
明が小声でささやく。
「どうする?」
「しかし、あえてそのワナに乗ってみる。オレが行くぜ。お前はここで様子を見てろ」
「いや、僕が行く」
「何?!」
「万が一の可能性を考えた場合、僕が行くのが一番いい。何かあったら、君が直枝を連れて、奴らを潰してくれ」
「おい!ちょっと――」
返事も聞かず、僕は立ち上がった。
鉈を構え、静かに近づいて行く。
僕はこの時、妙に冷静だった。
僕は素早く考えた。
もし明がワナにかかったら……。
僕に助けられる自信はない。
でも、僕がワナにかかったら……。
明なら、僕を確実に助けられる。
だが……。
理由は他にもあった。
僕はその理由に、気づかぬふりをした。
僕の足音に気付き、男は振り向いた。
ニヤリと笑う。
「バーカ」
男が言うと同時に――
隠れていた男たちが姿を現した。
だが、僕はそんなものは見ていなかった。
目の前の男に鉈ごと体当たりを喰らわし――
そのまま、物置小屋に突っ込んだ。
予想通り、男は防刃ベストを着ていて、鉈の刃は刺さらなかった。
だが、僕の体当たりで男は吹っ飛び、小屋の中で倒れる。
おそらく、僕が切りかかってくるものと思っていたのだろう、派手に吹っ飛び、そして倒れた。
僕を上に乗せたまま。
僕は男の喉に、鉈を突き刺した。
すぐに向きを変え、他の男たちからの攻撃に備える。 他の男たちは、全部で四人いた。
表で、明との壮絶な戦いを開始していた。
僕は自分の下でもがき苦しんでいる男の喉に、もう一度鉈を降り下ろした。
男の命が抜けていく瞬間が、はっきりわかった。
だが、余韻にひたる暇はない。
僕は立ち上がった。
立ち上がり、男たちの一人に斬りかかった。
翔に気づいた男が、ニヤリと笑う。
物陰や周囲の建物の陰に隠れていた男たちが、一斉に姿を見せ、行動を開始する。
明は表に駆け出した。
相手は四人。
全員、何かキラキラ光る物を持っている。
うち一人は――
ボウガンを持っていた。
明は、まずボウガンの男に突進する。
ボウガンの男は、不意の明の登場に完全に意表を突かれ、慌ててボウガンを構え直す。
明は足元に滑り込み、スライディングキックを膝に見舞う。
男は膝を砕かれ、悲鳴をあげながら倒れる。
だか、明の動きは止まらない。ボウガンを蹴り飛ばすと、その場から前転し、素早く立ち上がる。
立ち上がった明に、今度は日本刀を持った男が何やらわめきながら、凄まじい形相で斬りかかる。
明は、膝を砕かれ倒れていた男を無理やり引き上げ――
日本刀の一撃を、男の体で受け止めた。
凄まじい悲鳴があがる。
明は男の体を、日本刀の男に叩きつけ――
合気道高段者の演舞のような無駄のない、かつ自然な動きで日本刀の男の右腕を両手で掴む。
テコの原理で、相手の手首を下げつつ、肘関節に上方向への力を加え――
一瞬で肘を破壊した。
相手は悲鳴をあげ、刀を落とす。
明は肘を極めた体勢のまま、男の体を振り回す。
その瞬間――
長い警棒のような物を振り上げた男が、明に接近する。
そして、棒が降り下ろされる。
だが棒が当たったのは、先ほどまで日本刀を振り回していた男の体であった。
明は男の肘を極めていた両手を離す。
そして右手で、日本刀を持っていた男の喉を掴み、握り潰すと同時に、左手で新手の男に指先での目突きを見舞う。
その時、別の悲鳴があがる。
明は一瞬だけ、そちらに視線を移した。
相手の返り血を浴びて、地獄の悪魔のような容貌になった翔が、最後に残った男に斬りかかっていった。 それを横目で見ながら、明は目の前にいる男の髪を掴んで引き寄せ、首をねじり、脊髄を破壊した。
僕は目の前の男の首に斬りつける。
大量の血がほとばしり、男は声にならない悲鳴をあげた。
だが、僕は斬る。
斬りまくる。
僕は正義だ。
こいつは悪だ。
だから殺す。
殺さなければいけないんだ。
「おい翔!もういい!やめろ!」
明に言われて、僕は手を止めた。
相手の着ていた服をはぎ取り、自分の顔についた血を拭いた。
そして、鉈についた血と脂をぬぐう。
明の視線を感じた。
見ると、明は厳しい目付きで、僕の行動をじっと見ていた。
「お前……大丈夫か」
明はポツリと、呟くかのような声で言った。
「僕は大丈夫だよ。それより……直枝の様子を見てくる。ここにいたら危ないかもしれないし」
そう言って、僕は小屋の中に入って行った。
直枝は、さらに痛々しい顔になっていた。
だが僕たちの顔を見て、安堵の表情になる。
「無事だったんだね、二人とも……良かった……本当に良かった……」
直枝はそう言ったきり、下を向き、肩を震わせていた。
涙が落ちる。
すすり泣きの声。
「なんで……なんで……こうなっちゃったのかな……なんで……あたしたち、なんか悪いことしたのかな……」
直枝の嗚咽は、しばらく続いた。
僕にはかける言葉がなかった。
そっと、自分の血まみれの手を拭いた。
だが、拭いても綺麗にはならなかった。