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怨古血親

 明はそう言うと、ため息をついた。

「困ったもんだな」

 そう言いながらも、明はどこか楽しそうだった。

「直枝はよく寝てるな……こんな状況で眠れるとは大したもんだ……いや、それだけ疲れてたってことか……当然だよな。女一人で逃げ回って、隠れていたんだもんな……」

「起こそうか?」

 僕はそう言って、直枝に近づいた。

「いや、いい。寝かせておけ。眠れる時には眠っておいた方がいい。それより、直枝が起きるまで、ちょっと話を聞いてくれ。オレの話をよ」



 物心ついた時、明はメキシコにいた。

 メキシカンの父と、日本人の母との間に生まれたらしかった。

 らしかった、というのは、母は明が生まれてすぐに父と離婚し、日本に帰ってしまったらしいからだ。

 明をメキシコの父のもとに残して。

 普通だったら、その事について悩んだりするのかもしれない。

 だが、明にはそんな事を考える余裕はなかった。

 まず、父からの虐待と紙一重とも言える、トレーニングの日々。

 父は明に言った。

「お前はオレの息子だ。お前には、オレの血が流れている」

 そう言いながら、幼少の頃の明に過酷なトレーニングを強いた。


 子供の明には訳がわからなかった。

 わからないまま、言われたことをやった。

 午前中は、格闘技のトレーニングをさせられた。

 それも、まともな格闘技ではなかった。

 殴る蹴るは当たり前。指で目を突いたり、股間を蹴ったり、喉を握り潰したり……。

 そんな技の練習を一時間やらされ、さらに一時間、走ったり、腕立て伏せをやったり、懸垂をやったりした。

 格闘技の時間の終わりには、砂袋に拳とスネ、肘と膝を何度も何度も打ちつけた。

 そして、昼食を食べ終わると、またトレーニングが始まる。

 午後からは武器の使い方を教わった。

 拳銃やナイフといったオーソドックスなものから、ベルトで絞殺したり、安全ピンで急所を突いて殺す方法まで教わった。

 学校にも行かず、父からそんな事ばかり教わっていたが、それでも明に不満はなかった。

 父はトレーニングの時は厳しかったが、それ以外の時は異常に優しかった。

 父は何の仕事をしているのか知らないが、金は持っていた。

 欲しい物は何でも買ってくれた。

 トレーニングは厳しかったが、明は父が大好きだった。


 成長すると、明のトレーニングは本格的になってきた。

 ある日、父がボロボロの服を着た男を連れてきた。そして言った。

 こいつを殺せ、と。

 必死に抵抗する男。

 だが十三歳の明は、手こずりながらも、素手で仕留めた。

 父に褒めてもらいたいがために、殺したのだ。

 父は言った。

 これでお前も、オレの後継者だ、と。


 やがて明は、父の仕事を手伝うようになった。

 父の仕事は犯罪だった。麻薬の売買、強盗、窃盗、殺人請負などなど……。

 明は必死に、父の仕事を手伝った。

 広大な庭を持つ屋敷に忍び込み、金目の物を片っ端から盗んだ。

 現金輸送車を襲撃し、警備員を全員殺して現金を強奪した。

 麻薬の密売人を殺し、麻薬は叩き売り、現金は全ていただいた。

 父は金には頓着が無いのか、奪った金は、キッチリ二人で山分けだった。

 明は物欲がなく、とりあえず父に言われた通りにカバンに詰めておき、何かあった時に持ち出せるようにしておいた。

 親子は、いつのまにかメキシコで有名人になっていた。


 そんな親子の神をも恐れぬ悪行三昧は、いつしか多くの敵を作り、しまいにはメキシカンマフィアの中でもかなりの大物を敵に廻すことになった。

 親子はまず、暗殺者に狙われた。

 普通の人間だったら、確実に殺されているはずだった。

いや、普通でない人間でも、生き延びるのは不可能なはずだった。

 しかし、親子には怪物じみた戦闘能力と、予言者じみた勘の良さがあった。

 暗殺は全て失敗した。

 暗殺者の半数は、返り討ちに遭い死亡した。

 だが、それでおとなしく引っ込んでいるほど、メキシカンマフィアは甘くなかった。

 ついに、軍隊並みの装備をした男たちを百人近く送り込み、一つの街をまるごと消してでも、親子を抹殺しようとした。


 この事件は当時、ちょっとしたニュースとなり、世界をかけめぐった。

 表向きには、メキシカンマフィア同士の抗争ということになっていた。

 死者は少なくとも三十人は出たらしい。

 らしい、というのは、親子はその戦場にも等しい修羅場をくぐり抜け、アメリカに逃げ延びたからだ。


 アメリカでの暮らしは楽しかった。

 見るもの聞くもの、全てが新鮮だった。

 だが、そのうちに明は、父の様子がおかしいことに気づいた。


 父は夜になると、どこかに出かけるようになった。

 ナイフや電動ノコギリ、洗剤など、用途がバラバラな道具を車に積んで。

 明は確信した。

 父は人殺しをしている、と。


 明の知る父は冷酷だったが、残忍ではなかった。

 凶人ではあったが、狂人ではなかった。


 だが、今の父は完全におかしくなっていた。

 人殺しは、父にとって何物にも勝る快楽となっていたのだ。

 すでに父の手にかかった犠牲者は、七人に達していた。


 当然ながら、警察は七件の殺人を黙って見過ごしてはいなかった。

 そして父は逮捕された。だが父は、メキシカンマフィアの情報と引き換えに、仮釈放なしの終身刑を言い渡された。


 その時、明は十七歳になっていた。

 火薬と血の匂い漂う世界で父と共に暮らしていた明にとって、普通の暮らしは非常に難しかった。

 どうすればいいのか、わからなかった。

 仕方ないので、日本にいる母のもとを訪ねることにした。


 母は何年も前に死んでいた。

 薬物依存のあげく、両親を刺殺し、ビルの屋上から飛び降りたのだという。

 明は呆然となった。

 日本という国で、どうやって暮らしたらいいのか、わからなかった。


 そんな彼を引き取ったのが、母の妹にあたる工藤純だった。

 初めて純と会った時、明は驚いた。

 明とほとんど変わらない年齢に見えた。

 だが、実際には二十八歳だという。

「あたし、姉さんとは十歳違いだよ。しかも、血が繋がってないし」


 母の育った家庭は、少々複雑であった。

 母の美樹が幼い頃、美樹の両親が離婚し、美樹は母に引き取られた。

 そして美樹の母は、小さな娘つきの男と再婚したのだった。

 その小さな娘が、純だった。


 明は日本で、純と一緒に暮らし始めた。

 初めて、まともな暮らしができるようになった。

 日本での、叔母との生活は新鮮で楽しかった。

 やっと、血と硝煙の香りから解放された気がした。

 だが、あまりに退屈だったのも事実だった。

 そして――



 ここまで話した時、明の顔がゆがんだ。

「ここからまた、いろいろあるんだが……ともかく、オレはキチガイ親父のせいで、人生滅茶苦茶だってことだよ。アイツがちゃんとした人間だったら、オレもちゃんとした人間だったはずなのにな……」


 僕は、ただただ唖然とするしかなかった。

 明の語った半生は、あまりにも凄まじかった。

 だが、ようやく納得できた。

 今まで明が見せた、凄まじい戦闘能力。

 その戦闘能力は、こんな人生を歩んでいなければありえない話だ。

 噂でしか聞いたことはないが、メキシコのギャングは本当に危険な連中だという。

 日本のヤクザなど、比較にならないくらいに。

 そんな連中と、殺るか殺られるかの世界で生きてきたのだ。

 普通の人間では、絶対に生き延びることはできないだろう。

 明という、父親の手によって生み出された怪物でない限り。



「おい、直枝が起きたみたいだぞ」

 明の言葉で、僕は我に返った。

 直枝はぼんやりした顔で、こっちを見ている。

「ところで……どう思う、今の話」

 明は不意に僕に尋ねてきた。

「ど、どうって?」

「正直言って引いただろ、オレの過去の話は。嘘みたいだが、本当の話だ。オレは何人もの人間を殺して生きてきた。無慈悲な殺人鬼――」

「確かに、明は大勢の人を殺したかもしれない。でも……僕は思うんだ。明がそんな人間だったから、僕らは生きてるんだって」

「……」

 明はうつむいた。

「もし、明が普通の人生を歩んできた普通の人間だったら、今頃みんな死んでたよ。明が……人殺しだったから、僕と直枝は生きていられる。明は僕の命の恩人だよ」

「そのセリフは、生きて帰ってからにするんだ。誰か来た」

 明はそう言うと、物陰に身を潜めた。

 僕と直枝も、その横に移動する。

 足音が聞こえる。

 まっすぐ、こちらに歩いてくる。

 僕の鼓動が、一気に早く強くなる。

 また……戦うのだろうか……。

 怖かった。

 しかし、心のどこかで……。

 ゾクゾクする、とでも言うのか……。

 形容のできない何かが、僕の中で生まれていた。


 足音が入口のあたりで止まる。

 僕は物陰からのぞいて見た。

 二人いる。

 暗くて顔はよく見えないが、片方は物凄く大きい男だった。小山のような、という形容詞がよく似合う体格だった。

 そして、もう一人は小さな男だった。いや、隣にいるのが大男だからそう見えたのかもしれないが、少なくとも、百六十五センチの僕と同じか、僕より小さく見えた。

 その小さい方の男が、突然口を開いた。

「おいガキ共。えーと、工藤、飛鳥、直枝!さっさと出てこい!ここにいるのはわかってる!」


 僕は驚いた。

 なぜ、僕らの名前を知っている?

 また声が聞こえてきた。

「おい早く出てこい!この安田はな、もとは本物の相撲取りだ。お前らなんか張り手一発で殺せる。オレは元プロボクサーだ。安田ほどじゃないが、オレも結構強いぞ。無駄な抵抗はやめて出てこい」

 どうするんだ……。

 力士とボクサー……。

 だが……。

 この鉈で刺せば、奴らが何者だろうと殺せる。

 そうだ……。

 力士だの、ボクサーだのといったところで……。

 所詮は人間だ。


 僕は立ち上がった。

 横にいる直枝の顔色が、一気に変わったのがわかった。

「僕が突っ込んで、ボクサーを殺す。二人は力士を片付けて」

 僕はそうささやいた。

「いや、オレ一人で力士を殺る。お前ら二人でボクサーを殺れ」

 明の頼もしい声が聞こえた。

 明はそのまま、平然とした様子で二人の前に歩いていった。

 そして――

「おい八百長力士、オレとやろうぜ」

 その言葉を聞いた瞬間、安田という男がニヤリとした。

 そして、巨体を踊らせ、突進した。

 僕はその後の戦いを見ていない。

 なぜなら、僕もボクサーに突進したから。



 明は、安田の突進をサイドステップであっさりとさばいた。

 さらに横に移動する瞬間、安田の体を掌底で強く押し、バランスを崩させた。

 目標を見失い、さらに明に押され、あっさりとバランスを崩す安田の巨体。

 背中が明の前でガラ空きになる。

 明は安田の背中に飛び付いて――

 背後から、指を眼球にねじ込む。


 安田の口から、悲鳴があがる。

 明は暴れる安田の首に、右腕を滑り込ませる。

 そして、一気に絞め上げる。

 安田の意識は途切れた。


 明は、すぐさま立ち上がる。

 そして、翔たちの戦況を確認する。



 僕はさっきの通り、体ごとぶつかっていき――

 鉈を突き出す。

 だが、目の前のボクサーは、その刃を掴み、軌道を逸らせた。

 何?!

 僕は想定外の出来事の前に、一瞬ではあるが動きが止まる。

 その瞬間――

 ボクサーの手袋をはめた右拳が飛んでくる。

 まともに喰らったら、僕の意識は飛んでいたかもしれない。

 だが、鉈の軌道が逸らされたことで、僕はバランスを崩していた。

 結果、顔ではなく頭に当たった。

 だが、次は腹に左のフックが飛んできた。

 僕の腹に、左フックがめり込む。

「うぐぅ!」

 僕は思わず声をあげ、しゃがみこんだ。

 痛いというより――

 苦しかった。

 今まで受けたいじめでも、こんな苦しいパンチはなかった。

 さらに、腹を押さえてしゃがんでいる僕にボクサーが馬乗りになって、パンチを浴びせてきた。

 僕は何もできず、殴られるままだった。


 今から思うと、このボクサーは幾つものミスを犯している。

 だが最大のミスは、二対一という状況で僕に馬乗りになったことだ。


 突然、ボクサーのパンチが止む。

 そして、立ち上がる気配がする。

 見ると、ボクサーの顔面ら血が出ている。

 そして、直枝が蒼白な顔をしながらも、戦う構えをとっている。

 直枝の蹴りが当たったのか……。

「このガキ!」

 ボクサーは吠えた。

 そして、凄まじいスピードで直枝に襲いかかった。


 直枝は顔にまともにパンチをもらい、顔を両腕でガードしながら下がる。

 だが、ボクサーのパンチのコンビネーションは止まらない。

 ガードの上から、容赦なく殴り続ける。


 僕は、ボクサーに背後から近づき――

 背中めがけて鉈を突き出した。

 しかし、刃は何かに阻まれた。

 これは?!

 ボクサーが憤怒の形相で振り向く。

 僕はその首に、鉈を叩きつけた。

 今度は手応えがあった。

 後で知ったのだが、ボクサーは防刃のグローブとベストを身に着けていたのだった。


 だが、その時はそんなことを考える余裕などなかった。

 僕は何度も何度も、切りつけた。

 相手の体から吹き出た血が、僕の体を真っ赤に染めていった。


 この時も、僕は間違いなく感じた。

 あの、『命が抜けていく瞬間』を……。

 それを感じた時……。


「おい翔!もういい!こいつは死んでる!」

 声が聞こえた。

 同時に、僕は誰かに頬をはたかれた。

 我に返る。

 既にボクサーは死んでいた。

 そして、顔が原形をとどめていなかった。

 僕が何度も何度も切りつけたせいだった。

 ふと、誰かが吐いている音がした。

 直枝だった。

 直枝は隅の方に行き、恥らいを捨て、僕たちの前で胃の中の物を戻していた。

「直枝はもう無理だ。後はオレとお前だけしかいないぞ。覚悟はいいな」

 明がささやいた。





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