凶獣降臨
刑務所の面会室。
明は父のペドロと、強化ガラス越しに向かい合っていた。
明の横には、温厚そうな看守が一人いる。
ペドロの周囲には、屈強な看守が三人。
「まさかお前が来てくれるとはな。いやー、嬉しいねー。シャバで何人殺した?幾ら稼いだ?何人の女とヤった?そういやお前、女には興味なかったな。じゃ、男の方が好きか?」
ペドロは看守がすぐそばで聞いているにもかかわらず、ニヤニヤしながらそんなことを聞いてきた。
流暢な日本語で。
明は何も答えず、座ったまま、ペドロの顔をじっと見ていた。
ペドロはその反応に、顔をしかめた。
「お前は本当に暗いな。そこは母ちゃん似だ」
ペドロはIQが二百を越える天才的な頭脳を持っている。
さらに、百六十センチそこそこの体躯からは想像もつかないほどの身体能力を秘めていた。
しかも、どんな状況であろうと、ヘラヘラ笑っていられる図太さも兼ね備えていた。
人間離れした、という形容詞が、これほど似合う男もそういない。
その人間離れした父ペドロを、明はずっと見つめていた。
「なんだ?日本の遊びのにらめっこでもしに来たのかよ?わざわざアメリカまで、ご苦労様だな」
その時、明はようやく口を開いた。
「親父、オレはあんたが大嫌いだ。あんたは最低の人殺しだ。あんたの両手両足ぶった斬り、スープにしてあんたに喰わしてやりたいくらいに、あんたのことが嫌いだ」
明は静かな口調で、ペドロの目をまっすぐ見ながら言った。
「おいおい、そんなことをわざわざ言いに来たのか?本当に暇な奴だな。まあいい、オレも暇だ。もっと言え。どんどん言え」
ペドロは、自らの息子から投げかけられた、あまりに非人間的な言葉すら、笑ってあしらった。
だが――
「でも親父、オレはあんたに感謝してる」
明の言葉を聞き、ペドロは唖然とした。
「親父、あんたはオレを強くしてくれた。あんたから受け継いだDNAと、あんたにさせられたトレーニングで、オレは強くなった。そのお陰で、オレは友だちを守ることができたんだ。もし、あんたがオレの親父じゃなかったら、オレは友だちを守れず、目の前で死なせていただろう。もちろんオレも死んでいた。だから、その点についてだけは礼を言う」
明はそう言うと立ち上がり、頭を深々と下げた。
「本当にありがとう。オレを強くしてくれて。あんたのお陰で、オレは友だちを守れた」
ペドロは何も言わなかった。
黙ったまま、息子を凝視していた。
「オレには今、心の底から愛する女がいる。友だちも二人いる。オレの最高の友だちだ。この三人がいてくれる限り、オレはあんたみたいな怪物には絶対にならない」
そう言うと、明は父のすぐそばに顔を寄せた。
そして言った。
「オレは人間だ。まともな人間として生きる」
「すまないが、それは無理だよ」
ペドロの表情は、また変化していた。
悲しみと哀れみが浮かんでいた。
さっきまでの非人間的な雰囲気が消え、息子を前に苦悩する父親の顔になっていた。
「お前にはオレの血が流れている。お前は普通の人間にはなれない」
「ところで鈴、普段は何してんの?」
僕は尋ねた。
鈴は暗い表情になる。
「何もしてない……ずっと寝てる」
「テレビは見ないの?」
「見るけど……何か嫌になるニュースが多いし……そういえば……」
鈴の表情が変わる。
「ねえ、昨日か一昨日のニュースだったと思うんだけど、ヤクザの事務所が襲撃されて、三人が殺されたって……これ、明じゃないよね?明から、なんか話聞いてない?」
「明がそんなことするはずないじゃん。鈴、何言ってんの」
「そう……でも変なんだ。そのニュース見たとたん、凄く不安になって……あたしの知ってる人間が関わってる気がして……あんなことできるの、明ぐらいしかいないし……」
鈴は真剣そのものの表情で、僕に訴えた。
「たぶん、明はその頃、旅行の準備や飛行機の手続きで忙しくて、そんなことやってる暇はないと思う。それに、明にはそんなことする理由がない。第一、明は今、純さんとラブラブなんだよ。リア充街道まっしぐらさ。お幸せにとしか言いようがないよ」
「なんだとおー。腹立つなー、あいつがリア充でラブラブなんて、世の中間違ってるね」
そう言いながらも、鈴の表情が少し明るくなる。
「そう、ラブラブみたいだよ。本人は言わないけど。純さんのことを聞くと、顔を真っ赤にして照れまくるんだよ」
「何それ、似合わねー」
鈴は大げさなジェスチャーで、呆れてみせる。
「なあ、鈴……今度さ、二人で明の家に行かない?」
「え……」
鈴は、また表情を暗くする。
「まあ、いつでもいいよ。僕は鈴が外に出られるようになるまで、何年でも通い続けるから」
「じゃあ、あたしが外に出られるようになったら?」
「その時は、いろんな所に行こう。明も一緒に三人で、鈴の行きたい所どこにでも……いや、純さんも入れて四人で出かけよう」
僕は、自分にできる精一杯の笑顔でそう言った。
「あんた……本当に変わったね……」
鈴は僕から目を逸らし、そう呟いた。
「うん。変わったかもしれない。でもね、変わりたくて変わったんじゃない。変わらざるを得なかったんだよ」
僕は、自分の手を見つめた。
僕はこの手で何人の命を奪ったのだろう。
「ボクサーの体がカッコいい、なんて話を聞くけど、ボクサーはなりたくてあんな体になってるわけじゃないと思う。ならざるを得ないんだよ。強烈なパンチを放つために筋肉を強化し、動きを良くするために脂肪を削ぎ落とす。結果、ああいう体になっているんだ。あくまで試合に、相手に勝つためなんだよ。別にカッコいいとか、そういう理由であんな体になってるわけじゃない」
「何言ってんのか、全然わかんないんだけど」
鈴が足で僕をつつく。
足クセの悪さだけは変わらない。
「僕も、変わらざるを得なかった、って事さ」
僕は鈴の家を出て、歩いていた。
鈴が一生あのまま引きこもりを続けても、僕は鈴の所に通い続けるだろう。
特殊な状況で結ばれたカップルは、長続きしない。
何かの映画に、そんなセリフがあった。
たぶん、それは正しいのだろう。一般的には。
しかし、僕らの状況は、あまりに特殊過ぎた。
このセリフを考えた人は、僕らのような状況を想定していたのだろうか。
それに、僕らは結ばれていないし。
僕と鈴の関係は、恋とか愛とか、そんなありきたりの言葉で語れるものとも、また違う気がする。
あえて言うなら、絆だろう。
呪われて血塗られた、忌まわしくも固い絆。
その絆は、明との間にもある。
一生消えない、三人だけの秘密の絆。
次の日の夜。
日本屈指の任侠団体幹部である片岡は、数人のボディーガードを引き連れ、廃墟と化した病院の跡地に来ていた。
暗闇の中にそびえる荒廃した病院はあまりにも不気味で、近所の人も寄りつかない。さすがの片岡も、入ることがためらわれた。
建物の周辺には、古い水溜まりのようなものがあちこちにできている。
片岡は大声で悪態をつきながら、水溜まりを避けて歩いた。
立ち止まり、廃墟に向かって呼び掛ける。
「おいこら!ちゃんと来てやったぞ!ウチの者殺した奴の情報を教えろ!どうせ隠れて聞いてんだろ!」
片岡は吠えた。
しかし、誰も返事をしない。
片岡のいる事務所に、先日殺された組員三人のバッジと名刺が送られてきたのは昨日のことだった。
封筒の中にはバッジと名刺、さらに便箋が入っていた。
『この三人を殺した人間を知っています。情報を百万で売りますよ。もしその気があるのでしたら、徳川病院の跡地に、午後十時にいらしてください』
「しかし、何じゃこの水溜まりは!今日は雨降っとらんじゃろ!何とかせえ!早く出てこい!」
片岡は、独特のダミ声でもう一度吠えた。
ボディーガードたちは拳銃の安全装置を外し、いつでも撃てるよう準備をしている。
その時――
燃え上がる何かが、水溜まりに投げ入れられた。
瞬間、水溜まりが一斉に燃え上がる。
水溜まりは火溜まりと化した。
片岡と、その周りのボディーガードは悲鳴をあげ、体についた火を消そうとする。
その時、廃墟の中から現れたのは――
幽鬼のような顔をした翔だった。
ヤクザ三人を殺し、事務所から奪った拳銃。
その拳銃を構える。
冷酷かつ残忍な表情で、片岡とそのボディーガードたちを次々と射殺していった。
抵抗すらできず、次々と絶命していく男たち。
火溜まりは、血溜まりへと姿を変えた。
全員を射殺した直後の翔の瞳は宝石のように輝き、唇には微笑みを浮かべ、表情は恍惚としていた。まるで、何かに取り憑かれているかのようだった。
翔は死体と化したヤクザの体を調べ、金目の物や現金、そして武器やケータイなどを奪った。
これで、当座の軍資金は間に合う。
そして、死体を全て廃墟に隠した。
当分は見つからないであろう。
だが、いずれは硫酸などの特殊な薬品を買い込み、溶かすつもりでいた。
死体がなければただの行方不明だと、奴らの一人が言っていたのを、今も覚えている。
翔は次の獲物の品定めをするため、奪ったばかりのケータイをチェックし始めた。
その時――
いきなり大雨が降り出した。
雷が鳴り響き、強い風が周囲の木や、廃墟と化した建物を揺らす。
まるで、悪魔が凶獣と化した翔を祝福しているかのようだった。
僕はこれからも戦い続ける。
薔薇十字騎士団を潰すために。
メンバーを殺し、その家族も皆殺しにするために。
薔薇十字騎士団と関わりのある連中も皆殺しにするために。
帰らぬ奴らの仇を討つために。奴らと交わした約束を守るために。
そして――
命を抜き取るために。その快楽を、充実感を、全身で味わうために。
だから、自分の命が尽きるまで、戦い続ける。
たぶん僕も狂っているのだろう。
でも、それでいい。
もう、普通の生活には戻れない。
戻りたくもない。
人間をやめて、怪物になる。
明のような、怪物に。