神様は、よばない
鯨佐くんが今日、次のように語った。
鯨佐くんは自称、軽い霊媒体質だ。軽いものだからあまり信用してくれるなといいつつ、ときどきSFと怪談オタクの私をも驚かすようなことをひょこりと漏らす。
神様は「呼ばない」。でもたまに呼びつけやがる。
どう違うか。
彼らは彼らの都合で人間を使うことがあるが、そこに人間側へのメリットはない。
で、もっといえば。
わたしは日本の神様というのは人格神ですらないと思っている。
だから呼ぶわけがない。
きちんとした神社は、装置だ。
このように祈ったら、このような効果があるという場である。
場のルールを感じることができ、使うことができれば役に立つ。
たまに、神社を利用してなにか人外のものが敏感な人間を遣うことがあるようだ。
人間も運がよければ神社を利用して人外のものを遣うことがある。
お互い様だ。
「勝手に乗り物に使うんじゃないよ」とは、敏感なひとのあいだで「日本の神様」について愚痴をこぼすときに共感をわかちあえることば。
乗り物につかっている人外、アフリカのネイティブならば精霊と呼ぶべきなにか。
日本語では広儀の神と呼んでもよいのかもしれないね。
でも神社という装置の、人間に役立つ作用とは別のものだ。