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 悪魔だ、と少女は思った。

 暗闇の中で揺らめく陰影は森の木々を覆い隠し悪魔のように踊っている。

 それは黒い炎だ。火の海と化した森からは黒煙がもうもうと上がり、少女の背中へ今にも襲いかかりそうだった。

 少女は村から逃げるように促され、ようやく山の麓にある小さな宿場の灯りを発見したところだった。

転がるように下山してきた少女の体力はすでに限界だ。服は破け、靴は脱げ、自慢の髪も肩口のところで焼き切れてしまっている。

 ……山道を利用すればよかっただろうか。

 少女は崩れるように倒れ込んでしまった。

 山道は通い慣れた道だった。しかし、少女は森を抜けることを優先しなかった。いや、できなかった。直ぐに森を抜ける山道をつたい下山すれば、夜闇を旋回する飛行艇にすぐに見つかっていただろう。頭上を覆う木々の屋根がなければいい標的になってしまうと、父親から注意深く言い聞かされた。その通りだった。今も飛行艇の羽音は耳にしつこくまとわりついてる。父は正しかった。まだ生きている自分の無事でもって少女はその正しさに感謝した。

 もうひとがんばりできれば戦地となってしまったところから逃げ出せる。宿場で利用している馬がまだあればもう少しはやく遠くへ行ける。なくてもそこに身を隠していればいい。そうすればきっとまた家族に会える。そうに違いないのだ。父と母と約束したのだから。

 起き上がらなければ、と少女は仰向けになる。ふと待ち合わせの時間を決めていなかったことに気がついた。ならば、はやく立ち上がらなければ両親を心配させてしまう。それに、ここに寝ていれば焼け死んでしまう。そうはなりたくなかった。

 ……やけに空が明るい。

 炎の明かりなのか、飛行艇のサーチライトなのか、柔らかな明かりが教会のステンドグラスのような円形の夜空を明るく照らす。淡い光は不思議と少女を惹き付けた。

 そして、森に静寂が訪れた。

 少女は安堵した。なぜか、その瞬間だけ戦争のない世界の中で夢を見ている気持ちになった。森は優しい光に包まれて眠りについているようだ。苦しみも悲しみも浄化されていく。そして――

 夜空に突如、一筋の閃光が迸った。一瞬間遅れてまるで嵐の夜に鳴り響く雷鳴を想起させる爆音が轟いた。波打つ突風に少女は吹き飛ばされた。少女は目をつむり歯を食いしばった。もう駄目かと思った。しかし銃弾で耕された地面がクッションとなり、少女は一命を取り留めた。

 それは飛行艇の無差別爆撃だった。

「ぜんぶ、……ぜんぶ壊すの……?」

 少女は呻いた。

 飛行艇は少女一人を追っていたわけではない。否、人間を殺していたわけではない。その土地を、文化を、文明を、生きとし生けるものすべてを奪うために破壊のかぎりをしつくしていたのだ。

 それが、長きにわたり続く同じ人間同士の争い――戦争の姿だった。

 少女の足先に長くのびる影ができていた。背中に圧力を感じた。全身に熱が行き渡る。痛みを感じることはなかった。少女はただただその熱が消滅していくのがわかった。少女の罪もない身体を消し飛ばす鋭利な金属の爆ぜる音が、流星のように降り注いだ。

「……死に、たくない」

 しばらくして、冷たい雨がふりはじめた――



 柔らかな日差しの下、遠距離乗合馬車が北へと向かっていた。

 道のない草原のなだらかな坂を一頭の馬と箱型の馬車が滑るように登っている。馬の足音も車輪の音も聞こえない。それは地面すれすれの位置を飛行しているからだ。そして操舵席には誰も座っていなかった。

 もしも誰かにこの光景を見られでもしたら、不審がられることは間違いなかった。

 しかし誰も気にする者はいなかった。見渡すかぎりの一面には、白い小さな花がぎっしりと咲いているだけだ。人の姿はおろか動物も、そして文明も、文化の欠片も、何一つ感じ取ることのできない馬車が通るには不自然な自然がどこまでも広がっているだけだ。

 王都中央庁特認政務官のロキ・アルステッデは馬車の中で眠りについていた。

 年齢は成人する前の子供と大人の境目くらいだ。寝顔からは幼さがうかがえる。ロキは学生時代に着用していたシックな制服のスカートの上に、男物の群青色の軍用ジャケットを羽織っているが女性の体型に合うはずもない。袖口を綺麗にまくり上げ、膝上まであるぶかぶかジャケットは腰の位置でベルトでしっかりと留めている。肩を覆い隠す程度のブロンドの髪の毛は軍帽の中に隠すことにしているが、椅子の上で器用に寝返りをうった彼女から軍帽がこぼれ落ちた。髪の毛が椅子の上に広がった。

 リラックスした彼女を見つめるもう一人が馬車の中の反対席にちょこんと座っていた。

 ラズリーだ。ラズリーは床に転がった軍帽を拾い上げ、ロキの顔の上に放り投げた。ロキは呻いたが、目覚めることなくまた深い眠りに戻ったようだった。ラズリーはむっつりと頬をふくらませた。

 ラズリーの見た目はロキよりも幼い。年齢でいえば十代前半か。ロキよりも色素の薄い少女の髪は腰まであり銀色だ。華奢な身体を覆い隠す鎧のような豪勢なドレスにはフリルがこれでもかというほど縫い付けられていて、雛鳥の産毛のようにまるまるとふくらんでいた。それでもラズリーの小さな身体は頼りなく、華奢に見える。

 ラズリーはロキの寝姿に一瞥を投げて、よちよちと窓に近づき、席の上で膝立ちになり、窓から顔をひょこっと出した。その行動ひとつひとつがどこかおぼつかない。そしてとてもつまらなさそうにするすると窓から小さな身体を離し、席に座り直し、むっつりとふくれた。

 少女はふるふると肩を震わせて、小鳥のさえずりのような声で怒りをまき散らした。

「うにゃあああああああああああああああああああああああッ!」

「う、うああっ!?」

 がたん、どしん、べちん、とロキは驚いて飛び起きたが、視界に星が散り床に転がった。なぜならべちんというのはラズリーの蹴りがロキの頬に炸裂した音だったからだ。頬に一撃をくらった彼女は何事かと、咄嗟に懐にさしていた小銃を引き抜き周囲を確認した。……が、馬車の中だ。特に問題はない。

 ラズリーが癇癪を起こしたことを察すると、ロキは小銃をしまい恐る恐る訪ねた。

「ど、どうしたの……?」

「どうもこうもないわよ! むきーっ!」

 ラズリーはご立腹だ。こうなってしまっては手がつけられない。ラズリーは言う。

「いったい、どれだけ馬車を走らせれば町に着くのよ! もう半日も馬車の中で座りっぱなしよ! 早朝から半日もよ!? 早朝からよ!? 半日もよ!? 腰が爆発しちゃいそうよ!」

 ロキはラズリーの腰元を見つめた。革製のコルセットがしっかりと装着されていて苦しそうだ。座っているだけでも圧迫されて大変だろう。ただ、そんなに重ね着をしているから腰に負担がかかるんじゃないのかとロキは思う。

「いたた、……もうすぐ着くんじゃないかなぁ」

 赤くなった頬をさすりながら、軍服の少女は答えた。どことなく楽観的だ。

 眉間に皺を寄せて銀髪の少女は馬車の外を指し示す。

 窓の向こうは上り坂になっていた。依然として白い花で埋め尽くされている。

 ロキは遠くに一本の大木を見つけた。その上に、低い位置に太陽があった。一瞬、すっと表情を曇らせた。

 下唇を噛んでいたラズリーは金切り声をあげた。

「これのどこがもうすぐなのよ。一面お花畑じゃないのよ。ロキ、あんたの頭の中もお花畑なの? ずっと寝てるし、本当、信っじられない!」

 ロキは視線をラズリーに戻して言う。普段の彼女の顔つきに戻っていた。

「ん、ごめんね。ラズリーが本に悪魔を記録するたびに私の精神力はごっそりと抜かれちゃうんだもん。まだ慣れてなくて……。ある程度、我慢はできるけど、馬車に戻ると安心して意識を失っちゃうんだ」

「……あたしのせいで……」

 ラズリーはあからさまに動揺した。

「こ、このあたしが悪いとでも言いたいの?」

 小さな身体がほんの少しだけ前屈みになった。

「ううん、そんなことは一言も言ってないよ」

 ロキは大きな欠伸をして、帽子を被り直した。馬車の底で膝を抱え、微笑んだ。

「ほ、本当のこと言いなさいよ」

「本当にラズリーのせいで、なんて思ってないよ」

「ほ、ほほ本当に?」

「本当に」

「じゃ、じゃあ行動で示しなさいよね!」

 差し出されたラズリーの手をロキは恭しく握りしめた。ロキの表情がふっと和らぎ、しなやかな指先に唇を近づけていく。ラズリーの頬が途端にかぁっと赤くなる。そしてそれは次第に恍惚の表情に変化した。ロキの動きがピタリと止まった。

「あら、ジャガイモのポタージュ、袖に付いてるよ」

「うにゃあ!?」

 ラズリーはあわてて腕を引っ込めた。

「このあたしがそんな失態を!? どこによ!? どこに付いているのよ!? 教えなさいよ!!」

 逆の手で手のひらをねじり返し、朝食のシミの痕を探す。

 ロキはくくっと笑った。そんなものは付いていないのだ。なんとなく、こういうときのラズリーはからかいたくて仕方がない。

 そんなことをしてしまうのは、これから起こることに対して少しでも余裕を見せたい一心なのかもしれないとロキは思う。外を見た。景色は相変わらず穏やかな日差しを浴びている。一本の大木の上には太陽がある。ロキは方位磁針を取り出して方角を確認した。それから懐中時計を胸ポケットから取り出し時刻を確認した。方角も時刻もわかりきっていることだった。だからこれは単なる時間稼ぎでしかない。

 茹でたタコのように顔を真っ赤にしてフリルの詰まった袖口を確認するラズリーは、腕の動きに合せてその小さな口もうにうにと上下左右に動いていて、とても滑稽だった。とうとう袖口にシミが一つもないことに気がつくと、今度は癇癪を起こすのでもなく、目尻に涙を溜め、ロキを困惑の表情で見つめるだけだった。

 ロキは息を飲み込んだ。表情がこわばった。

「私の顔を蹴ったから、これでおあいこでしょ」

 ロキは頬をふくらませた。ラズリーの真似だ。

「……わざとじゃないわよ」

「うん、わかってるよ」

「……怒ってるの?」

「ううん、怒ってない。私の体力が戻るのを待っててくれたんでしょ?」

 ロキは嬉しくて言い寄った。

「……う、そ、そんなことないんだから! あんたは私のものなんだから私の好きなように扱っていいのよ!? あ、あたしがそんなことするわけないんだからねっ!」

「そうだね、ごめん」

 ロキは柔らかい表情でラズリーの宝石のようなつくりものめいた瞳を見つめた。

 ラズリーはふんっと鼻を鳴らした。そして言った。

「……気がついたのね」

「うん。だって、太陽は東にあるまま。時刻は正午を過ぎている。この世界も気分転換をするにしたって人間以外の愛されるべき生き物たちが可哀相だよ。だから、結論。私たちは悪魔に時間を止められて、同じところをずっと走っているってこと」

 そう言って、ロキはラズリーの小さな手をとり、口づけをした。

 その瞬間、青白い光の輪が二人を中心に広がった。六芒星を基本形にした幾何学模様を重ねた魔方陣が展開されたのだ。空間が擦れ合い悲鳴に似た音を発した。ロキとラズリーはすでに馬車の中ではなく暗闇の中へ落ちた。ふたりを支える魔方陣が速度を上げて回転してゆく。そして、静寂と暗闇が解き放たれた。

 ぶわっと音の洪水がロキの身体を突き抜けた。まぶたを開くと、陸海空様々な景色を切り取り継ぎ接ぎされた世界が広がった。ここは、悪魔の作り出した世界だ。悪魔は人間の望みに寄り添う性質がある。しかしそれは過去の話だ。戦争が終わった世界では、悪魔はこの星に寄り添っている。この世界は星の望みを具現化した悪魔そのもの。世界の端、地平線のように広がる輪郭はあやふやで溶けた氷菓子のように深淵に向かって滴っている。それは泣いているようにも見えた。

 ロキは肌寒さを感じた。背筋があわだった。

 その雫が落ちた先に、うごめく無数の影を見た。この星の願いに反応して悪魔が顕在化しているのだ。一つ目のクリーチャーだ。下級悪魔に属するそれは一斉にロキを捉え、キキキキ……と愉快な笑い声をあげた。獲物を見つけて喜んでいるのだろう。

 この光景に慣れたものではない。瞳の奥が萎縮して激しい頭痛を呼び起こす。それ以上身体に害はなくともめまぐるしく変化する星の夢は人間ひとりで抱えて消化できるような程度の情報量ではない。精神的に消耗してしまう。

「契約の詞を……」

 ラズリーが囁いた。しかし少女の姿ではない。天使のそれに似た純白の鵬翼を羽ばたかせた彼女は、ロキよりも大人びて見える。豪勢なドレスは着ておらず、神々しい一枚布を巻いている。左手には大きな書物を開いた状態でたずさえている。

 ロキはまぶたを閉じ、その言葉をつぶやいた。

「私は世界を愛してる」

 ラズリーは呼応する。

「宜しい。ならば世界は汝を愛するだろう」

 ロキは「う、あっ」と、切ない声を漏らした。ぐ、ぐぐ……と身体の中にひんやりとしたラズリーの手が浸食する。そして、ぼこん、と艶めかしい音がした。ラズリーの手がロキの胸を背中側から突き破ったのだ。その手には淡く光る結晶が握られている。

 下級悪魔の群れが、二人に飛びかかった。

 ラズリーは凄惨に笑みを浮かべた。

 左手に持つ書物を突き出す。下級悪魔の群れがいななくよりもはやく、ラズリーは低く力強くつぶやいた。

「我の名はラズリー。ロキに寄り添う新世界の悪魔である。ロキの願いの下、貴様らは、あるべき世界にあれ、寄り添うべき者に寄り添え、それができぬなら、還るべき場所に還れ」

 結晶が唸りをあげた。合わせて圧縮した光が激しく明滅した。白紙のページに下級悪魔の群れが吸い込まれてゆく。すべてが収束するまで、あっという間だった。



 世界を巻き込んだ戦争が、一冊の本によって、はるか昔に終結した。

 それと同時に世界も終わりを迎えた。一冊の本は忘れ去られた文明の遺品だ。その名を悪魔の経典という。

 人々は悪魔の経典を偶然見つけ出した。それがいけなかった。人々は過去にその文明がその本で滅びたことを知るよしもなかったのだ。人々が悪魔の呼び出し方を知ったのは必然だった。人々は戦争や戦争後の覇権争いなどを有利に進めることに必死だったから、当時の世界は人々の欲望にまみれた願いが蔓延していたからだ。悪魔は願いに呼応する。

 人々は次第に悪魔の力を戦争に利用するようになった。悪魔は容易に人々の願いを叶えた。どんな人間のもとにも悪魔はあらわれるようになった。どんな人間も欲望のままに振る舞うようになっていった。

戦争が終結する頃には文明と自然を破壊し尽くしていた。現在、百億人とも言われた人々は疫病や飢餓が原因で数える程度しか生き残っていない。そして人々は悪魔の経典の中身を失った。悪魔を容易に使役できなくなったのだった。

 その原因は、この世界にある。

 人々に愛想を尽かした世界は、悪魔を求めた。そして悪魔もまた世界に魅せられたのだ。世界は経典の中身を取り込み悪魔の力で世界を変質させた。

 それは人間を排除するため。世界を破壊する人間以外の動植物を愛するため、世界は悪魔の力で蘇った。

 現在、唯一確認がとれている残された街は、王都だけだ。

 ロキ・アルステッデは幼少の頃から優しい子だった。何度も悪魔に襲われたこともあるが、それでも美しく蘇ったこの星を、心の底から綺麗だと思っていた。だから、こんなふうに世界を再生できる能力を持つ星に寄り添う悪魔はいい子なんだと信じてやまなかった。友達になりたいとさえ思っていた。ある日、ロキは悪魔ラズリーと出会った。

 ロキは中央庁特認政務官を勤めている。任務はこの世界を見て、報告すること。この職に就くためにロキはたいへんな努力をしてきた。

 すべてはラズリーのためだ。

 ロキにはラズリーとの約束がある。

 ロキはそれを、ラズリーも世界を愛しているから、叶えてあげたいと思っている。



 空はあかね色に染まっている。

 馬車は丘を越え、下り坂に差し掛かっていた。

 ずいぶんと遠回りをしてきた気がする。ランプの灯りに包まれた馬車内で、ロキはうつろな瞳で地図を確認していた。戦前の地図だ。

 しばらく行くと平地に出た。かつてこの一帯は交通の要所で宿場街になっていたらしい。が地図には放射状に道が記されている。ただし外を見ても面影はまるでない。背の高い様々な種類の雑草が覆い茂っているだけだった。

「ここも誰もいないよね、やっぱり」

 ロキはつぶやいてみて悲しくなった。ただ、荒れ地じゃなくてよかったと思ってもいた。なぜなら、ここには人間はいなくとも、生命で溢れているのだから。彼らにとって住み心地のいい別天地であることは間違いないだろう。

「それにしても、時間の流れと空間を歪めることができる悪魔なんているんだね。しかも下級悪魔。気がつかなかったら、厄介だったよ。ね、ラズリー……、ラズリー?」

 黒い革表紙の分厚い本の一頁を見つめながら、ラズリーはむっつりとふくれた。

「なんなのよ、もう」

「……どしたの」

 ロキは席の上でぐったりと寝そべりながら聞いてみた。ラズリーが執行する悪魔の記録のために使った体力は底を尽きかけていた。身体がとにかくだるい。

「忌々しい悪魔め。さっきの悪魔、本体じゃないみたいなのよ。ああ、忌々しい!」

 ラズリーは激昂しているのかと思えば、落胆しているようにも見えた。彼女がたずさえているのは悪魔の経典を模したものだ。ラズリーはこの新悪魔の経典に悪魔を記録し封印している。それがラズリーの目的だった。

「本体じゃない……って」

 ロキが聞き返すと、ラズリーは唇を尖らせた。

「あれは眷属だったってことよ。疲れているんだったら無駄に口を開いて聞き返さないでちょうだい」

「うん……でも大丈夫」

 ロキは小さく息を吐いた。

「眷属を作れる悪魔なんていたかしら?」

 ラズリーが本を渡してきたので受け取った。

 白紙だったページには悪魔の詳細が書かれている。

 しかし、そこの先頭に記載されているはずの悪魔の名前がなかった。

 ラズリーが落胆するのも無理はない。記録は失敗に終わってしまったのだ。

「眷属の近くにその本体がいる可能性は?」

 ロキは目を閉じて聞いた。

「あるわね。悪魔はその土地の願いに強く惹き付けられていることが多いのよ。それか、戦時中にここで悪魔が使われた痕跡があれば、そこに悪魔はいるはずよ。人の願いに惹かれたままの悪魔だってそれなりにいるわ。世界に寄り添わない悪魔だって、あ、あたしのように……い、いるんだから……」

 ラズリーはふいっと外を眺めた。操舵者のいない馬は静かに速度を落として立ち止まった。これからどうする気だと言いたげな様子でいななき身体を震わせた。

 外はすっかり夜闇に包まれていた。

「探したいけど、これじゃ無理そうね」

 月は出ているが、なんせ足下が雑草だらけだ。地面に這いつくばってかつての宿場の痕跡を探すことは到底無理だった。

 ロキはゆっくりと身体を起こした。

「地図、これをラズリーに預けておくね」

「これでどうしろっていうのよ」

「実際に目に見えなくても、地図になら、かつての痕跡は残されているよ。……ほら、ここからもっと北に行ったところに山があるでしょ?」

 ラズリーが地図を確認し終えるのを待ち、言葉を続けた。

「そこの中腹に山村があるみたい。採石場の跡もあるから、それなりに栄えたところだったんじゃないかなって。街の痕跡ならここよりもそこのほうが多そうだし、ここが今日の夜に無理なら、そこまで足を伸ばして、そこで休まない? お腹も空いたし、疲れちゃった……ごめんね」

 ラズリーはむっつりとふくれた。

「な、何を謝っているのよ!? ロキは悪くないわよ! バッカじゃないの!?」

「そうかな」

 へへっとロキは笑った。

 ラズリーの顔がかぁっと赤くなった。

「あ、あたしが今日は晩ご飯の当番をしてあげるわ! ご飯の時間まで死んだように寝ていないさい! さあ今すぐ! さあ! お昼ご飯抜きだった分、盛大に作ってやるんだから! 覚悟しなさい!」

「……だーめ、だよ。王都に戻る往復分は……残してね……」

「わかってるわよ! バカ!」

 ラズリーは席の上に膝立ちになって、保存食やその他備品をしまっている物入れをごそごそと探った。そして毛布をがばっと取り出し、ロキに投げつけようとして、ピタリと静止した。

「すぅ……すぅ……」

 ロキはすでに眠っていた。

 ラズリーは身体をぶるぶると震わせた。表情はかたい。そして、ゆっくりと席から降り、ロキの軍帽をそっと取った。金糸のような髪がふわりと舞い落ちる。

「は、禿げるじゃないの、この……この、綺麗な寝顔なのにもったいないじゃない。どこかの物好きで奇特な誰かがものすごく好きそうなマニアックな顔だけど……」

 ラズリーは軍帽を自分の頭に乗せた。

 しばらく物思いに耽っていた銀髪の少女は、はっと我に返った。

「か、風邪引いちゃうじゃない……あたしのバカ……」

 慣れない手つきで毛布を被せて、足先が出てしまうことに苛立ちやり直し、今度は肩が出てしまうことに苛立ち、ついにロキの足を無理矢理曲げた。綺麗に毛布の中にロキの身体を収め満足して自分の席に戻った。

 そして、地図を見る。

 馬がいなないた。

「そう、そこまで行ってちょうだい。あと、途中で、美味しく食べれて健康にいい山菜を摘み取りなさい。……いいわね」

 ラズリーはひとりつぶやく。否、馬と会話しているのだ。地面すれすれを走る馬が普通の馬なわけがない。馬も悪魔の一人だ。かつて新悪魔の経典に記録した北国の神話に出てくる馬の悪魔である。

「乱暴に走ってロキを起こしたら承知しないんだからね」

 馬はゆっくりと静かに走り出した。

 ラズリーはごそごそと先ほどよりも慎重に物入れを探る。そして背中に手を回して何事もなかったかのように席に着いた。ロキが寝ているのを確認すると、背中に隠した料理本をこっそりと読み始めた。


~つづく~

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