愛を失くした化け物
「化け物め」
ヘドロのようにどろりとして、頭の奥へ絡みつく呪いの言葉。
それが世界で一番愛する母親からの言葉だとしたら、どうすればいいのだろう。
答えは簡単。復讐すればいいのだ。
「私は愛していたのよ!」
家を出て、力をつけて、ふとした瞬間に戻り、母の命を奪おうと襲いかかった。完全に獣と化した私の爪は母の喉を掻き切り、それが母の最期の言葉になった。
母はなぜ、人狼の男と子どもを作ってしまったのだろう。そんな男と子を成せば、生まれてくる子は―私は―元々化け物だとわかっていただろうに。
だが母が死んだ今、この答えを聞かせてくれる人はいない。
ならば、私を作り上げたもう一人、父に聞いてみよう。
父は人狼だと聞いたが、街に溶けて暮らしているらしい。人狼であると明かさず、人間として生きているのだ。
なぜ母と父は共に暮らさなかったのか。なぜ母と子を成したのか。なぜ自分だけのうのうと生きていられるのか。
父に聞きたいことはたくさんあったが、時間には限りがあった。
私も人狼の血を継いでいるから、人と狼の姿を行き来することができる。長く森に籠り、鍛錬を続けてある程度制御できるようにはなったものの、半端者だからかだんだんと制御が効かなくなり、自分の意識下で人と狼の姿を変えられなくなってきたのだ。
今宵は月が満ちる。今はまだ太陽が空の真ん中にあるが、夜が来れば私は完全に狼となり、闇夜へ消えるか、街の警備隊に撃ち殺されるだろう。
幸いにも、父の足取りはついていた。母が送ろうとしていたらしい、父宛の手紙を見つけ、そこに書かれていた住所にやってきた。
母が住んでいた村とはまるっきり違う、華々しい生活をしているであろう貴婦人や紳士が行き交うこの街の、埃が溜まるような隅。貧乏人たちが這いつくばっているような路地の、立ち並ぶ小屋のとある扉を叩く。
「どなたでしょう」
ひどく紳士的な声が返ってきた。こんな肥溜めには似合わない、穏やかな声だ。
「あなたの娘だ」
初めて聞く父の声に、無意識に声が上擦る。
扉の向こうで、一瞬息を飲むような音が聞こえた。それから少し間を置いて、父は声を返した。
「帰りなさい。君に会う資格など、僕にはない」
「そんな場所はない。場合によっては、この街が墓場となる」
今度は大袈裟に、何かに怯えるように息を飲む音が聞こえた。
すると、鍵を開ける音がして扉が開かれた。痩せ気味で、不健康そうだがやたらと身長だけ高い父なる男は、とても悲しそうな顔を見せた。
「許してくれ」
何を許せというのだろう。
ひとまず強引に家の中に入り込む。窓を木で封じ、灯りが入らないようにしている部屋の中には、ろうそくが一本だけ灯っていた。埃っぽいせいで何度か咳き込んだが、怯えるような父の顔を見ると苛立ちが募ってきて、家の中のことなど気にならなくなった。
「何が怖い? どうしてそんなに怯える? あなたの娘だぞ」
「……復讐しにきたんだろう?」
父は、膝を崩して地面に伏した。
「申し訳ない。君に人狼の呪いを課したのは僕だ。僕が父から受け継いだ人狼の呪いを、君に課してしまった。本当は僕が抱えて、死ねばいいだけだったのに」
「……何を言っている?」
話が見えない。
「君が人狼になるのは、僕が人狼だったからではない。僕は人間だ。人狼になる呪いを受け継いでしまった人間なんだ。その呪いは、親から子へ受け継がれていく。僕は人間になれた。君に人狼の呪いを託して。だから、復讐に来たんだろう?」
「……じゃあ、母のことは愛していなかったのか?」
「…………」
なぜ答えない。それは、私が聞きたかった答えではない。
気付けば、父だった男の腹を蹴り上げていた。
「がはっ……」
「お前は母を孕ませ、その子である私に呪いを押し付け、晴れて人間の身になれたからと、街でひとり暮らしているのか?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、許してください……」
情けなく泣く大人の男に、さらに苛立ちが募る。
背中が熱い。着ている衣服が破れ、毛が逆立つ感覚があった。
「一緒に暮らさなかったのも、こうなるのが怖かったからか。私はお前が人狼だと聞いていた。人間と人狼と、半分ずつの血を受け継いでいると思っていた。だが、そうではなかったんだな」
「ご、ごめんなさ」
毛深くなった足で、机ごと男を踏み潰す。枝を踏むような感覚があったので、おそらく骨もいくらか折れただろう。
「いだああああああ!」
耳障りな声に、長く分厚くなった耳をピクリと揺らす。それから、鋭くなった爪を持つ拳で、何度も男を殴りつけた。
「私はここへ来る前に、母へも復讐してきた。母はお前と違って、愛していると言っていたぞ」
ミシミシと私の骨が鳴る。まだ夜は訪れていないのに、だんだんと背も高くなってきて、鼻も長くなっていく。そのうちに、尻尾で埃っぽい床を撫でてしまった。
「お前も言え。私を愛していると」
「がっ、あっ、あぃっ、じでっ、えっ、げっ」
「聞こえない」
夢中になって殴り続けた。拳の毛が血で染まっても、男の顔面が無くなっても、頭があった部分だけ床がへこんでしまっても、殴り続けた。
そのうちに、複数の足音が聞こえてきた。
「おい、そこのお前! 止まれ!」
肩越しに振り替えると、剣を携えたこの街の警備隊が見えた。だがみんな、足がすくんでいるように見える。
「……何の用だ?」
私が話しかけると、一番前にいた警備隊が一歩だけ後ずさった。
「な、なにか様子がおかしいと、近辺住民から通報を受けた! この化け物め! この街の法に則り、お前を処刑する!」
化け物か。久しぶりに聞いた気がするが、母に言われた時ほど悲しい気持ちはない。
むしろ、私の名に相応しいとすら思える。
「そうか。じゃあ、殺してみろ」
私が探す答えは、もう、どこに行っても見つからないのだ。
ならば、他人に呼ばれた名で生きるしかないのだろう。
私に生き方を示してくれる人は、いないのだから。




