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第十章 銭塘の血戦

 

 七日後。銭塘江せんとうこうほとりは、天地を震わせる戦鼓の音に包まれていた。


 霧の向こうから現れたのは、李嵩が送り込んだ朝廷の最高精鋭「玄甲軍げんこうぐん」十万。黒い旌旗が雲のように江北を埋め尽くし、冷徹な殺気が川面を渡って杭州城へと押し寄せる。三万の重装歩兵、三万の軽騎兵、そして無数の攻城兵器。それは江南を文字通り「圧殺」するための暴力の塊だった。


 対する杭州城の城壁に立つのは、蕭千山しょう・せんざん率いる三万の駐屯軍。そして城壁の下には、算盤そろばんを捨てて長槍を握った二万の「商人自衛軍」。


「正面から戦えば、三日と持ちませぬな」蕭千山が砂を噛むような声で呟いた。


「正面から戦うなど、最初から考えていない」


 顧雲深グー・ユンシェンは白銀の甲冑に身を包み、冷たく微笑んだ。彼の脳内では、天機システムが敵の進軍ルート、風向き、潮の満ち引き(銭塘江の逆流現象)を完全に弾き出していた。


「敵は大軍ゆえ、必ず船団を組んで一気に渡河を試みる。ならば、その『過密な兵站線』こそが最大の墓場だ。――蕭将軍、例の『水雷』の配置は?」


「完了しております。江底に沈めた五十基の鉄桶、すべて引火線の準備は万端です」


 顧雲深が仕掛けたのは、二十一世紀の化学知識と古代の火薬技術を融合させた「触発式水底爆雷」である。鉄桶の中に職人たちが総出で調合した黒色火薬と鉄片を詰め込み、防水処置を施して、敵船が必ず通る狭い水路に敷き詰めたのだ。


「来るぞ」


 朝靄を切り裂き、李嵩軍の先鋒を担う巨大な戦船数百隻が、黒い影となって江面に進出してきた。船上にひしめく玄甲軍の兵たちは、城壁の簡素な防衛線を見て、すでに勝利を確信したかのように嘲笑を浮かべている。


 彼らが江の中央、まさに「鉄の罠」の真上へと差し掛かった。


 顧雲深の手が、毅然と振り下ろされる。

「点火!」


 ---


 大爆破、そして火の雨


 次の瞬間、銭塘江が「沸騰」した。


 轟ーーーーン!!!


 天地を裂くような爆音が連続して響き渡り、十丈を超える巨大な水柱がいくつも天を突いた。凄まじい衝撃波が江面を走り、先頭を進んでいた大型戦船が、まるで玩具のように一瞬で粉砕された。

 破片と化した木片と鉄片が散弾となって周囲の船を襲い、玄甲軍の兵たちは何が起きたのかも分からぬまま、冷たい江水へと呑み込まれていく。


「な、何だこれは!? 妖術か!?」対岸の指揮台で、李嵩はあまりの光景に椅子から立ち上がり、顔を戦慄に歪めた。


 しかし、顧雲深の現代戦術はこれだけでは終わらない。


「第二段階、発動! 火矢を放て!」


 両岸の芦葦あしの茂みに潜んでいた三千の伏兵が一斉に立ち上がり、夜空を埋め尽くすほどの火箭を放った。空を覆う「火の雨」が、爆発の混乱で身動きの取れない敵船団に降り注ぐ。船の帆や木製の甲板が次々と炎上し、江面は一瞬にして燃え盛る地獄絵図と化した。


 そこへ、蘇青そ・せいが率いる五十隻の「改装商船」が突撃を敢行する。

 商船の船頭には、蘇家の資金力で急造された分厚い鉄甲が取り付けられていた。


衝角ラム突撃! 敵の脇腹をぶち抜け!」


 蘇青の毅然たる号令のもと、商船は燃え盛る敵船へと次々に激突し、その堅牢な船体を真っ二つに叩き割っていく。船尾に配備された投石機と弓兵が、狂乱に陥った玄甲軍を容赦なく射すくめた。


 ---


 ピンポイントの「狙撃」


「相叔(宰相)、敵の商船がこちらへ向かってきます! 一旦引くべきです!」

 指揮台の上で、将軍たちが青ざめた顔で李嵩に付き従う。


 その指揮台の動きを、顧雲深は見逃さなかった。

「王遠叔、集中的に『鳥銃(ちょうじゅう/火縄銃)』を構えた火槍隊を前へ。標的は、あの黒い大旗の下にいる男だ」


 顧雲深がこの七日間で最もこだわったのが、商人のネットワークを通じて江南中からかき集めた「鳥銃」の集中運用である。当時の火器は命中率が低かったが、「一斉に面で制圧する」という現代の集中射撃の概念を用いれば、確実に敵の最高指揮官を仕留めることができる。


 江岸の物陰に展開した五十人の火槍隊が、一斉に銃口を李嵩の指揮台へと向けた。


「放て!」


 ババババン!!!


 激しい銃声とともに、鉛の弾丸が雨あられと指揮台に降り注ぐ。李嵩の目の前で、彼を庇った親衛隊長が胸を撃ち抜かれて崩れ落ち、黒い大旗の竿が叩き折られた。


「ひ、ひぃっ……! 撤退だ! 全軍撤退せよ!!」


 生涯で一度も経験したことのない、凄まじい「近代戦」の洗礼を受け、李嵩は完全に精神をへし折られた。彼は贅沢な衣服を泥で汚しながら、数人の側近と共に命からがら後方へと逃げ出した。


 最高指揮官の逃亡、そして折れた軍旗。それは十万の玄甲軍にとって、完全な崩壊の合図だった。

「敗れた! 相叔が逃げたぞ!」

「退却だ! 逃げろ!」


 総崩れとなった敵軍に対し、蕭千山の精鋭騎兵が追撃の刃を振るう。黎明から始まった戦闘は、夕日が銭塘江を血のように赤く染める頃、ようやく幕を閉じた。


 留まった敵の死傷者は一万を超え、鹵獲ろかくした武器や戦船は数知れず。江南連盟の、文字通りの「大勝利」であった。


 ---


 勝利の代償と、新たなる影


 杭州城内は歓喜の渦に包まれていたが、城楼に立つ顧雲深の心は晴れなかった。

 彼の足元には、息絶えた若い自衛軍の兵士たちの遺体が並べられていた。その数、二千三百余。彼らはつい数日前まで、店先で算盤を弾き、家族と笑い合っていた一般人だったのだ。


「これが、戦争か……」顧雲深は拳を血がにじむほど強く握りしめた。二十一世紀のビジネスの世界での勝敗とは違う。ここでは、一つの決断の間違いが、人間の命を肉塊へと変える。


「殿下」


 そっと、温かい手が彼の拳を包み込んだ。振り返ると、すすで顔を汚した蘇青が、痛みを共有するように見つめていた。

「彼らの犠牲は無駄ではありません。殿下が立ち上がらなければ、江南の数十万の民が虐殺されていたのです。……私は、どこまでも貴方についていきます」


 顧雲深は彼女の手を握り返し、深く頷いた。「ありがとう、蘇青。だが、感傷に浸っている時間はない。李嵩は必ず戻ってくる。そして……」


 彼の脳裏で、天機システムの無機質な音声が、さらなる絶望のシナリオを告げていた。


 > 【システム警告:戦役「銭塘血戦」をクリア。主線任務第三章「江南拠点の確立」進捗 60%。】

 > 【次なる脅威:李嵩は敗残兵を率いて北方の拓跋宏たくばつ・こうと合流。十五日以内に、蛮族の鉄騎兵を含む「十五万の連合軍」を組織し、再び江南へ侵攻する予測。】

 > 【提示:残された時間は十五日。これより周辺の「地方軍閥」を抱き込み、真の国家規模の防衛網を敷かねば、江南は確実に滅亡する。】


「十五万の蛮族連合軍か……」顧雲深の瞳に、再び冷徹な、そして熱い光が宿る。


 一地方の防衛は成し遂げた。しかし次なる戦いは、この大夏王朝の全土を巻き込む、覇権を賭けた大決戦となる。


「蕭将軍、蘇青」顧雲深は前方の、血に染まった江面を見据えて言い放った。

「休む暇は無い。これより、冀州牧きしゅうぼく劉昌りゅう・しょうをはじめとする各地の反李嵩派へ使者を送る。大夏の運命を賭けた、真の『連盟』を築くぞ!」


 夜の帳が下りる杭州城。その灯火は、もはや一企業の存亡ではなく、新たなる帝国の夜明けを照らし始めていた。

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