第9話「勝利の代償」
走りながら、優成はスマホを握りしめていた。
呼吸が荒い。
だが、足は止めない。
「……やるしかない」
画面には、すでに新たな指示が表示されている。
即時トレード開始。
高ボラティリティ銘柄。
全資金投入推奨。
「……全部かよ」
迷いはなかった。
ここで躊躇すれば、終わる。
駅前のベンチに座り込み、スマホを操作する。
指が震える。
それでも、注文を通した。
「……頼む」
直後。
価格が跳ねる。
「来た……!」
一気に上昇。
だが、その動きは異常だった。
急騰と急落を繰り返す。
「これ……普通じゃないぞ」
まるで、誰かが操作しているような動き。
いや――
「……誘導されてる?」
頭をよぎる嫌な予感。
そのとき。
スマホに再び通知。
代償の支払いを開始します。
「……今かよ」
舌打ちする。
だが、次の瞬間。
――記憶の一部をロックしました。
「……は?」
一瞬、思考が止まる。
「何言って――」
そのとき。
頭の奥に、違和感が走る。
「……あれ?」
何かが、抜け落ちている。
確かに大事な何か。
思い出そうとすると、霧がかかったようにぼやける。
「……何だよ、これ」
焦りが広がる。
だが、今はそれどころじゃない。
チャートが大きく動く。
「くそっ……集中しろ」
画面に意識を戻す。
価格はまだ上昇中。
だが、不安定すぎる。
「どこで抜ける……」
その瞬間。
ふと、ある顔が浮かぶ。
「……誰だ?」
見慣れたはずの顔。
だが、名前が出てこない。
「……っ!」
頭を押さえる。
嫌な汗が流れる。
「やめろ……今は……!」
画面を見る。
もう判断するしかない。
「……ここだ!」
直感で、決済。
数秒後。
結果が表示される。
「……!」
利益――百三万。
「……勝った」
息が漏れる。
目標を超えた。
これで終わる。
だが――
「……何か、おかしい」
胸の奥に残る違和感。
そして、先ほどの“抜け落ち”。
「……何を失った?」
思い出せない。
それが、何より怖かった。
優成は立ち上がる。
「……行かないと」
急いであの場所へ向かう。
ビルの前。
呼吸を整える暇もなく、中へ。
階段を駆け上がる。
二階。
ドアを開ける。
「……持ってきた」
封筒を投げる。
中には、ちょうど百万円。
「へえ、本当にやりやがったか」
男は中身を確認し、満足そうに笑う。
「これで終わりだな」
「ああ」
短く答える。
「じゃあな」
男は興味を失ったように手を振る。
それだけだった。
あっさりとした終わり。
「……梨乃」
優成は振り向く。
そこにいる少女を見る。
安心したように、力が抜けた顔。
「助かった……」
その言葉に、ようやく実感が湧く。
「……よかったな」
梨乃が近づいてくる。
少しだけ涙目で、笑っている。
「本当に、ありがとう」
その顔を見て――
優成は、固まった。
「……誰だ?」
一瞬、空気が止まる。
「……え?」
梨乃の表情が凍る。
「……優成?」
「……いや」
混乱する。
「知ってるはずなんだ。でも……」
名前が出てこない。
関係も、思い出せない。
ただ、“大事だった”という感覚だけが残っている。
「……嘘、でしょ」
梨乃の声が震える。
「ねえ、やめてよ……」
目に涙が溜まる。
「冗談、だよね……?」
「……悪い」
優成は、ゆっくりと首を振る。
「思い出せない」
沈黙。
重い空気。
そして――
梨乃の目から、涙がこぼれ落ちた。
そのとき。
スマホが震える。
通知。
代償の支払い完了。
記憶ロック:維持中。
「……お前」
画面を睨む。
「ふざけてるだろ」
だが、返事はない。
ただ一つ、確かなこと。
優成は、勝った。
そして同時に――
確実に、何かを失った。




