朝守樹という人
「――つまり、黒幕は店長ってことですか?」
「黒幕だなんて、人聞きが悪いなあ」
「全て知っていた上で、裏で手を回す人のことを黒幕って言うんです!」
人の好さそうな微笑を浮かべながら、店長は手際よくコーヒーカップを拭きあげていた。その隣で同じ作業をしながら、もう何回目とも分からない追及をしている。土曜日の開店前のこの時間でなければ、黒幕の人物を締め上げることができないのだから。
そう、店長は全て知っていたのだ。朝守くんの正体を。店長は、朝守家の先代の当主と幼馴染らしい。
朝守家は平安時代から続く一族で、『妖』という化け物と唯一戦える稀有な血筋なんだそう。朝守くんはその現当主で、17歳で代替わりしたあと、3年前、数百年周期で起きるという妖の大量発生も多くの協力を得ながら抑えることができた。けれど、たくさんの犠牲者が出てしまったことで、騒動がおさまったあと、朝守くんはふさぎ込んでしまったらしい。
当然だと思う。17歳からずっと、あんな化け物と戦ってきて、この国の平穏を守ってきたということは、どれほどのプレッシャーだったんだろう。犠牲者が出たのは自分のせいだと、自分を責めてしまうのも当然だ。
「仁藤さんも、3年前の事件の後はしばらく大変だっただろう?」
「そうですねえ……あの時は、なんでこんな目に遭うんだろうってそればっかりだったけど……。あの事件がきっかけで店長とも知り合えたし、今こうしてここでバイトさせてもらってて、それが将来の目標にもつながってるから、結果オーライですかね」
3年前の連続爆発事件の被害者の会に参加した時、ボランティアで参加していた店長と知り合った。それからなんやかんやがあって、ここで働かせてもらっている。実は、あの被害者の会の運営にも朝守家が関わっていたというのだから、驚きだ。
「仁藤さんのそういう前向きなところ、とてもいいと思う。いかにも朝守家の人が好みそうだ」
「……やっぱり黒幕じゃないですか」
「確かにそう言われると……。樹くんのことを聞いた時にね、仁藤さんを思い出したんだよ。君の明るさが、彼の苦しみを和らげてくれるんじゃないかって。それに君、言ってただろう? あの時助けてくれた謎のヒーローに会いたいって」
「会いたい……というか、私はただ、お礼が言いたいなって……」
「まあいいじゃないの。丸くおさまりそうだし。ねえ、それ」
コーヒーカップを置いたあと、店長が私の左腕を彩る紅と橙の組み紐を指した。
「先代当主のご夫人も、同じものを身に着けていたよ」
「……ただのお守りって聞いてるんですけど」
「ああ、そう。それは失礼しました」
「ちょ、ちょっと待ってください。何か他にも意味があるんですか?」
「さあ?」
この組み紐は、匂いがついてしまって妖に狙われやすくなっている私の匂いを消してくれる作用がある、とかで朝守くんがくれたものだ。絶対に外したら駄目だと言われているし、私もあんな恐ろしい目に二度と遭いたくはないので、もちろん肌身離さず着けている。
お守り以外にも何か特別な意味があるっていうの?
とぼける店長を更に追及しようとしたところで、贈り主が何食わぬ顔で店に入ってきた。掃除道具一式を片手に。
「表の掃除、終わりました」
「ああ、ありがとう」
朝守くんの言葉に、店長が答えた。
バイトを辞めたはずの彼は、結局、忙しい土日だけ手伝いに来てもらうようになったらしい。らしい、というのは、私には何にも知らせがなかったから。今朝知らされてビックリ。その理由を聞いて更にビックリ。私とできるだけ一緒に過ごす時間が欲しい、とかなんとか。……あの無表情でそういうことを言われても、正直ピンと来ないんだけど……。
「あの……! 話が途中なんですが……!」
朝守くんに続いて、開店前というのに可愛らしい高校生ぐらいの女の子が入店してきた。誰がどう見ても恋する目をしている。
朝守くんは、今気付きました、という雰囲気を出しながら振り返っていた。(気配読むのが得意なんだから、絶対に気付いてたはずでしょ)
「まだ、何か?」
「あ、あの、それならわたしと……!」
「確かにお付き合いしている人はいませんが、逃がしたくない人はいます。今、全力で囲い込みに取り組んでいるところですので……邪魔をしないでいただけますか」
こちらに背を向けているので彼の表情は見えないけれど、ええ、分かりますよ。またあの不愛想で何の感情も浮かんでいませんみたいな顔をしているんでしょう。それで振られるって、あの子、心の傷にならないだろうか。
流石に見かねた店長が、ニコニコ笑顔を浮かべながら彼女に近付いて行って、一緒に外へ連れ出してくれた。
店内に漂っていた緊張感がなくなり、ふうと息をつく。
「朝守くんって本当にモテるんだね……」
「あなた以外の女性に好意を抱かれたところで、何も益はありません」
「…………そういうこと、真顔で言うの?」
「すいません、これが標準なんで」
「……まあ、もう慣れたけど」
相変わらず表情筋が仕事していない朝守くんだけれど、目線や眉の動きでなんとなく感情を読み取れるようになってきた。慣れってこわい。おもわずくすっと吹き出してしまい、そこではたと気付く。そういえば、こうして落ち着いて2人で話すことができたのは、あの夜以来だった。
「朝守くん、大事なことを言ってなかったわ」
黙々と掃除道具を片付けていた彼の背中に呼びかける。
「助けてくれて、ありがとうございました。しかも、2回も」
振り返った朝守くんの目が、驚いたように大きく見開かれた。
「3年前の時のも含めて、何かお礼をしたいなあ。大したことはできないんだけど……バイト代くらいしか自由に使えるお金ないし」
「あの、お願いがあるんですが」
「うっわ、びっくりした。え……なに?」
いつの間にかすぐ近くまで移動していた朝守くんに驚き、そういえばこの人、自分の背丈の2倍くらいあるやつに飛びかかれる身体能力だったわと思い出す。気配を消すのも気配を読むのも、得意なのは当然ってことか。
「名前を、呼ばせてください」
「名前……私の?」
気配を読むのが不得手な私でも分かる。
朝守くんが、無表情のままで緊張している。
「少しでも、あなたに意識してもらいたいんです。ただの後輩という認識を変えたいんで……」
「もちろん、いいけど……。朝守くん、ちょっと勘違いしてるよ」
「は、」
「ただの後輩なわけないじゃん。朝守くんは私の命の恩人で、憧れの人で、ヒーローなんだから」
朝守くんが虚を突かれた顔をした。澄んだ眼差しはそのまま、純粋な驚きをその瞳に映しているのが見える。
……こんな表情もするんだ。
体中にふわりと広がる優しい風を感じて、私の頬はまた緩んでしまった。あなたの色んな表情を見てみたい、と思ってしまうのは、何かの始まりなんだろうか。
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