後輩との再会
季節限定のフレーバーティ。やっぱり秋は林檎だよね。
目の前のカップに浮かぶトロトロに煮込まれた林檎の切れ端をティースプーンでつついた。
「ウチの店はコーヒー専門だから紅茶はノータッチだったけど、これはこれで良いかも」
「うーん、わたしは断然、お抹茶かな」
私の何気ない呟きに答えた目の前の友人、ゆうちゃんは、和室でお抹茶を味わっているかのような所作でティーカップを傾けていた。さすが茶道部所属。今日のお召し物も素敵なお着物姿だ。猫ちゃんと鞠が描かれていて、銀杏のような黄色や熟れた林檎のような赤色の配色でとっても秋らしい。良きかな。
「このお店に誘ってくれたの、ゆうちゃんでしょう。大学の近くに新しい紅茶専門のカフェができてるから行こうって」
「将来の夢がカフェ経営の茜に、いつものバイト先では得られない体験をさせてあげようかと思ったの。それに趣味でもあるんでしょう、カフェ巡り。バイトが休みの日は色んなところ巡ってるって聞いたような気がするけど?」
「……おっしゃる通り」
ゆうちゃんは涼しい顔をして、更にもう一口カップに口をつけると、今度は紫芋のモンブランに手を伸ばしていた。
無意識にその手を追っていると、何気ない様子でゆうちゃんが言った。
「茜、最近元気ないよ」
「えっ?」
「いつもだったら聞いてもないのに、自分の近況をぺちゃくちゃぺちゃくちゃと話すのに、すっかり大人しくなっちゃって。似合わないため息なんてついてる時もあるし。気になるじゃない、すごく」
「そんなに元気なかったかなあ……」
「やっぱりあれでしょう、あの人。バイト先の新人くんがいきなり辞めたから?」
ゆうちゃんに釣られて口元に運んでいた私のマロンケーキが、ぽろりと皿の上に転がった。
動揺した。図星だった。フォークの操作を誤ってしまうほどには。落としたのが皿の上で良かった。大粒の栗を危うく床に落とすところだったなんて、なんという不覚。
朝守くんに秘密の思い出を打ち明けた翌日、いつものようにバイト先に行ったら、店長から彼が辞めたと告げられた。
瞬時に色んな思考が錯綜した。
どうしていきなり。何かあったんだろうか。ご家族の事情か何か。
声も発さず眉をしかめた私を見かねた店長は、彼の退職理由をかいつまんで話してくれた。
曰く、もともと期限付きの雇用だったらしい。彼の本業は家業で、今は忙しくない時期だからと、彼の身内で店長の昔馴染みの方からの依頼で受け入れたそうだ。少し世間ずれしたところがあるから、社会経験を積んでほしい、とかなんとか。確かに、ぞうきんの絞り方すら知らないのは問題だろう。
本当は1年程度ということだったけれど、急に家業の方が忙しくなってしまったらしく、突然の退職になったそうだった。
「……それにしたって、一度も顔を合わせずに辞めるなんて、私を避けたんじゃないかな。店長には直接会いに来て挨拶したらしいし。……やっぱり、私のヒーロー様の話を聞いて、やべえ奴だと思われたかなあ。関わっちゃまずいって!」
「茜がガチ恋してる謎の覆面ヒーローのこと? ちょっとこじらせてるなあって思うくらいでしょう、普通。バイトを辞めるほどじゃないよ」
「が、ガチ恋って……私はそういうんじゃ……」
ゆうちゃんの指摘にしどろもどろになる。
彼女は、私の与太話を鼻で笑わずに信じてくれた10%の内の稀少な人で、話を聞いたあとの第一声が、あの人が着ていた着物の生地は何かという質問だった。
打ち明けといておかしな話だけれど、何故私の話を信じてくれたのか、聞いたことがある。曰く、他人の領域に無理やり入ろうとしない私のような人間が、他人の興味を引くための作り話をわざわざすることはないだろう、と。
とはいえ、私は一言もあの人に本気で恋しているなんて言った覚えはないのに、ことあるごとにゆうちゃんが口に出すものだから、なんとも落ち着かない。
気を落ち着かせるために慌てて紅茶を一口含んだ。あちっ。
「別にいいじゃない、バイトの一人や二人。出たり入ったりするものでしょう」
「そう、だよね。……そうなんだけど、朝守くんは初めてのバイト仲間で、色んなこと教えた後輩だったし、ようやく最近心を開いてくれたのか、話もできるようになってきたのになあって……はあ、寂しいんだろうね」
「ふうん」
「例えるなら、全然懐いてくれない猫ちゃんがようやく指を舐めてくれたのに……って感じ」
「え、猫系男子?」
「んー、見た目はどっちかと言えば熊系……? いや、狼かなあ……」
あの高身長で威圧感たっぷりの無表情は熊っぽいけれど、仕事に真摯に取り組む姿勢とか安易に慣れ合わない感じは狼っぽい。しばらく会っていない不愛想な元・後輩を思い浮かべ、その頭に熊や狼の耳を取りつけたりなどして、くすりと笑みをこぼした。
「熊か狼って、随分と戦闘能力が高そうね。――あ、あの人みたいな感じ?」
ゆうちゃんがすぐそばの窓の外を指さした。
私たちの席は窓際で、すぐ側に歩道と車通りの多い車道があって、歩道寄りの車線には、何台か車が停められていた。
「えー、誰のこと?」
「あの人よ、あの人。背の高い和服の人。和服の男性ってだけで珍しいのに、あんなにガッチリ鍛えられた高身長の人が着こなしてるのも、すごいわー」
ちょうど私たちの席から見えるところに、一時停車中の車に混じって黒塗りの高級車が停まっていた。その車のすぐ横で、会話をする男性二人。こちらに背を向ける一人は確かに、ゆうちゃんが言う通り背が高い。もう一人の壮年の男性の頭一つ分はある。
確かに、背の高さといいガタイの良さといい、朝守くんにそっくりだ。
そのことをゆうちゃんに伝えようとした瞬間、ふとその人が振り向いた。
「……朝守くん」
思わず言葉が漏れた。
驚きで目を見開く。相手の男性も鏡のように目を見開いた。表情筋が仕事していないあの無表情が、端的に驚きを表していた。
袴に羽織という見慣れない格好をしているけれど、間違いない。朝守くんだ。何日ぶりだろうか。少し疲れているようにも見える。
久しぶりに彼の顔が見れて、なんとなく安心した。そのあとで嬉しさがこみ上げてきて、思わず笑顔で手を振っていた。久しぶり。元気だった?と。
手を振り返さないまでも、手を上げるとか少し会釈するとか、何らかの反応が返ってくると無邪気に信じていた。きっと私と顔を合わせずに辞めたのは偶然で、私に対して何のわだかまりもないのだと。どこかで信じていたのだ。
そんな予想はあっさり裏切られた。朝守くんと目が合ったのは一瞬で、その視線はすぐに逸らされた。そしてすぐ、何事もなかったかのように澄ました無表情で、やつは高級車の後部座席に乗り込んだのだ。
ええ? 無視? 無視された? いま? なんで?
「……いま完全に目が合ってたよね。あの人が例の後輩くんなんでしょう、ねえ。明らかに避けられたよね、茜」
「ゆうちゃん……これ以上傷口に塩を塗り込まないで……」
「いったい何をしたらあんなに華麗に無視されちゃうわけ?」
こっちが聞きたいよ!
すっかり冷めてしまった紅茶を流し込んだ私は、やけ食いだと目の前のマロンケーキを頬張るしかなかった。
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