私のヒーロー
あの日以来、朝守くんとバイト終わりに駅まで一緒に帰ることとなった。
相変わらず仕事中はなかなか話しかける雰囲気じゃないけれど、帰り道の彼は結構会話に応じてくれることが分かり、段々と彼のことも知ることができた。
実は私よりも3歳年上だったとか。敬語やめてください、むしろ私が敬語使います!……と、かなり騒いだけれど、結局彼のたっての希望で現状通り、ということになった。なんでも、職場では私が先輩だからだそうだ。やっぱり義理堅い。
それから、昔から家業を手伝っていて大学には進学していない、とか。今は朝守くん自身が家業を担っている、とか。このカフェでのアルバイトは家業以外の社会経験のため、だとか。
「ウチの家業は……まあ、なんというか……『害虫駆除』、かな」
朝守家の家業って何?という素朴な質問に対して、朝守くんは頭をひねりながら答えてくれた。
害虫? シロアリとか?
知れば知るほど逆に謎めいてくる朝守くんは、閉店後の売り上げ計算をついに一人でやりきった。
彼が後輩になって約半年、一緒に帰るようになって1か月ほど経っていた。謎めいた後輩であろうと、この成長は紛れもなく本物で、まことに喜ばしい慶事だった。店長と二人で朝守くんをこれでもかこれでもかと褒めちぎり、次は我が店名物の美味しいコーヒーを淹れられるようになろう、と目標を確認しあったのだった。
最近の日本の気候は季節詐欺かと思うほど、残暑が厳しい。もう9月の後半だというのに、日中は太陽が張り切りすぎて地球全体がのぼせ上がってしまっている。とはいえ、バイト帰りの時間帯は大分涼しい。
夏の残り香が鳴りをひそめ、ことさらに秋を主張するかのようなひやりとした風が頬をすり抜けていく。ようやくの秋の訪れが嬉しくて、つい隣を歩く朝守くんに声をかけた。
「随分と涼しくなったねえ」
「今日、ありがとうございました」
「……ん?」
同じタイミングで話し始めたようで、朝守くんと私の声が重なった。もしかして今、お礼を言われた?
疑問符を浮かべた表情で見上げる私に気付いた彼は、まっすぐな目でもう一度感謝の言葉を紡いだ。
「計算、苦手なんです。……というより、ああいう機械全般苦手で。何度も失敗したんで……多分物覚えが悪かっただろうな、と。それなのに仁藤さん、全然嫌そうな顔せずに何度も教えてくれて……ありがとうございました」
「あー、改めて言われると、照れるね。ええと、気にしないで。私だって最初の頃、色んなことやらかして店長に助けてもらってたから」
まっすぐな感謝の言葉は、どこかこそばゆい。
照れ隠しで場を繋ぐように、深く考えることなくつらつらと言葉を垂れ流した。
「自分が失敗した時に助けてもらうと、助けてくれた人って神様に見えるよね。救世主ー!とか、『ヒーロー』!とか?」
「……『ヒーロー』」
すると、何故かヒーローという言葉が朝守くんの琴線に触れたらしく、ずいと距離を詰められる。突然のことに驚き、目を丸くした。いつの間にか二人して歩みを止めてしまっている。
「ずっと聞きたかったんです、仁藤さん。……『本物のヒーロー』って、なんのことですか?」
「本物……あ、ああ……あのことね」
すっかり忘れていた1ヶ月ほど前の失言を思い出させられ、思わず頬が引きつる。
適当にごまかすか……と一瞬頭をよぎったけれど、即座に打ち消した。この1ヶ月ほど、私の個人的な質問にも嫌な顔一つせず答えてくれていた彼に対して、不誠実な対応をしていいのだろうか。いや、よくない。
果たして彼がどこまで興味を持って聞いてきているのか測れないけれど(なんせ相変わらずの無表情)、聞かれたからには答えよう。うん、きっと朝守くんは笑わない。
心中で大層な覚悟を決めた私は、それでもやっぱり少し恥ずかしくて明後日の方向を向きながら口を開いた。
「――3年前さ、原因不明の爆発事件が頻発してたの、覚えてるかな。私、あの事件に一度巻き込まれたことがあってね……あれさ、ガス爆発とかそういうのじゃないの。見たの。……人間じゃないもの」
脳裏にあの恐ろしい記憶が一瞬蘇り、無意識に自分の腕を抱いた。
その瞬間、今度は、力強く抱き込まれた大きな手の感触を思い出し、ふっと緊張を解いて、息を吐いた。
「あれは夢じゃないと思う。もう姿形は覚えてないんだけど、とてつもなく恐ろしかったことは覚えてる。……みんな、周りの人は爆発に驚いてるだけみたいで、どんどん避難していって、でも私だけ、その変な生き物に腰抜かしちゃって、動けなくて……。それで、誰も助けてくれなくてね」
言葉にしてみると、また不意にあの時の虚しさが蘇ってくるようで、心が冷えていく感覚があった。
そんな落ち込みを振り払うように、私は顔を上げた。
「でもね、助けてくれた人がいたの。真っ黒な和服のような袴のような服を着て、黒子みたいなベールで顔を隠してたんだけど、その人、腰に差した刀でズバーっとその妙な生き物を吹っ飛ばしたの。それからすぐ、ひょいっと私を抱えてくれて、他の人が避難しているところまで運んでくれたんだ」
そして私を助けてくれたヒーローは、また現場に駆け出して行った。駆け出していく後ろ姿を思い出す。誰かに説明されなくても理解した。あの人はああいうモノと戦っている人なんだろう、と。
「あの時、あの人が私を助けてくれなかったら、今私はここにいない。爆発事故で亡くなった人はたくさんいるから、そのうちの一人になってもおかしくなかったよ。だからあの人はね、私の命の恩人で、『本物』のヒーローなの」
話し終えて、朝守くんの反応が気になり、チラチラと視線を向ける。大体この話を聞いた人の反応は、9割方が「素敵な創作ですね」という反応なんだけれど、彼はどうだろう。
「……恐くなかったんですか。そんな、化け物と闘う奴、なんて」
無表情のままの朝守くんが呟いた。
私のヒーロー様を掘り下げるとは、今までにない反応だ。意外な反応にわずかに目を見張る。
「そりゃ恐かったよ、あの化け物は。……しばらくまともに外出できなくなったんだから。でも、あの人に恐いなんて思うわけないじゃん。助けてもらったんだから。……それより、ちゃんとお礼を言えなかったことが心残りだよ。もしまた会えたら、ちゃんと伝えたいんだよね。『助けてくれて、ありがとうございました』って」
顔を隠していたから、もし街中で会ったとしても気付けないだろう。あの手の力強さや背丈から、きっと若い男性だったとは思うんだけど、それ以上の情報がないのだ。
ちょうど話し終えたところで、また私のスマホの着信音が鳴り響いた。例によって、母からだ。あの爆発事故に巻き込まれてから、少し過保護になったような気がする。
「じゃあ朝守くん、またあした――」
通話を押す前に別れの挨拶をしておこうと顔を上げると、隣を歩いていたはずの彼の姿が見えず、言葉が途切れた。
慌てて後ろを振り返るも、影も形もない。ただいつもの静かな住宅街が続いていて、背中からは駅前の喧騒が漏れ聞こえていた。
気配もなく後ろに立つのが得意の彼だ。きっとまた私の母から電話が入ったと思って、気を利かして、気配を消して先に帰ったんだろうか。
その時の私は、いきなり姿を消した朝守くんの意図を深く考えることなくそのまま帰路に着いてしまい、そのまま思い出すこともなかった。その翌日、朝守くんがバイトを辞めたことを店長に聞かされるまでは。
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