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アルバイト先に本物のヒーローがいます  作者: 桧山晶
バイトの後輩と私のヒーロー
1/9

初めての後輩

以前短編で投稿していましたが、続きを書きましたので連載版に変更しました。

またよろしくお願いします!

「本当にヒーローかと思いました、仁藤(にとう)さん」

 

 落ち着いた深みのある声がつぶやいた『ヒーロー』の単語がこの場にそぐわなすぎて、思わず吹き出してしまった。

 人の発言に吹き出すなんて、失礼なこととは分かっている。でも、だって……と、言い訳もしたくなる。身の丈180cmほどのガタイの良い男性が肩を落としてしゅんとしているんだから。

 

朝守(あさもり)くん、大げさすぎ。さあ、さっさと片付けて帰ろう」


 とっくに終業時間は過ぎてしまっている。私たちがバイトしている個人経営のカフェ店に、残業手当を大判振る舞いで支払える経営体力などないのだ。

 店のレジの前でしょんぼりしている朝守くんに明るく声をかけ、本日の売上金の計算に取り掛かる。それを見た彼も、元々のキビキビとした動きを取り戻し、テーブルの片付けや床掃除に向かった。

 頼もしくなったものだ。彼がバイトを始めた最初の頃は、ぞうきんの絞り方すら知らなかったんだから。

 

 数カ月前、店長から新しいバイトだと朝守くんを紹介された時を思い出す。

 第一に、もう一人雇う余裕あるの!?という衝撃から始まり、押しに弱いお人好し店長への心配になり(脅された?)、ニコリともせず真顔で頭を下げた、長身の厳つい男性の登場に、心配は確信となった。

 店長が突如として連れてきた新人アルバイトは、朝守(いつき)という、私と同い年くらいの男性だ。何かスポーツでもやっているのか、180cmを超える長身はひょろりとしたモヤシではなく、ちょっとやそっとの衝撃では倒れないだろうという謎の安心感のある体躯で、薄手のシャツの折り返した袖口からは、鍛えられた二の腕がのぞいていた。

 力仕事、いけそう――冷静に品定めをしつつ視線を上に上げると、一度もカラーリングしたことのないであろうサラリとした黒髪の長めの前髪の向こうから、森の奥深く静かな湖のように澄んだ眼差しで見つめられていることに気付いた。今までに会ったことのないタイプの人だ、と純粋な驚きを胸に抱く。自分を良く見せるためか、敵意はないと相手に伝えるためか、いずれにせよ初対面の人と相対する時に誰もが纏うだろう、丸い空気を彼は露ほども見せていなかった。ただそこに立っているのだ、彼自身が揺るぎない存在感を持って。

 0コンマ数秒、そんな思考がよぎったところで、この目の前の御仁が結構整った顔つき……俗に言うイケメンの部類であることに気付き、同年代の男性にじっと見つめられる経験なんてない私は、ドキマギしながら目を逸らしたのだった。


 ……とまあ、朝守くんに不覚にもときめいたいのは、この一度きりだったのだけれど。

 とんだ出オチ野郎だ。なにしろこの人、今までどうやって生きてきたんだというくらい、社会性ゼロで生活能力が著しく低いことが分かったのだ。

 

 私の人生初の新人後輩教育は、ぞうきんの絞り方からスタートした。テーブルの拭き方、床やトイレの清掃の手順と進み、ようやく注文の取り方にステップを進めたかと思ったら……彼の表情筋はセメントでも流し込まれているんだろうか。顔が恐いのよ顔が! 長身いかつめのお兄さんに真顔で「いらっしゃいませ」と見下ろされた常連のおじさまが、ぴゃっと一声鳴いて「また今度ねー!」と逃げ出していった後ろ姿を追いかけられるわけもなく……。


 最初のときめきから早数か月、ついにレジ打ちまで進んだ彼を見る眼差しは、完全に母の目線。

 ああ、こんなに立派にレジなんて打てるようになって……。

 

「仁藤さん、テーブル拭いたらびしょびしょになったんですけど……」

「……ぞうきんしっかり絞ろうね」

「仁藤さん、トイレが泡まみれです」

「……なぜトイレの壁まで丸洗いしようとしたのかな?」

「仁藤さん、このコーヒーカップの取手は着脱式なんですか?」

「…………君が壊したんだよ!」

「仁藤さん、――」

「仁藤さん、――」

 

 数々のやらかしが脳裏に浮かんでは消えた。この数か月でわたし、かなり菩薩度が上がったようなが気がする。

 とはいえ、朝守くんが単なる不愛想な非常識マンなら、早々に私の心も折れていただろう。私を菩薩たらしめたのは紛れもなく彼自身だ。何度注意しても嫌な顔せず(というか無表情で)、私の言ったことを忠実に真摯に受け入れて行動する彼を見ていたら、最初の刹那のときめきやら怯えやらが次第に溶けていき、愛すべき(少し非常識で不愛想な)後輩となっていくのに時間はかからなかった。

 

 そんな彼がちょっぴり分かりやすく肩を落としているのは、今日の閉店間際に起きた事件のせいだ。

 不愛想で威圧感すらあるような朝守くんだけれど、持って生まれた整った顔立ちのせいか、最近はやたらと女性客に注目されるようになっていた。不愛想なところが逆に良い!とかなんとか。

 そんな中、最近何かと彼に絡んできていた一人のガチ恋女性客(恐らく年上)が、帰り際の会計時に、ついに本格的なアプローチを始めたのだ。閉店間際、他の客も後ろに並んでいるというプレッシャーの中、打ち間違えてしまったレジの修正で頭がいっぱいになっている朝守くんに。

 

「今日は何時に終わるの? 近くで待ってるからこのあとどう? ねえ、聞いてる?」

 

 畳みかける女性の攻撃に、朝守くんは眉一つ動かさず、レジの修正方法を必死に思い出しながら取り組んでいた。……と、思う。なにしろ彼は無表情が過ぎて、ピンチの時も表情が変わらなすぎだから、これはあくまで私の予想だ。とまあ確証はないのだけれど、彼があのお姉さんと仲良くしたいとは思っていないんだろうなと察した私は、ずいと彼の横に陣取った。ピピピ、と軽やかにレジの修正を終わらせた私は、にこやかな笑顔でお姉さんにレシートをお渡しした。

 

「ありがとうございました! またお越しください!」

 

 うちの子にしつこく構わないでちょうだい! と、さながら外敵を威嚇する母熊のようだ。それも当然。ここまで手塩に育てた後輩。ようやくレジ打ちができるようになった後輩なのだ。

 そうして最後の客の会計を捌いたあと、朝守くんはしょんぼりしながら、ごくごく平凡な大学生のアルバイト店員である私を『ヒーロー』と呼んだのだった。


 ……ヒーローか。

 大げさだと言って笑い飛ばしたあと、宝箱に大切にしまっておいた思い出が不意に蘇り、ほんの少し胸が熱くなった。私がヒーローだと呼ばれるなんて。

 

 

 売上金の計算とホールの片づけが終わり、奥で作業していた店長に声をかけた私たちは、普段よりも15分だけ遅く職場を出た。

 住宅街にあるこのカフェ、閉店時間の20時ともなると、道行く人の姿はまばらになる。それでも、人の気配を感じられる家々の温かな灯りに見送られて帰る道が気に入っている。

 ふと、朝守くんがいつも曲がる角で曲がらず、なぜか私にくっついてきていることに気付き、はたと見上げた。その視線に気付いたようで、彼が言った。

 

「駅まで送ります。今日は俺のせいで遅くなったんで」

「え……気にしなくてもいいのに。たったの15分だよ」

「いや、それと……さっきレジでやたら話しかけてきた女性が、この辺をまだ張っているみたいなんで。遠回りして帰ります」

「そうなの?」

 

 気付かなかったなあ、と辺りを見回してみる。すっかり暗くなった周囲の道には人影は見えない。というか、なんで朝守くんは気付けたんだ?

 彼は()()()()ことが得意だ。

 店内に入ってくる前に人の気配を察知することができるし、なんならどういうわけか人物を特定しているような節がある。

 気配と言えば、彼は自分の気配も容易に消せるようだ。いつの間にか背後に立っていてビックリしたことが多々あったなと、芋づる式に朝守くんの不思議な特性を思い出していた。


「結構人通り少ないんですね、駅までの道」

「え? ああ、まあそうかな。あんまり気にしたことないけど」

「気付かなくてすみません、次からは送ります」

「ええ!? いいよいいよ!」

 

 突然の申し出に驚いた私は、勢いよく首と手を横に振った。

 確かに隣を歩いているだけで不審者を遠ざける結界の役目をしてくれそうだけど、彼の自宅が駅とは違う方向の徒歩圏内であることは以前聞いていたから、慌てて辞退する。

 

「朝守くん、優しいんだねー(見た目に反して)」

「……今、心の中で『見た目によらず』って思いましたよね」

「……」

 

 思わず口を噤む。

 気配に敏感なだけではなく、声に出してないはずの真意まで見透かしてしまう特技を持っているんだろうか。


「別に怒ってないです。……身内からもよく言われるんで、自分の無表情については自覚してます」

「あ、そうなんだ……」

 

 自覚あったんかい。つい心の中でつっこんでしまう。

 彼の無表情・不愛想問題は、今までなんとなく指摘できていなかった。無理に笑えと言うのも変な話だし、彼の笑顔を想像できなかったし、そもそもこうして、ゆっくり世間話をする時もなかった。勤務中の朝守くんは、常に仕事に一直線という感じで、雑談に応じてくれるような雰囲気でもなかった。

 ふと、今日の事件を思い出し、ぷっと吹き出しながら言った。

 

「そういえば、今日のお会計の時に話しかけてきたお客さんと対応している時、まったくの無表情だったよね。きっとピンチなんだろうなあって思ったから割り込んじゃったけど、表情が変わらなすぎて少し迷っちゃった」

「内心、どうしようかと汗ダラダラでした。本当に助かったんです、あの時。仁藤さんがヒーローに見えました。いや、救世主か」

「ぷっ……また大げさなこと言ってる!」

 

 ごく真面目な顔で大仰なことを言い始めた朝守くんの様子に、たまらず声を上げて笑ってしまった。

 きっと冗談でも社交辞令でもなく本心なんだろう。それがまた嬉しい。

 持ち上げられて調子に乗っていたんだろう――ついつい、私の口からポロリと大切な思い出が出てきてしまったのは、仕方のないことだと思う。

 

「私はね、本物の『ヒーロー』に会ったこと、あるんだよ」

 

 私がうっかりと口を滑らせてしまった発言に対して、朝守くんの反応は鈍かった。たっぷり何秒か数えたあと、「……本物?」と、訝しげに繰り返す声が聞こえた。


 朝守くんの不審げな返答に、ハッと我に返る。

 あのことを話すのか、話さないのか。それは私の人付き合いの深さを量る一種のバロメーターでもあるのだ。彼とはまだちょっとな――と思ったところで、カバンに仕舞い込んでいたスマホの着信音が騒々しく響き渡った。慌てて取り出し画面を見ると、『母』。


「え、もしもし? や、今帰ってるところだけど……あ、そっか。今日はちょっと遅くなっただけ。――うん、帰ってからご飯食べるよ。うん、え、ごめん気付かなかった」

 

 どうやらいつもより帰りが遅くなったことで心配して電話をかけてきたらしい。相変わらず心配性だな。

 母との電話を切ると、ちょうど数十メートル先に駅とその周辺のお店の灯りが見えてきて、次第に周囲もにぎやかになってきていたことに気付く。

 いつもは一人で帰る道のりだったけれど、思いのほかバイト仲間と交流を深められて良かった。会話が途中で途切れたこともすっかり忘れた私は、満足した表情で義理堅い朝守くんを見上げたのだった。

 

「ここまでで大丈夫。ごめんね、家から正反対だったのに」

「あ、いいえ」

「じゃあ、また明日!」

「え、あの……」

 

 バイト終わりの高揚感、しかも今日は後輩にたくさんおだてられて気分がよくなっていた私は、色々と見えていなかったんだろう。朝守くんが何かを言いかけていた様子とか、彼の表情とか。……いや、あの無表情から意図を読み取るのはかなり難しいか。

読んでいただき、ありがとうございます!

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