16話 選択
「姫様、大丈夫ですか?」
いつの間にかマリーベルが荷馬車から御者台へ移動していて、私の隣に座っていた。震えながら魔石を握っている私の手を労わるように包み込んでくれている。
「ええ……ありがとう、マリーベル」
マリーベルの温もりと優しさで震えが収まってきた。
「……簡単な結界を自分にしか張ってなかったんですね」
ドミニク様を見下ろしていた師匠の声がした。
「だから怪我をされたのですか?」
マリーベルが師匠に問いかける声を私はぼんやりと聞いていた。
「ああ。馬に蹴られた時に結界が破れてしまい、地面に落下した時には何の守りもなかったようだ」
「そうですか。姫様が狙いですか?」
「……わからない。ドミニク様は公爵家の人間だし、個人的に恨まれていてもおかしくないしな……」
「ああ、中級貴族や下級貴族の中には恨んでいる方が大勢いらっしゃるでしょうねぇ」
怪我人を前に緊迫感のない師匠とマリーベルの会話。その間にも地面の血は広がり続け、ドミニク様が苦しげに呻いている。私は居ても立っても居られなくなってきた。
「あの、ドミニク様は助かりますよね?」
聞いたのは私なのに、何故か師匠はマリーベルを見る。
「助ける必要あるか?」
「ありませんね。今までも散々姫様に失礼なこと言ってくれていましたし」
2人の発言にびっくりする。ドミニク様も苦しげながら目を見開き動揺している。どうやら城で私に色々言ってきた人たちの1人らしいが、私はよく覚えていなかった。でもまさか助けないという選択肢があるとは思わなかった。
「ちょ、ちょっと待って!公爵家のご子息を見殺しはまずいですよ!公爵様が何て言われるか……」
「……公爵も手に余っているのだと思うが」
「え?」
師匠が言うには、町役場に貴族である魔術師が働いているのは普通だが、上級貴族がそこで働いているのは普通ではないとのことだ。下級貴族の次男以降の者が多いらしい。
「つまり公爵は城で働かせられないと考えた。王都にも置いておきたくない。でもプライドだけは馬鹿みたいに高いから地方にも行きたがらないだろうと思い、王都に近く、2番目に大きいこの町で適当な理由をつけて働かせることにしたんだろう」
「公爵からも見捨てられているのなら、問題ないですね」
「待って……!待ってよ!」
助けない方向に話が進みそうになり、私は声を荒らげてから思わずドミニク様を見る。頭から血を流し、内臓も傷ついているのか口からも血を流す顔と目が合った。縋るような瞳を私に向け、血を流す唇が微かに震えて「たす……たすけて……」と掠れた声を出す。
今にも死んでしまいそうな様子に、私の体がまた震え出した。
「師匠……師匠なら、助けられるんですよね?」
「メルは助けたいのか?自分を傷付けてきた人を。いなくなった方が喜ぶ人が多い人を」
「……助けられるのなら助けたいです。いなくなって喜ぶ人の方が多くても、悲しむ人が1人はいると思うから……」
私だって死んだら、王族を始め喜ぶ人の方が多いだろう。でもマリーベルだけは悲しんでくれると確信してる。師匠ももしかしたら悲しんでくれるかもしれない。どんな人間だって誰かの大切な人なんだと思う。
「だから……お願いします。師匠……」
私は師匠を強く見つめる。師匠も目を逸らすことなく私をじっと見つめる。しばらくしたら師匠がため息をついた。
「……いつか助けなければよかったと思うことがあるかもしれない。それでもいいんだな?」
私は構わない。悪く言われるのなんて慣れてるし。まあちょっと腹が立つは立つだろうけど。人間なんだからしょうがない。
……ああでもそうか。
私は御者台から降り、師匠の制止を聞かずドミニク様の元へ行く。近づくと血の臭いが濃くなって死と隣り合わせの現状に怖くなる。師匠の結界がなければこうなっていたのは私かもしれない。
恐怖を押し退け、しゃがみ込み、ドミニク様としっかり目を合わす。ドミニク様の呼吸は荒く、異音がする。それでも目は生への執着を失わず、助けを求めている。
「ドミニク様、私に対する言動は別に今まで通りで構いません。ですが、師匠――フレデリック様に対する態度は改めていただきます。今からあなたを助けるのはフレデリック様です。フレデリック様への無礼は許しません!」
私はいいと思っても師匠は我慢できないかもしれない。身分が下で年が近い分、多分私よりも色々言われてきただろう。
助けるのは師匠なのだから師匠の憂いは払っておきたい。
呆然としているドミニク様に「よろしいですね」と念押しすると、慌てて「は、はい」と掠れた声が返ってきた。
私は立ち上がり、ドミニク様と私のやり取りを見守ってくれていた師匠に治療をお願いする。師匠はハッとしてから御者台へ駆けていき、ウエストバッグから紙と魔術ペンを取り出し、魔術陣を描き始めた。
あっという間に3つの魔術陣を描いた師匠は、ドミニク様の元へ戻り、1つの魔術陣に魔力を注いで術を発動させた。紙をひっくり返し、光っている魔術陣の方をドミニク様の頭の上にかざす。師匠はその状態で紙を持っているように言い、私と交代する。すぐに師匠は次の魔術陣を発動させ、今度は胸の上あたりにかざす。
「マリー!持っててくれ」
私の少し後ろに控えていたマリーベルに師匠が頼む。マリーベルは眉を寄せながらも師匠に言われた通り魔術陣を持った。最後の魔術陣を師匠が発動させ、それを右肘の上にかざす。しばらくするとあらぬ方向に向いていた肘から下が、ゆっくりと動いていき元通りになった。
……すごい。
ここまで酷い怪我の癒しを見たことがなかった私は、この光景に見入っていた。
「メル、もう魔術陣消えたぞ」
師匠に言われて視線を下げると、役目を終えた魔術陣が描かれた紙は消えていた。傍から見たら私の手は空を持っている滑稽な姿だろうと思ったらちょっと恥ずかしくなって急いで手を下ろした。




