第五話
〈自室〉
[効果音]ドンドンっ!
半分眠っていた意識が、けたたましいノックによって覚醒させられた。
【母親】
「お父さん帰ってきてるから、ちょっと降りてきなさい。」
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。真っ暗な部屋に明かりをともす。
最高学年になっても俺の進路は決まっていなかった。決めかねていた。あの日言えなかった夢を捨てることが俺にできるのか、わからなかった。
いっそのこと万能な忘却装置でもあれば、俺は何不自由なく生きられるのかもしれない。もっとも、そんなものを使う羽目になったら全力で抵抗する自信はあるが。
[効果音]ピン、ポーンっ!
チャイムが鳴った。時計を見ると既に22時を過ぎている。
こんな時間に誰だろうと、こっそり来客を確認する。
【カホ】
「……で、……です!」
【母親】
「……なの? ……だけど……。」
はっきりとした会話の内容までは確認できないが、来客の正体は分かった。
こんな時間に何の用だろうと首をひねりながらも、このチャンスを逃す手はないと傘を片手に身支度を済ませる。
【コウスケ】
「……いててぇ。」
2階から飛び降りた衝撃で少しばかり足をくじいてしまった。とはいえ泣き言もいっていられない。
親父の追求を逃れるために、この手を使うのは初めてではなかった。それゆえに警戒されるものだが、今回は突然の来客のおかげですんなりと抜け出すことができた。
俺は取り合えず林道に入った。ここなら誰かに見つかる心配はない。
【コウスケ】
「……あそこに行くか。」
飼育小屋。今まではトリジイの屋敷に逃げていたが、さすがにそろそろ場所を変えないとすぐに見つけられてしまう。
もともと選択肢にも選ばれなかった、選ぼうとしなかった場所であるが、今日のことでさすがに吹っ切れた。今更避けたって仕方がない。
それにタイムリミット、選択のときが近づいている。本当はとっくに出ている結論に、ただ自分が肯定するだけの選択が。
夜になって強くなってきた雨に打たれながら、飼育小屋を目指す。同じ場所を歩いているせいか、今日の夕方にあった出来事が蘇ってくるようである。
ひらけた場所に独りそびえる一本杉を横目に、目印になる大きな石を抜け――。
【コウスケ】
「ッ!?」
呼吸が、止まった。
一瞬向けたライトの光で見えた光景が、あるはずのないものを捉えた。
バクバクと逸る鼓動を押さえるように、今度はゆっくりとライトを向ける。
《挿絵》
大石の上に乗る小石の一枚絵。
光に照らされた大石の上には、下に葉を押さえた状態で小石が積まれていた。
【コウスケ】
「っ!」
両足で泥を勢いよく弾き飛ばし駆け寄る。
夕方ここに来た時には確かになかったものだ。つまりそのあとで、誰かが意図的にここに小石を積んだ。
それも下に葉を挟むという、昔俺が彼女と連絡するのに使っていた二人にしかわからない方法で。
【コウスケ】
「……ふっ。」
俺は、――飼育小屋に背を向けた。
同時に差していた傘とライトを手から放る。
あぁ、結局はこうなるのだろう。俺はどこまでも君を求めている。心にぽっかりと開いた穴が疼くのだ。
今度こそ伝えるんだ。君が好きだと……!
俺は全速力で駆け出した。
風も雨も闇も、全てが俺の邪魔をしているように感じる。だがそんなもの、今まで君を失って生きた数年に比べたら矮小すぎる。
大海をバケツで掬おうとするようなものだ。意味をなさない。無意味な行為。
右足の痛みなど、もはや飛んでいた。体中からあふれ出るアドレナリンが、俺の体を突き動かす。
目的地に近づくにつれて、これ以上速められない足の代わりに心臓の動きが早くなった。もはや自分では押さえることができないくらいにそれは成長していた。
【コウスケ】
「はぁっ……! はぁっ……! 確かっ、石の位置はこのあたりのはずッ……!」
辺り一面は真っ暗な闇。樹木の間から漏れる月明かりが唯一の光源だった。
そんな中、遂に見つけた。
【コウスケ】
「ッ!」
《挿絵》
秘密基地の一枚絵。
ぼんやりと、かすかにそれはあった。こんな時間にこんな場所でそれを見れば、普通は恐れるのだろう。幽霊や妖怪の類だとおののくのだろう。
だが俺にとってそれはまさしく希望だった。どこかで抱いていた偶然の重なりという最悪な結果を、もろとも崩した。
希望は確信に変わる。
ようやくだ、ようやく俺は君に伝えることができる。あの日言えなかった言葉を。
呼吸を正しながら、ゆっくりと近づく。
すると急に開けた場所に出た。
ほとんどがあの頃のままだった。拾ってきたダンボールも布もタイヤも、風化して朽ちているものの確かにそこにあった。
二人で作った秘密基地。屋根も壁もないけど、ここが俺たちの家だった。
そして少しばかり身長が伸び、大人っぽくなった君がいた。
【ユイ】
「コウ、ちゃん……?」
あぁ、良かった。本当に良かった。君にようやく出会えた。
出会えたのに、――俺の足は止まった。さっきまでやけにうるさかった心臓さえも止まったかのように静かになった。
雨の中、しかし彼女は濡れていなかった。透き通るような長い髪も、白い肌も美しさを保っている。
なぜなら、彼女の隣に立つ人間が、傘をさしているからである。
【コウスケ】
「ソウ、タ……?」