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第三話

〈林〉

【コウスケ】

「……あー、もう陽沈んじまったかなー。」


自宅にはなるべく帰りたくない。しかし、こんな田舎の山の中に雨避けになる都合のいい建物もない。


そんなことを考え人通りを避けた結果、林の中をさまよっていた。


しかし直に陽は落ちてしまう。雨だって完全に防げるわけではない。体温は確実に削られていく。


【コウスケ】

「そろそろ引き返すか……。」


左右を見渡し自身の位置を確かめようとした、その時--。


【コウスケ】

「……っ。」


嫌でも目立つ、まっすぐに伸びた大きな一本杉。その周りにはそいつが栄養を独り占めしているせいか、他の木々はない。林の中にある少しひらけた空間。


ガキの頃はこんなところさえも遊び場となり得た。ただでさえ娯楽が少ない以上、それは当たり前でもあった。


【コウスケ】

「……っ!」


俺は頭を振った。濡れた髪から水滴が飛び散る。


同時に、蘇った彼女の声と容姿を振り払う。過去を回想し思いをはせる行為に、何の意味もないということはこの数年間で嫌というほど味わっている。


だがそうして上げた顔が捉えたのは、目印としては十分すぎるほどの大きな石だった。


ついてきても勝手に迷うし、そしたら泣くし、俺の名前を大声で叫んでしまう。そんなどんくさいあいつのために俺はこの大石を利用した。


【コウスケ】

「……しかしいなくなったのは君のほうか。」


くだらない皮肉だった。数年前までは特定の石を置いていたが、それさえも蹴り飛ばした。そんなことにもはや何も意味はないと気が付いたからだ。


見る者も、ルールを知る者も、誰もいない。小さな石に込められた思いに、誰も気が付くことはない。


【コウスケ】

「……へっくしゅんッ!」


不意にくしゃみが出た。思わず身震いする。


流石に寒くなってきた。これ以上あてもなく彷徨うのはまずいかもしれない。


と、思考が傾きかけた時、しかしいいアイデアが浮かんだ。


【コウスケ】

「……あそこがあるじゃないか。」


もう少し歩けば小学校の使われていない飼育小屋がある。鍵をちょろまかすのは問題ない。少し獣臭いことを除けば雨宿りには最適だ。


――ただ一点を除いては。


あそこは、あいつと初めて会った場所だった。


だからこそ、今まで避けていた。思い出さなくて済むように、傷を広げないように自分で自分を守っていた。


だとすれば、今日はその解禁日になる。


偶然見つけたトリジイのボイスレコーダー。あそこから全ては狂いだした。


何度も忘れようとした。何度も自分を戒めた。勝手に思い返しては何度も傷口を広げてきた。


絶望と希望を繰り返し、それでもとそれでもと立ち上がる己に奇跡を願った。


それを少しずつ少しずつ、時間をかけ沈め押さえ殺した。もう終わったのだと。


つまり、つまり今日なのだろう。君の跡を追うのはこれが最後。今日限りで、俺は君に別れを告げる。


世界の最端、奥底へと押しやった泥のような感情を今日、消し去る。


そうすれば進路も決まる。親と揉めることもなくなる。学園だって、俺は“上”の人間なのに“下”の学園に行っている裏切り者だが、まあ最低限楽しめるだろう。


そうした脳内会議は、


《挿絵》

窓に明かりがついている一枚絵。


――一瞬で崩れ去った。


【コウスケ】

「ッ!」


俺はその弱光に向かって全速力で駆け出した。


そう、つまるところこの決断はただ単純に、都合が良かった。まるで世界が背を押すかのようにここまで導かれた。


生き疲れていたのかもしれない。世界の決定だから抗えないと、勝手に決めつけていたのかもしれない。


だからこそ、その決断と意志は脆い。


滾る感情に、迸る愛情に打ち砕かれる。真の強さとは、そんな外堀から埋められるものではない。


湧き出で、止まることを知らず、誰にも有無を言わせない。一切を無にする。


鬼神も物の怪も、ただ黙りこくって見送るしかない。太刀打ちなど、出来ようはずがない。


最初に飛び込んできた情報は光だった。


飼育小屋に明かりが灯っていた。つかないはずの、ついているはずがない、ついていてはならない明かりだった。


風とともに林を抜けた。すると同時に、バケツをひっくり返したかのような雨が地を打った。


林の中にいて気が付かなかったのだ。僅かな時間でもはや土砂降りと呼べるほどまでにそれは成長していた。


【コウスケ】

「っ!」


しかし、そんなことなどに俺の関心は一切向かなかった。


なぜなら同時に見つけてしまったからだ。ここにあってはならないものをもうひとつ。


《挿絵》

ぬかるみに足跡の一枚絵。


足跡だった。こんな時間にわざわざ遠回りの林を抜け、使われていない飼育小屋まで来る人間に心当たりはない。


(……君なのか?)


俺は再び駆け出した。別れを告げに来たはずなのに、君の影を必死で追った。


雨に濡れる髪も、重くなる服も、地面を蹴る度に跳ねる泥さえも、今はどうでもいい。


足跡は飼育小屋まで続いていた。明かりは灯っている。


君が、そこにいる。


俺はドアを開けた。


〈飼育小屋〉

【???】

「っ! ……コウスケ、さん?」


【コウスケ】

「あっ…………。」


一人の女性がいた。澄んだ瞳は美しく、長いつややかな髪は――彼女によく似ていた。


彼女の、妹だった。


【カホ】

「ど、どうしたんですか、そんなに慌てて……。あっ、私はただこの子たちに餌を上げようと思って……。」


足元を見れば、子犬が一匹寒そうに震えていた。


【カホ】

「前に拾ったんですけど、家では飼えなくて……って、びしょびしょじゃないですか! 今、ハンカチを……!」


馬鹿だった。なぜ君がいると思ったのだろう。思ってしまったのだろう。


俺は脆かった。


【カホ】

「っ! ……もしかして、泣いているんですか?」


しまったと思ったときは既に遅かった。


【コウスケ】

「は……はは、まさか、ただの雨だよ、雨。ちょっと走ったからね。」


【カホ】

「でも…………。」


【コウスケ】

「明かりが見えたんで、ちょっとね……。それじゃ、急ぐから……。」


そう言って俺は背を向け、開いたままだった扉から外に飛び出た。


雨脚は弱まっていた。それなのに雨は俺の失態を責めるように、何度同じ過ちを繰り返すのだと、希望は絶望の糧でしかないのだと、強く打ち付けた。

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