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スターゲイザー 1

 午前二時、僕は真っ暗な部屋で頬杖をつきながらパソコンを弄っている。特に作業をしているわけではない。まだベッドに入っても眠れないからこうしているだけだ。ブルーライトの影響でさらに眠りづらくなるのは百も承知だ。


冬休みが終わっても学校には行かず、昼間に起き、自宅に篭って読書やスマホでソーシャルゲームをやっているだけなので眠れないのも無理はない。ここ一ヶ月、こんな怠惰な毎日を送っている。


 昼夜逆転というのは恐ろしいものでなかなか治そうと思っても治らない。夕方以降のカフェインをやめてもヒーリングミュージックを聴いても無駄だった。眠らないといけないと思うと不安になって余計に目が冴えてしまう。だから僕は開き直って夜に眠らない選択をした。


 どうせ学校には行かないのだから眠らなくても良いのだ。


いつも通り、怠惰なルーティンをこなしているとボンと低い衝撃音が聞こえてくる。僕はカーテンと窓を開けてベランダに出る。そこには少年野球で使われる軟球が転がっていた。そして、欄干に手をついて下を確認すると僕は目を見開く。


そこにいたのは街灯に照らされた幼馴染の松川まつかわ明里あかりだった。温かそうな灰色のダッフルコートを着ている。彼女は出てきた僕を見上げて嬉しそうに笑う。


幼馴染の彼女は高校からこの街を出て遠くに行ってしまったので会えていなかった。それにしてもこんな時間にどうしたのだろうか。


僕は首を傾げながらもスマホと財布を持って灰色のパーカーに黒のチェスターコートを羽織って部屋から出る。親に気づかれないように足音に注意しながら階段を降りてフローリングの廊下を歩き玄関の扉を開けて外に出る。冬の冷たい風が頬に当たりヒリヒリと痛かった。


「夜にごめんね」


僕の顔を見るなりすぐ申し訳なさそうに明里は言った。


 久しぶりに会った彼女は相変わらず綺麗だった。女子にしては高い背に端正な顔立ち。月光が照らす艶のあるストレートな長い黒髪に雪のように白い肌。小さな桜色の唇が三日月のように微笑んでいた。


「久しぶりだね、歩あゆむ。元気にしてた?」


 照れたように笑いながら聞いてくる彼女に僕は溜息を吐く。


「それはこっちの台詞だ。僕との約束をすっぽかして勝手にどっか行きやがやって。まったく明里は昔から僕を振り回すな」


 困ったように笑ってから彼女は手を合わせ謝る。


「ごめん、ごめん。色々あってさ。でも良いでしょ、こうやって戻って来たんだから」


 別にもう怒ってはいない。今、会えているだけで十分だった。ただそれを素直に伝えるのは癪なのでぶっきらぼうに言う。


「まあ、良いけど。それで今日はこんな夜遅くにどうしたんだ?」


 寒空の下、今の明里の家から僕の家まで歩いて来るのは大変だ。それもこんな遅い時間に。今ではないといけない重要な用事があるのだろうか。


 明里は苦笑して口を開く。


「なんか歩が元気なさそうだったから来てあげたんだよ。感謝してね」


「やけに上から目線だな」


 僕が言うと明里はクスッと笑う。


「だって私の方が上でしょ」


 ぐうの音も出なかった。勉強も運動も人付き合いも明里の方が僕より何倍もできていたからだ。そんな彼女は僕に未だに関わろうとしてくれる。幼馴染だからだ。


「あと私、朝とか昼間が苦手になってさ。今の方が動きやすいんだ」


 まさか彼女も昼夜逆転していたとは驚きだった。スマホの普及やストレスなどが直接的な原因だろうが幼馴染だからこんなところも似てしまうのかもしれない。


 もしかしたら明里も学校には行けてないのではないかと思った。だけど流石にそれは聞けない。聞いてしまったら何かが終わるような気がするからだ。


「私がいないと歩、あまり外にも出てないんでしょ? 運動不足解消に付き合ってあげようかなと思ってさ。優しいでしょ、私」


 運動不足なのは事実なので僕は頷くことしかできない。


「それなら僕もまだ眠れないし寒いから少し歩くか」


「うん、散歩しよう!」


 明里は嬉しそうに頷き、深夜、幼馴染との散歩が始まる。


 静謐な夜の街を少ない街灯を頼りに僕たちは歩く。道路には僕たち以外の人や走っている車もなく世界に二人しかいないような錯覚をする。


真っ暗な空には煌々と光る満月や星が浮かんでいる。


 明里は夜空を見上げてなんでもないように呟く。


「月が綺麗だね」


「……そうだな」


 僕は共感する。


夏目漱石が英語のアイラブユーを月が綺麗ですねと訳したのは有名な話だ。それなのに明里はその言葉の意味がわからないようで僕だけが内心ドキドキしていた。


彼女は首を傾げて聞く。


「どうしたの?」


「なんでもない」


「そう、それなら良いけど」


 こっちとしては全然良くないが明里らしいなと思う。


 相変わらずの彼女に僕は溜息を吐く。


「もう人を呼ぶ時に軟式のボールを家に投げるなんてことするなよ。窓ガラスが割れたら修理に金がかかるんだからな」


 幸い窓ガラスは割れなかったので今回は良いがこんなことを続ければいずれ割れる。だから注意しているのだが彼女は聞く耳を持たない。


「じゃあ、今度はドアに投げるよ」


「投げるのをやめてくれ!」


「インターホン押して良いならそうするけど?」


 明里は強気に聞いてくる。


 夜中にインタホーンを押されれば一階の寝室で眠っている両親を起こしてしまいかねないので僕は悩む。寝不足で仕事に支障をきたしてしまえば責任が取れない。そして、こほんと咳払いをしてから結論を出す。


「……優しく、優しくだからな」


 大きな音で長い時間鳴るインターホンより一回の鈍い衝撃音の方がマシだと思い妥協してそう言った。


「優しくなら硬球にしようかな」


 ボールを弄びながら僕の気持ちも知らずに悪戯っぽく彼女は呟く。


「窓ガラス割る気満々じゃねえか!」


「声がうるさいよ。何時だと思っているの?」


「明里が悪いのに酷いな」


「大声を出したのは歩でしょ?」


 彼女は昔からそうだった。怒られることをしたのが明里なのに僕が代わりに怒られる。そんな様子を見て彼女がケラケラと僕を笑う。それでも許せてしまうのは彼女の笑顔が世界中の誰よりも可愛くて美しいものだからだ。


 そして、いつも彼女には敵わないと思ってしまうのだ。


「なに、人の顔をジロジロと見て。惚れた?」


 惚れたかと聞かれたらずっと前から惚れている。でもそれは人としての話だ。異性としては意識しないようにしている。僕なんかが意識しても迷惑なだけだから。


 僕は首を横に振って答える。


「違うよ。明里は昔から器用な子だったなって思っただけだ」


 それに比べて僕は昔から不器用だった。人よりも何かを覚えることに時間がかかっていつも明里に馬鹿にされていた。人間関係も下手で明里以外の友達もいない。


「私、天才だからなぁ」


「嫌味かよ。まあ、否定はできないけど」


「えっへん」


 わざとらしく明里は胸を張る。女性らしい体つきが強調されて僕は慌てて目を逸らす。意識しないようにしても意識してしまうことは多々ある。


「どうしたの?」


 聞いてくる彼女に僕は頭を振り、煩悩を消し去って平然とした態度で言う。


「なんでもない」


 幼馴染をそんな目で見るのは罪悪感がある。彼女と僕は釣り合わない。そんなことはわかりきっている。だから僕はこの関係性を変えようとしてはいけないのだ。


 吐く息が白いことに今更気づく。昼間でも冷えるのに夜中になれば尚更だ。僕は隣に歩く明里に聞く。


「寒くないか? なんか温かい飲み物でも買ってこようか?」


「奢り⁈」


 明里は目をキラキラと輝かせる。その反応に僕は苦笑しつつ首肯する。相変わらず現金な奴だ。それでも憎めないのが明里の凄いところだ。


「やった!」


 明里はガッツポーズをしている。


「喜びすぎだろ。じゃあ、コンビニあるからそこで買ってやる」


 急に彼女は道の真ん中に立ち止まる。


「どうしたんだ?」


僕が聞くと明里は目尻を下げて口を開く。街灯に照らされた彼女の顔が大人びて見える。


「歩はいつも優しいね」


 頭を撫でられるような声音でそう言われた。


 僕は苦笑して言葉を返す。


「飲み物くらいで大袈裟だな」


「そうだね、大袈裟だったね」


 明里は目を細めて弱々しく笑い寂しそうに言った。




 深夜でも煌々と電気がついているコンビニに着き、僕は自動ドアをくぐり店内に入る。高い音の独特なBGMが流れる。店内に入ると店員に怠そうに「いらっしゃいませ」と言われる。夜勤で大変なのだろう。店内には僕の他には立ち読みをしている客だけだった。


明里は店内には入らずに外のベンチに座って待っている。店内の方が暖かいから入ればと誘ったが断られた。


 生活リズムが狂っている僕にとってコンビニは入りやすかった。二十四時間やっているからか、こんな自分でも受け入れてもらえているように思えた。


 店内をぐるりと回り、飲み物コーナーでホットの缶コーヒーとペットボトルの紅茶を手に取りオレンジ色のカゴに入れた。


それをレジで精算してコンビニを出る。決済はスマホでして、レジ袋は断った。最近はレジ袋を貰うのにも罪悪感があるからだ。


 コンビニを出て外のベンチで座って待っていた明里にペットボトルの紅茶を手渡す。


 明里は温かいペットボトルを弄びながらお礼を言う。


「わぁ、温かい。ありがとう!」


「どういたしまして」


 礼儀正しくお礼を言われたので僕は妙に恥ずかしくなる。


 紛らわすために僕はベンチに座って缶コーヒーのプルタブに親指をかけて勢いよく開ける。コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。それを口に運ぶが一口飲んでとても熱かったので少し冷ます。隣で明里もペットボトルの蓋を開けて飲む。


「美味しい」


 彼女は嬉しそうに呟いた。


「それは良かった」


 別に僕のおかげで美味しいのではなく企業努力のおかげなのだが彼女に喜ばれてとても嬉しい。


 誰かとのんびり過ごす時間は久しぶりに感じた。


「……最近、学校はどう?」


 明里が唐突に聞いてきたので僕は戸惑った。最初は不登校なんて情けない自分を幼馴染に伝えたくないと思った。だけど彼女に嘘は吐きたくないので正直に話すことにする。


「実は僕、最近学校に行ってないんだ。……不登校になった」


 話してしまえばただそれだけのこと。だけど社会から外れたことを自分の口から言うのは辛かった。そして、彼女に幻滅されそうで怖かった。


「……そうなんだ」


 明里はそれ以上何も言わずに優しい目を僕に向けてくれている。


 彼女は僕が学校に行かない理由を聞いてこなかった。気を遣ってくれたのだろう。彼女こそ優しい人だと思った。


「ごめんね、歩」


 明里がなぜか僕に謝ってきた。彼女が謝ることなど何一つ思い浮かばないのに。


「なんで明里が謝るんだよ。……全部、僕が悪いんだから」


 不登校になったのは自分が弱かったからだ。彼女は関係ない。


 話題を変えたかったのだろうか、明里が口を開く。


「紅茶、美味しいよ。飲む?」


 ペットボトルを向けられるが僕は断る。ただの幼馴染なのでそういう行動は避けるべきだと判断した。


 明里はペットボトルをまじまじと見てから苦笑して言う。


「気にしなくて良いのに」


 そんなことを言われても異性である以上は気にはなってしまうものだ。


 僕は少し冷めた缶コーヒーに口をつける。苦さが口の中に広がる。夜に飲むコーヒーの味は昼間に飲むコーヒーとは少し違う気がした。


「コーヒー、苦手だったのに飲めるようになったんだ?」


「ああ、飲めるようになった。……この苦味が必要になったんだよ」


 不登校になってから甘いものより苦いものを好むようになった。多分、自分自身を戒めているつもりなのだろう。こんなことで解決などしないのに。


「大人になったんだね、歩は」


 自分はそうではないと言うように彼女は言った。


 僕からしてみれば明里はずっと前から大人だったような気がするが彼女がどんな大人を目指しているのかはわからない。理想が高い分、僕より大人になることのハードルが高いのは確かだ。


 明里は微笑んで言う。


「私は苦いのが無理だから紅茶にしてくれて良かったよ」


 ああ、美味しいと彼女は呟く。


「それなら良かった」


 彼女の笑顔を見て僕はホッとしてから冷めきったコーヒーを呷った。




 店員に嫌な顔をされながらコンビニのベンチで長く話してから僕の家まで戻って来た。


スマホで時間を確認すると午前三時を過ぎていた。明里はこの時間から家に帰るのかと心配になったが明里が大丈夫と言ったので送ることはしない。したくても今の僕の体力ではできない。既に大腿筋がプルプルしている。情けない話だ。


「散歩も馬鹿にしちゃいけないね。結構、楽しかったよ」


「今まで馬鹿にしていたのかよ。散歩は趣味にしている人も結構多いぞ」


「なんで少し怒っているのよ。歩はそもそも歩いてないじゃない。名前が歩なのに」


 僕の名前を弄ってくる明里は心底楽しそうだった。彼女の笑顔を見ているとこっちまで楽しく感じる。不思議なものだ。


「馬鹿言ってないでさっさと気をつけて帰れ」


「心配してくれるなんてやっぱり歩は優しいねー。紳士だ、紳士」


「そういうのは良いから、真っ直ぐ帰れよ」


「はーい」


 ふざけた返事をする明里に僕は溜息を吐く。僕は本気で心配しているというのに彼女はいつもこんな感じだ。


「じゃあ私はこれで。また明日ね、歩」


「明日も来るのかよ」


 僕はまんざらでもない様子で言った。明里とまた会えることが素直に嬉しかったのだ。


 明里は首を傾げて聞く。


「嫌なの?」


「嫌ではないけど大変だろ?」


 明里は首を横に振ってから微笑む。


「大丈夫だよ」


 僕を安心させるように明里はハッキリとそう言った。


「でも、これ以上は歩に悪いから帰るよ。歩、ちゃんと寝なよ」


「言われなくてもそうするよ」


「そっか。それなら安心」


 彼女はバイバイと手を振る。僕も手を振り彼女と別れる。


 僕は家の扉を開けて靴を脱いだ。両親に気づかれないよう足音に注意して階段を上がり自分の部屋に戻る。


 部屋の窓から下を覗いたがもう明里の姿はそこにはなかった。


「夢じゃないよな」


 僕はそう呟いてからベッドに入った。

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