9. 二人きり
父は打ち合わせやらなにやらあるそうで、先に馬車に乗ってリーブリング礼拝堂に向かって行ってしまった。
私たち四人は、用意された馬車に画材と二人の荷物を詰め込む。すべてを積み込んだあと、最後にロイドとフィンが乗り込んだ。
荷物がけっこうあるので二人は荷台のほうには乗れず、御者台に寄り添うように乗らなければならなかった。
「先生は、どうして大きいほうの馬車で行ったんだろう……」
がっくりと肩を落としてロイドがごちる。
どうしてもなにも、どうせなにも考えずに乗って行ったに違いない。
「快適な旅……ではなさそうね」
乗り切らなかったトランクが御者台に追い出されたせいで、ぎゅうぎゅうにくっついて座る二人を見て、少し同情した。
「可愛い女の子が隣なら、快適なんだろうけれど」
フィンがそう軽口を叩く。
「じゃあ私が変わってあげましょうか? ぜひともそうして欲しいのだけど」
私がそう腰に手を当てて胸を張ると、ロイドがこちらを指さしてにやりと笑う。
「可愛い女の子って言っただろ?」
「当てはまっているじゃない」
「言うねえ」
私の返事に、ロイドもフィンも声を出して笑った。
「行ってらっしゃい。お土産話、期待してるわ。ちゃんと見てきてよ」
そう声を掛けて手を振ると、二人が手を振り返す。行けないけれど、せめて修復に携わった二人の話はしっかりと聞かなければ。
ロイドが手綱を操ると、馬車はゆっくりと動き出した。
それを見えなくなるまで見送ると、横に立つ人を見上げる。
「今日は画材の準備だけだったから、来なくても良かったのに」
「邪魔だった?」
セウラスは少し首を傾げて問うてくる。
「いえ、助かったけど」
「ならいいじゃないか」
やはり男の人が一人いるのといないのでは全然違う。予想よりは早く準備が進んだ。
荷物を運ぶという力仕事には、やはり男の人のほうが役に立つ。
よたよたと重い木箱を運ぶ私の手から、「運ぶよ」と軽々とそれを持ち上げられてしまえば、今回の仕事に連れて行ってもらえなかった理由が嫌でもわかる。
それを補って余りある実力を手に入れなければならないのだ。
「でも父……先生もいないし、なんの勉強にもならなかったんじゃない?」
「そんなことはないよ。準備を見ているだけでも勉強になる」
「ならいいけれど」
ふいにセウラスは、ぽんと手を叩いた。
「あ、そうそう」
「なに?」
「ひとつ、羨ましがられることがあるから、先に言っておくよ」
「え?」
「修復が終わったら、一般の国民たちに開放する前に視察に行くことになった」
「ええっ!」
思わず大きな声が出た。
「いいなー!」
私の反応に、セウラスは面白そうに口の端を上げた。
結局、行けないのは私一人ではないか。つまらない。
ぷう、とわざとらしく頬を膨らませると、彼は私の頭を軽くぽんぽんと叩いた。
「役得だよ。それくらいは許して欲しい」
「まあ……芸術の国にするっていうお役目があるものねえ」
「そうそう」
彼が笑うので、私も笑ってしまう。
「ねえ、開放する前って、足場は組んだままのとき?」
「それはわからないけれど、たとえ組まれていても、上らせてはもらえないんじゃないかなあ」
彼は、うーん、と唸って腕を組み、そう答える。
「どうして? どうせなら近くで見たいでしょう?」
「そうだけど、危ないから」
「危ないって……」
宮廷画家やその弟子たちが上った足場。そりゃあ危なくないとは言わないが、そんなに神経質になるほどのことなのか。
「万が一、私が怪我をしたら、責任問題になる」
その言葉に絶句する。
責任問題。なんだか急に話が大きくなった気がした。
彼は王子だから。もし万が一、足場から落ちでもしたら。絶対に足を滑らせない、足場が壊れることはない、なんて誰にも保証できないから。
「なんだか……」
「うん?」
「なんだかつまらないわね、王子さまって立場は」
私の言葉に、セウラスは苦笑する。
「そうだよ。つまらないよ、王子なんて」
答える彼の表情に影が差したような気がしたから、私は慌ててはしゃいだ声を上げた。
「でも開放前に見られるなんて、本当に羨ましいわ!」
「そうだね。そういうのは、いいかな」
そう応えるセウラスの表情は、けれどやっぱりなんだかつまらなそうに見えた。
彼はふいにこちらに振り向いて告げる。
「今日はこれで帰るよ。視察の打ち合わせとかもあるから」
「わかった。明日からは来る? 先生も皆もいないけれど」
「アメリアがいるんだろう? 来るよ」
暇があるなら絵筆を握る私を尊敬する、と彼は褒めてくれたが、私も毎日王城から馬で通ってくるセウラスを尊敬する。私たちは住み込みだから、その点は楽だ。
国王の命で弟子入りしたとはいえ、彼は真面目に絵の勉強に取り組んでいるように見えた。
王城での彼がどうかは知らないが、きっと公務もあるだろうに。
「じゃあ、二人がいない間に上達しておきましょう」
「ロイドとフィンが、礼拝堂に行ったことを後悔するくらいに?」
「ええ、そうよ。驚いて欲しいわ」
そんなことをじゃれ合うように話してから、厩舎に向かう彼に手を振った。
明日からはなにを描こうかしら、と考えながら屋敷の中に入る。
そのときふと思った。
すると、明日からは工房で二人きりになるのか。少し緊張する。
いや、なにを考えているんだろう。なにを意識することがあるのか。
集中しなくては。セウラスはともかく、私は本当に二人を後悔させてやるくらいでないと。
無駄にする時間など一秒たりともない。私は宮廷画家になるんだ。
そう気合を入れ直すと、私は工房に向かった。