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8. 女性初の宮廷画家

 私はふいに語られた厳しい言葉に、なにも言い返せずに立ち尽くす。

 でも、今は、そんな気分じゃ、今だけは、どうせ、今描いたって。

 頭の中に数々の言葉が浮かんだが、それらはすべて言い訳にしか過ぎず、彼の瞳の力に敵う気がしなかった。


「私は」


 セウラスが、いつものような穏やかな表情に戻って、口を開く。


「正直、生意気なことを言うものだと思っていたけれど」

「生意気……」


 そんな風に思われていたのか。にこやかな笑顔の裏で。まったく気付かなかった。

 

「けれど君は、私が見ている限り、本当に暇があるなら絵筆を握っていた。一心に絵を描いていた。そんな君を尊敬もしていた」


 柔らかな声音。耳から心の中に染み渡るような。


「だから君だけは、それを言う資格があるのだと思っていたのだけれど?」


 でも今は。

 当たり散らして。逃げ出して。こんな情けない姿を見せて。するべきことは、こんなことではないはずなのに。


 今の私は彼から見れば、生意気なだけの小娘だ。

 恥ずかしい。恥ずかしいのだけれど。

 でもどうしても、悔しさを抑えることができなくて。

 堪えきれずに、涙が一筋、頬を伝った。


「あ……」


 泣いてはいけない。弱い姿を見せたくはない。けれど流れてしまった涙は、どうしようもなくて。

 けれどセウラスは、こちらに近寄ると素早く手を伸ばしてきて、指で涙を拭った。


「泣かないで」

「……泣いてないわ」

「そう」


 そのあからさまな嘘に、彼は小さく微笑んだ。

 セウラスの指先が頬に心地いい。

 せめてこの人にだけは尊敬される自分でいなければ、と思う。思うのに。


「……悔しい」

「うん」


 でもまだ、心が追いつかなかった。

 今だけ。少しだけ。ちょっとだけ、弱音を吐いてもいいだろうか。

 その優しい指に、甘えたい。


「女っていうだけで……」

「そうだね。けれど今回は仕方ない」

「わかってるわよ。でも悔しいの」


 自分ではどうにもならないことが理由だった。それがひどく理不尽に感じられた。


「私、好きで女に生まれたわけじゃないわ」

「私も、好きで王子に生まれたわけじゃない」


 その言葉に、私は顔をゆっくりと上げる。

 その動きに呼応するように、彼の指が離れていった。

 彼はこちらをじっと見つめている。

 思わず、目を逸らした。


「……そう、そうよね……ごめんなさい」

「謝ることでもないけれど」

「いえ……ごめんなさい」


 私は、彼が今回の仕事に携われなかったことを、どう思っていた? セウラスを連れて行けない、と父が告げたとき、私はなんと思った?


 王子だから仕方ない、当たり前だ、と思ったのだ。なにも疑問に思わなかったのだ。


 自分だけが理不尽な扱いを受けたと、駄々をこねた。

 目の前に、自分ではどうにもならないことで今回の仕事から外された人がいたというのに、気付きもしなかった。


「ねえ……行きたかった?」

「リーブリング礼拝堂?」

「そう」

「それは、もちろん」


 そう頷いて、セウラスは少し皮肉げに口の端を上げた。

 天井画であるという性質上、間近で見る機会など、もうないと言ってもいいだろう。

 そして修復とはいえ、自分の一筆があそこに残る機会も、もうない。


「私も、行きたかったわ」

「だろうね」


 だからといって、二人で傷を舐め合ってもなんにもならない。彼も私も、そんなことは望んでいない。

 どうしたら連れて行ってもらえたのだろうか。

 女でなかったら? 王子でなかったら?

 そんなことは考えてもどうしようもない。

 呼んでもらえる術ならあった。特に、私は。


「私、本当は、どうしたら連れて行ってもらえたのか、わかっているの……」

「うん?」


 彼は小さく首を傾げた。


「どうしてそんな手間をかけないといけないんだ、って先生は言ったわ」

「言ったね」

「手間をかけてでも連れて行きたいって思わせないといけないのね」


 要は、実力不足なのだ。それだけだ。連れて行くに値しない、と父が判断したのだ。

 けれど、私の言葉を聞いてしばらく考え込んだあと、セウラスは違うことを口にする。


「それももちろんだろうけれど、私は、人数の問題だと思うよ」

「人数?」

「未だかつて、宮廷画家に女性は一人たりともいない。宮廷画家でなくとも、女性の画家はほとんど聞いたことがない」

「そうね」


 セウラスの言葉に同意する。

 もし私が父の娘でなかったら、今こうして絵を描くことなどできなかっただろう。

 仮に実力があったとしても、宮廷画家に弟子入りなど、ほぼ不可能だっただろう。

 他の国がどうかは知らないが、我が国では画家とは、男がなるものなのだ。


「もし他にも、アメリアのような女性の弟子を、たくさん抱える宮廷画家が呼ばれたとしたら? そうしたら、おそらく女性用に寝床だって浴室だって用意された。特に今回の修復は、人海戦術なんだ。人数はいればいるほどいい」

「そうなの?」

「そうだよ。損傷もだけど汚れもひどいらしくて、予想外に時間がかかってしまってね。画家に限らず、職人を呼んで、足場も広く組んでやっていた。それでも間に合わないかもしれなくて。けれど、仕上げはどうしても宮廷画家でないとね。だから宮廷画家はほぼ全員、呼ばれている。その弟子たちも」


 そうなのか。セウラスは今回の修復作業の内容を、もちろん知っているのだろう。

 そんな状態ならば、たとえ私が未熟であっても呼ばれたのかもしれない。余計な手間を増やす存在でなければ。


「でも女性の画家を増やすには、女性の宮廷画家が必要だわ」


 男性の画家のところに弟子入りするより、女性のほうが入りやすい、ということもある。

 だがそれよりなにより、女性でも宮廷画家になれるのだ、という実績が必要なのだ。

 つまり。


「いずれにせよ、私、宮廷画家にならなくちゃ。私はせっかく恵まれた環境にいるのだし。私が一人目の女性の宮廷画家になるの」


 私は拳を握って、力を込めた。

 そうだ、ぐずぐずしている時間はない。

 そんな私を見て、セウラスは頷く。


「そうだね」

「少しすっきりしたわ。やる気も出た。ありがとう」


 そう礼を述べると、彼は目を細めた。

 泣くほど落ち込んでいたのに、もう不思議と心は浮き立つだけだった。こんなにあっさりと。

 セウラスが、引き揚げてくれた。間違いなく。


「描こう。描かなくちゃ」


 私は工房に向かって歩き出す。足は軽かった。

 セウラスは横に並んでついてきた。

 一瞬、手を繋ぎたいな、と思ったけれど、私は手を後ろで組んで、その思いを閉じ込めた。


   ◇


 上機嫌になって工房に戻ると父はいなくて、ロイドとフィンがなにか話し合っていた。

 私たちが工房に入ると同時に、彼らはこちらに振り返り、そして驚いたように目を見開いたあと、二人で顔を見合わせていた。


「なによ?」

「えーと……」

「だから、なによ」

「……なにかいいことあった?」

「んー……あったかな?」


 そう曖昧に答えると、なんだか笑いが込み上げてきて、ふふふ、と声に出た。

 わくわくする。

 私もいつか、弟子を抱えられるような宮廷画家になるんだ。その日を思うと、笑顔にならずにはいられない。


 私は張り切って、画架の前に座り絵筆を手に取る。

 不審に思ったのか、彼らはセウラスに小声で話し掛けていた。


「……セウラス、お嬢さんになにか言った?」

「別に。今回の修復について話をしただけ」

「それで、あんなに上機嫌?」

「そうだね」


 すると二人はまた顔を見合わせて、そして二人同時に言った。


「……猛獣使い」

「聞こえてるわよ!」


 私がそう大声を上げると、二人は肩を縮こまらせた。

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