7. リーブリング礼拝堂
ある日、工房にやってきたセウラスは、まっすぐに私の元にやってきた。
そして、ゆるく握った手をこちらに差し出してくる。
「これ、よかったら」
「なに?」
私は両の手のひらを上に向けて、彼の手の下に入れる。
セウラスが手を開くと、それはぽとりと私の手の中に落ちた。
見てみると、綺麗な色の紐が小さくまとめられて結ばれている。
「髪紐。母が作ったんだ」
「……王妃さま?」
「そうだよ。編んでいるから多少伸縮性があって、結びやすいと思うよ」
手のひらに落ちたそれを摘まむと、まとめられていた紐を、解く。
赤、青、黄。いろんな色の糸を縒って、編んで。
「きれい……」
「なかなか好評みたいでね。令嬢たちや侍女たちもみんな欲しがっているみたいなんだ。それで、どうかと思って」
「私がいただいていいの?」
「もちろん。お世話になっている先生のところに女性がいると報告したら、母が作ってきたんだ」
私はその紐を、窓から入る陽の光にかざした。編んだ糸の隙間から光が差し込んで、その紐が持つ色は輝いた。
「きれい……だけど」
「だけど? 気に入らない?」
セウラスは眉尻を下げる。なので私はぶんぶんと首を横に振った。
「逆。私が使うと、絵の具が飛んですぐに汚れてしまうかも。もったいないわ」
「そんなことは気にしなくていいよ。趣味でたくさん作っているみたいだから」
「でも、皆欲しがっているんでしょう?」
「まあそうだけど。いつも髪を結ぶのに苦労しているみたいだし」
言われて、また視線を紐に落とす。
見ていてくれた。そのことが少し、嬉しい。
私は髪を結んでいた髪紐を解く。そして、今しがた貰った髪紐で、また髪を結んだ。確かに結びやすかった。
セウラスはそれを、にこにこしながらずっと見つめていた。
きゅ、と結び終えると、セウラスに背中を向ける。
「ど、どう?」
「うん、可愛い」
さらっとそう褒めるものだから、また顔が熱くなる。
「あ、ありがとう。嬉しい」
「それならよかった」
私の言葉に、セウラスは目を細めた。
それを見ていたロイドとフィンが、こちらにやってくる。
「王妃さま手ずから?」
「へえ、すごいもの貰ったなあ」
すごいもの、と言われて心が浮き立った。
「いいでしょ」
ふふ、と笑うと三人の前で髪紐を見せつけるように、くるりと回った。
三人はそれを見て、笑う。
「まあ、母の手慰みのようなものなのだけれどね。喜んでもらえたら」
「本当に嬉しい。王妃さまにも、お伝えしておいてね?」
「もちろん。母もきっと喜ぶ」
「なにかお礼をしたいけれど……でも、王妃さまになにを……」
「なにも要らない。そんなつもりではないから。それを使ってもらえたら、それで」
笑顔でそう返されて私は頷く。
そのとき、父が工房に入ってきた。
私たちが振り向くと、父は上げた右手の指先をちょいちょいと動かして、私たちを呼んだ。
確か父は、王城に呼ばれて行っていたはずだ。いったいなんだろう。
ロイドとフィンと私は首を傾げるが、セウラスは知っているのか、落ち着いた様子だった。
私たちが前に集まると、父は口を開く。
「三日後から、リーブリング礼拝堂の天井画の修復をすることになった。それで二週間ほど泊まり込んで描く。その手伝いをして欲しい」
思わず、わあ、と声が出た。ロイドもフィンも同様だ。
リーブリング礼拝堂。そこの天井画はクラッセ王国随一の美しさと評判なのだ。
私も行ったことはある。下から見上げた天井画は、それはそれは美しかった。もっと近くで見てみたい、とは誰しもが思うことだろう。
修復作業となれば、すぐ近くで見ることができるはずだ。そんな機会はきっともう二度とない。
「大変勉強になると思う」
そう言ったあと、父はセウラスに向き直った。
「しかし殿下は申し訳ないが、連れて行けません」
「ええ、そうでしょうね」
セウラスはそう返事をして苦笑する。
王子を礼拝堂の天井画の修復に向かわせるだなんて、教会の人間が見たら驚くに決まっている。王子を雑用係として使うということもできないだろう。
残念だろうが、仕方ない。
そして父は私のほうに身体を向けると、続けた。
「アメリアも連れて行けない」
その言葉に、開いた口が塞がらなくなった。
「どうして!」
「今回、お前は必要ない」
「私がこの二人に劣っているというのっ?」
私はロイドとフィンのほうに振り返った。
二人に勝っている、とは思わない。けれど劣っているとも思わなかった。
二人ははらはらした様子で、私たちのやりとりを見守っている。
父は呆れたように、ひとつ息を吐く。
「そんなことは言っていない」
「じゃあどうしてよ!」
「二週間で修復を終わらせなければならない。しかも天井画だ。きつい仕事になる」
「そんなこと、わかってるわよ」
「女にできる仕事じゃない」
その発言に、動きが止まった。そして次の瞬間には怒りに身体が震え始めた。
「女だから?」
「そう」
「そんなの、やってみないとわからないじゃない! 私、できるわ!」
「宿泊施設が整っているわけじゃない。教会で雑魚寝することにもなるだろう。湯浴みもろくにできない」
「私は平気よ!」
「周りが平気じゃない」
「な……」
私はその言葉に、怯んだ。
それを見て、父はさらに言葉を重ねる。
「女と一緒に雑魚寝しろと? 女と一緒に湯浴みしろと? 彼らがどれほど紳士的でも、いや紳士的だとしたらなおさら、迷惑にしかならない」
「……そんなの」
「お前一人のために、部屋を用意しろと? お前一人のために、別に浴室を用意しろと? どうしてそんな手間をかけないといけないんだ。飛びぬけた実力があるわけでもなく、力仕事に期待できるわけでもない、お前のために。お前一人連れて行かなければ済む話だ」
畳みかけるように浴びせられる現実に、返す言葉がなかった。拳をぎゅっと握り締める。
「わかりました……」
「では二週間の予定を。こちらが資料になるから、覚え書きをして」
私には関われない話を父が始めて、ロイドとフィンは慌てて雑用紙とペンを用意し始める。
私はくるりと踵を返すと、工房を背にする。
「アメリア!」
セウラス一人が私を追って、工房を出てきた。
私はそれを無視して、早足で歩く。
「アメリア」
「ついてこないでよ」
声が震える。一人になりたい。どうしてついてくるの、この人は。
彼はただただ、私の後ろをついて歩くだけだ。追い越しもしない。肩や手首を掴んで止めようともしない。
そうこうしているうちに、自室の前に到着した。
ドアノブに手を掛けて、振り向かずに言い放つ。
「工房に戻って。私は部屋に帰るだけなんだから」
「今回は仕方ない。泣かないで」
「泣いてないわよっ」
くるりと振り返ると、セウラスの顔を睨みつける。彼は悲し気に眉尻を下げた。
本当は、泣きそうだったのだ。だから自室に帰りたかったのだ。
情けない。なんて情けないことだろう。
必死になって涙を堪えていると、セウラスは私に問いかけてきた。
「今、暇じゃないのか?」
その声に顔を上げる。
「暇があるなら絵筆を握れと言ったのは、君だ」
まっすぐにこちらを見つめて、セウラスは厳しい声音を向けてくる。
あの、栗色の瞳の奥の黒が、私を覗き込んでいた。