6. 王子の肖像
私がモデルとなった絵を皆が描き終わり、次は誰に頼もうかという話になった日。
「セウラスにしましょうよ!」
もちろん私はそう提案した。
「だって、いつか宮廷画家になったら、本当に描くかもしれないじゃない」
私の言葉に、ああ、とロイドもフィンも納得した様子だった。
「いいね、それ」
「確かに。それなら今のうちに練習台になってもらいたいなあ」
「ふむ。そういうことなら、私も描いておきたい」
父まで一緒になってそう賛同したから、セウラスに断るという選択肢は残されていなかった。
「まあ……では、私でよければ」
苦笑はしていたが、特に嫌がるということもなく、セウラスは簡単に了承した。
「では殿下、立位でお願いします。そこに立ってください。楽な姿勢でいいですから」
「わかりました」
父の言葉を受けセウラスは、ぐるりと半円状に取り囲むように置かれた四つの画架の前に移動した。
足を少し開いて、右足を前に出す。左手を軽く腰に。右手は下ろして。
そして背筋を伸ばして凛と立つ姿を見たとき、ふいに、ああ、と思う。
この人は、本当に王子なんだ。
なぜだかはわからない。けれど、人に見られ慣れていて、そして彼自身もそのことを当然と思っていて。
そしていかに自分を大きく見せるかということを、知っている人なのだとわかったのだ。
ロイドもフィンも、おそらく同じような感想を抱いたのだろう。しばしの間、じっと彼の立ち姿を見つめていた。
ここで一緒に絵を描いて。彼のことを呼び捨てにして。そしてともに笑い合ったから、覚えているつもりで、なんとなく忘れてしまっていたのだ。
本来ならば、顔を見ることもかなわぬ人なのだということを。
本来ならば、その前にひれ伏すべき人なのだということを。
いや。けれど半年の間、彼は父の弟子なのだ。私たちとなんら変わりなく、絵を描くことだけに時間を費やす弟子なのだ。
忘れよう。彼が王子だということを。
私は刷毛で、ざっと帆布全体に薄い茶色を塗った。それから絵筆を動かす。
帆布に、色が乗っていく。彼が絵の中に形どられていく。
意外に厚い胸板。まっすぐに伸びた足。男の人にしては細い指先。栗色の髪と瞳。真一文字に結ばれた唇。
ふいに、彼の身体をなぞっているような気がして、ぞくっとする。
いや、いけない。意識してどうする。私は今までだって、何度も人物画を描いてきた。今まで一度だって、こんな風に意識したことなんてなかった。
きっと、セウラスが描いた私を見たせいだ。そのせいで、変な風に意識してしまうのだ。
私は首を何度か横に振って、そして背筋を伸ばした。絵筆を握り直して、また絵に集中する。
こんな気持ちのまま描いたら、線の細い、どこか恥ずかしい絵になってしまう。それをセウラスに見られるだなんて冗談じゃない。しっかりしなければ。
私は一筆一筆、確認するように、力を籠めるように、絵の具を重ねていく。
◇
なんとか描き進め、休憩、の声がしたとき、私は大きく息を吐いた。
疲れた。絵を描いていて、こんなに疲れたことがあっただろうか。
私は席を立ち何歩か離れると、自分の絵を眺めた。
どうだろう。
少なくとも、セウラスを意識して弱々しい線を描いたようには見えない、と思う。
他の人の絵は見ればすぐにわかるのに、自分の絵には客観的な視点が持てない。
このまま描き進めてもいいだろうか。
顔を上げると、父も、ロイドもフィンも、まだ自分の絵に集中しているようだった。
頭を巡らせると、セウラスと目が合う。
彼はにっこりと微笑んで声を掛けてきた。
「描けた?」
「どうかしら」
上手く描けたわよ、とでも言えればいいのだろうが、とてもそんな言葉は口に出せない。
見てもらおうか。
もちろんそれがいいだろう。
けれど本当に、絵にセウラスのことを意識しているのが表れていないだろうか。
もしそれが彼に伝わってしまったら……恥ずかしいこと、この上ない。
いろんな思いがないまぜになったけれど、思い切ってお願いしてみることにした。
「あ、あの……」
呼び掛けると、彼はこちらに振り向いた。
言わなくちゃ。見て、って。
「私も見ているんだから、私のも見てよっ」
「え?」
「だ、だからっ、私の絵も見て。それで、なにか言って」
声が裏返ってしまった私に対して、セウラスは穏やかに笑みを返し、そして私の絵の前に回り込んできた。
怖い。でも、ちゃんと聞かなければ。
「ああ、やっぱり上手いね。私のとは全然違う」
私はその言葉に眉をひそめた。今は、そんな言葉を聞きたいのではない。当たり障りのない、そんな評価は私たちの間では意味を成さない。
「忌憚のない意見をお願いします」
「言っていい?」
そう言うからには、なにか思うところがあるのだろう。
なにを指摘されるんだろう。
でも、批判されても動じないようにしなければ。そして、糧にしなければ。
私は覚悟を決めると、口を開いた。
「どうぞ」
「こぢんまりとまとまりすぎている」
私はその感想に、ため息をついた。
正直なところ、自分でもそう思わないでもなかったからだ。
「色? 構図?」
「どちらも。突き抜けたものがないから、心に残らない」
「そう……」
肩を落とした私を見て、慌てて取り繕うようにセウラスは続けた。
「あ、でも、素人の意見だから、参考には」
「いいえ、参考になったわ。ありがとう」
「最初に上手いって言ったのは、本当だよ?」
「……ありがとう」
そんなことをしている間に休憩時間は終わってしまって、セウラスはまた元の位置に戻っていった。
的確な指示をくれたと思う。
さすが、王城や貴族所有の絵画をほとんど把握しているというだけはある。見る目があるのだ。
意識しているのがわかってしまったらどうしよう、なんて思いは吹っ飛んだ。
それが私の絵で、私の限界になってしまっている。ずっとそこで足踏みしていて、上に行けない。
どうしたら、父のような絵が描けるのだろう。
私はずっと、突破口を見つけられないままなのだ。