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5. 至高の一枚

 何度か休憩を挟みながらモデルを続け、今日はここまで、と父が打ち切ると、ロイドに声を掛けられる。


「アメリア、批評してくれよ」


 私はソファに投げてあった髪紐を持ち、彼の絵の前に歩み寄って立つ。


「美人に描きすぎじゃない? やりすぎよ」

「そうかな」

「絵に描くと、実物より美人になるのは当たり前なの。美人にならなかったら失敗作なのよ。なのにこれは、意識しすぎて白々しいわ」

「でも先生が描くと、女性は皆、すごく美人になるじゃないか」

「あれと一緒にしては駄目よ。父さ……先生のは美しさを拾っているのよ。これは作り出しているように見えるわ」


 言って、父のほうに視線を移す。

 モデルが席を立ってからも、背景などの細かな調整をしているのか、父はまだ絵筆を動かしていた。

 父は一人で集中して描くのを好むので、私たちは描いている最中に背後に回り込んだりしないように気を付けている。なので、まだ父の絵を見てはいない。

 けれどおそらくは、私は素晴らしく美人に描かれているはずなのだ。


「早く見たいなあ」


 フィンが近くに寄ってきて、小声で弾んだ声を出す。

 それには同感なので、頷いた。


 ふとセウラスのほうを見ると、自分の絵を見て眉根を寄せていたので、そちらに向かう。

 なにか助言が必要なのかもしれない。


「納得いかないの?」


 私が声を掛けると、セウラスは驚いたように顔を上げた。


「えっ、ああ……まあ」

「人物画は初めてなのよね、上手くいかなくても仕方ないわ」


 慰めの言葉を口にしながら、彼の絵を覗き込む。

 相変わらず、上手い。上手いのだが。


「……線が、弱すぎるわ」

「そう……か」


 心当たりがあるのか、セウラスは私の言葉に食いついたりはしなかった。


「恥ずかしがらないで描いてよ。私のほうが恥ずかしくなる」

「いや……うん、なんだか意識してしまって」

「意識って……」


 自分の頬が染まったのが、自分でわかった。

 ロイドとフィンも男性ではあるが、やはり宮廷画家を目指す競争相手として私を見ているのだと思う。


 しかしセウラスは、女性として、私を見た。

 そのことがわかって、少し恥ずかしいような、いたたまれないような気持ちになる。


「とっ、とにかく! 明日からは堂々と描いてよね。静物と一緒だと思って」

「うん、がんばってみるよ」


 そう言って彼は笑みを返してくる。

 なんだかまともに見ていられなくて、くるりと背を向けて歩きながら、手に持っていた髪紐で髪を結ぼうとした。

 けれど慌ててしまっているのか、また上手く結べない。


「結ぼうか?」


 そう背後から話し掛けられる。

 カッと顔が熱くなるのがわかった。

 絵を描くときには意識するのに、髪を結ぶのは平気なのはいったいどういう訳なのか。


「いっ、いい! 自分でやるから! 大丈夫!」

「そう?」


 また髪を触られては、かなわない。

 焦りながらもなんとか髪をまとめると、今度はフィンの絵のほうに向かった。そして二、三歩下がって全体を見る。


「あ、いいんじゃない?」

「本当?」


 フィンが近寄ってきて、明るい声音で返してくる。


「自分でも、けっこう描けたと思うんだよ」

「うん、勢いがあっていいと思うわ」

「だよね」


 フィンは無邪気に喜んでいる。

 そうだ、こういう感じだ。フィンの絵からは親愛の情のようなものは感じられても、女性として意識している感じはまったくしない。

 なんだか少し、安心した。私たち三人は、こういう関係性でやってきたのだ。

 だからセウラスの反応には、どうにも困ってしまう。


 ふと、目の端に、父が伸びをする姿が入ってきた。ぱっとそちらに振り向くと、父が椅子から立ち上がるところだった。

 父は誰に言うともなく、ぼそぼそと喋り始める。


「疲れたな……ちょっと……お茶でも飲んでくる」

「持ってきましょうか」

「いや、いい」


 それだけ答えると、ふらふらと工房を出て行く。

 絵を描いたあとは、父はだいたいこんな風になる。持てる力のすべては出し切った、という感じか。

 私たちは父が工房から立ち去ったのを見届けると、小走りで父の絵に群がる。

 誰からともなく、ほう、と息が漏れた。


「先生はさすがだなあ……」

「うん、すごいね」

「あの時間で、ほぼほぼ完成の上に、この繊細さ。やっぱり宮廷画家は違う」


 父の絵の中には、私がいる。

 けだるげにソファに腰掛け、目を伏せ、ゆるく足を投げ出している。

 それは確かに私であるはずなのに、どこか神秘的な雰囲気を纏っている。


「これが猛獣とは思えないよな」


 フィンがそう言って私をからかってくるので、口を尖らせる。それを見て、ロイドが小さく笑った。


「あ、パレットは?」


 私がそう訊くと、皆が父が使っていたパレットに視線を移す。


「やっぱり、あまり混ぜていないな」

「帆布の上に色を乗せて重ねる感じだからな、先生は」

「この緑はどこ?」

「うわ、指先に使ってる。なるほどなあ」


 ああでもない、こうでもない、と話し合っていると、背後にいたセウラスが口を開いた。


「マシュー先生に肖像画を描いてもらいたい、という令嬢方や婦人たちが引きも切らないわけだね」


 その言葉に、三人はセウラスのほうに振り返る。


「そうなんだ? そりゃそうか」

「先生もこなしてはおられるようだけれどね。なにせ、希望する人数が多い」

「へえ、さすが」


 その話を聞きながら、私はまた父の絵に視線を移す。

 それでも。


 それでも、父が宮廷画家となるきっかけとなったあの一枚には、遠く及ばないと思う。

 あの至高の一枚には。

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