40. エピローグ
それからセウラスは、なかなか工房に立ち寄れない日も続いてはいたが、暇を見つけてはやってくるようになった。
だが、たまに来ても、うたた寝するようなこともあったから、かなり忙しいのだろうと思う。
第三王子の王族籍離脱の発表も近づいてきているようだった。
「大丈夫? 疲れてない?」
そう声を掛けると、ああ、と目をこする。
「……そうだね、疲れてはいるけれど、うたた寝してはいけないね。私もこちらにときどき泊まらせてもらおうかな……」
「そうね、帰って寝るだけのときは、ここに泊まったらいいわよ」
私の提案に、セウラスは顔を上げた。
「アメリアの部屋で?」
「馬鹿言わないで! 部屋ならあるから!」
なんてことを言い出すのだ。
私は慌てて振り返る。するとロイドが肩を落とした。
「工房でいちゃつくの、止めてくれよ……」
「いちゃついてないわよっ」
「ああ、ごめん、いちゃついた? 今ちょっと頭が回ってないから……」
セウラスが顔を片手で覆って息を吐いた。そしてそのまま、船を漕ぎ始める。
どうやらいろいろと大変そうだ。
弟子なのだからとなるべく工房に来るようにしているとはいえ、ここまで疲れているようだと、それもどうかと思う。
私は、邪魔にならないようにしなきゃ、と考える。今は多少のうたた寝など、起こさないほうがいいのかもしれない。
そろそろと足音を忍ばせて自分の画架の前に戻ろうとすると。
「お嬢さん、お嬢さん」
寝ているセウラスをちらちらと見ながら、フィンが部屋の隅から私に手招きする。
どうやら内緒話がしたいらしいので、私はそちらに歩み寄る。
フィンはこちらに顔を寄せると、ぼそぼそとした声を出した。
「セウラス、王城を出るんだよね?」
「みたいよ? ここに住み込みになるんじゃないかしら。弟子だもの」
「じゃあさ、あれ、どうなるんだろ」
「あれ?」
「『マクラウド伯爵夫人』」
言われて、なるほど、と頷く。確かに。
セウラスの部屋にあるあの名画の行く末は、気になる。
「ここに持って来てくれないかなあ」
「駄目でしょ、そんなの」
「ええー、そうかなあ」
「いわくつきで出せなくなったって言ってたから、もうどこにも出せないってことだろ? じゃあここでもいいんじゃない?」
内緒話の内容を聞いていたロイドも、話に加わってきた。
あの名画がいつでも見られるようになる。
それは甘美な誘惑ではあるのだが。
「とは言っても、王城の所有でしょ? セウラス個人のものじゃないし」
「でも誰も持てないんなら、ここでもいいじゃん」
「駄目よ! あれは公開するべきだわ!」
「でも未だに怖がっている人がいるって話じゃないか」
「名画が埋もれていくなんて、そんなの嫌よ!」
私の大声に反応したのか、セウラスがううーん、と身じろぎする。
私たちは自分の口を押さえた。
「まあ今度、訊いてみましょうよ。どういう扱いになるのか」
「そうだね、もしかしたら行く先は決まっているのかもしれないし」
「決まっていなかったら、僕も独占してみたいなあ」
ため息交じりにフィンが零した。
ロイドがにやりと笑ってフィンを指さしてからかう。
「惚れた?」
「惚れない人間いないでしょ」
平然とフィンがそう答えるので、私とロイドは顔を見合わせる。
私たちの困惑には気付かない様子で、フィンは自分の椅子に向かって歩き出す。
「本気かしら……」
「さあ……」
フィンはふと気付いたように足を止め、それから私の画架のほうに歩いていく。
そして、私の絵の前で立ち止まった。
しばらくじっと見つめたあと、口を開く。
「このあいだセウラスの絵を見てから、なんとなくわかるようになった気がするんだよ」
「なにを?」
「お嬢さんがよく、絵が言っている、って言ってたのがどういうことか」
ロイドを見ると、うんうん、と頷いている。
「それで、思うんだけど」
フィンは私の絵を指さして、きっぱりと述べた。
「なんか、以前と比べて、ずいぶん艶っぽくなったよね」
「なっ」
突然なにを言い出すのかと思ったら。
ばっと顔が熱くなり、ついでに耳まで熱くなった。
「なってない!」
「いや、なってるって。やっぱり、恋すると変わるよなあ」
「なってない! なってないもの!」
むきになってそう反論していると、ロイドが背中から言葉を掛けてきた。
「でも艶っぽいっていうのは、女性としては武器なんじゃないの? そういう絵が描けるのは女性ならではかもしれないし」
そのロイドの意見を聞くと、私ははっとする。女性ならでは。
そしてしばらく逡巡してから、頷いた。
「それならいいわ」
「いいんだ」
呆れたようにロイドが返してくる。フィンは、ほらね、となぜか誇らしげだった。
ふとセウラスのほうを見ると、彼はいつの間にか起きていて、そしてこちらを見て微笑んだ。
可愛いね、とでも言っているような表情で、私の顔はまた熱くなる。
「とっ、とにかく、描くの! 艶っぽくてもいいわよ、それが私の良さだって言うんなら。私は私のいいところを伸ばして、それで宮廷画家になるんだもの」
私はそう宣言してから歩き出すと、自分の画架の前に座る。
そしてパレットを左手に持ち、置いてあった絵筆を右手で握った。
まだ未完成の絵が、私の前にある。
描こう。私にしか描けない絵を。
そう自分に言い聞かせながら、目を閉じて、ふーっと息を吐いた。
それからゆっくりと目を開けると、帆布に絵筆を下ろす。
女性初の宮廷画家。
私はその一歩を、この一筆で、踏み出したのだ。
了
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