39. 私たちの工房
「貴族のお嬢さま方って、みんなああなのか……?」
もううんざりだ、とでも言いたげに、ロイドがセウラスに問うた。
「さあ、それはどうだろうね。少なくとも私が見るご令嬢は、ほとんどが淑やかではあるよ」
「そうだよなあ、王子さまの前じゃあ大人しいんだろうなあ!」
吐き棄てるようにロイドが声を出す。
セウラスは苦笑しながらも答えた。
「まあでも、バーンズ伯爵のところの三姉妹については、よく聞くよ。元気なお嬢さま方だって」
「……元気……。あれ、元気で片付けていいのか……?」
「会ったこともあるよ。私が私が、って感じの子たちだったね」
「そう! そうなんだよ!」
わかってくれる人が現れた、と思ったのか、ロイドは身を乗り出して意気込んだ。
「『お姉さまばっかりずるい』って言葉を、何回聞いたか知れないよ……」
そう零して、深く深くため息をつく。
「先生は、三姉妹の長女の肖像画を描いているのよね?」
私がそう訊くと、ロイドは頷く。
「長女はまあ、あの三人の中だと大人しめかな。次女と三女があんまりずるいずるいって言うんで先生の邪魔になるから、俺が二人の肖像画を描いてる」
「へえ、いいじゃない。いい練習になるわ」
「練習……練習ねえ……。もっと目は大きくしろとか、ドレスはやっぱり違うのにするとか、髪色を変えてみろとか……もうね、原形を留めていないものが出来上がりつつあるよ……」
そう言ってロイドはうなだれた。それを私たちは苦笑交じりに見ていたのだが。
ふいにセウラスが窓のほうに振り向いた。
「セウラス?」
私がそれに気付いて声を掛けると、彼は人差し指を立てて、唇に当てる。なので慌てて口を噤んだ。
セウラスはそっと立ち上がると、窓際に足音を立てずに歩み寄り、そして背中を壁に当てながら、カーテンの外を覗き込んでいる。腰に一度手をやったが、なにかに気付いたように手を見て、そしてまた外を見る。
帯剣していないことに気付いた、という感じだった。
私たちはそれを困惑しながら見ていた。
だが少しして彼は安心したように息を吐き、そしてこちらに振り向くと、私たちに手招きをする。
私とロイドは顔を見合わせて、そしてセウラスに倣ってゆっくりと立ち上がると、そろそろと窓際に寄った。
セウラスが指さすほうを覗き込むと、見慣れた茶色の髪が見えた。
「フィン!」
私は思わず大声を上げて、窓を思い切り開ける。
その人は、びくりと身体を震わせて、そして恐る恐るという風に、こちらに振り向いた。
「あ、えと、お嬢さん……その……」
もじもじと、自分の指先を弄んでいる。
私はわざとらしく大きくため息をつくと、声を掛けた。
「そんなところにいないで入ってきなさいよ」
「いや……でも……」
「早くっ」
多少きつめに声を上げると、フィンはビクッと肩を跳ねさせてから、足元にあった荷物を慌てて手に持つと、ばたばたと玄関のほうに走り出した。
私たちはため息をつきつつ、自分の画架の前に座り、そして工房の入り口を見つめた。
少しすると、そろそろと扉が開いて、フィンが顔を覗かせる。
そしてしばらくの沈黙。
それを破ったのはロイドだった。
「田舎に帰るんじゃなかったのかよ。畑を手伝うってさ」
ちょっと怒ったような口調だった。フィンが工房を出ると決めたときに、一番説得していたのは、他ならぬロイドだった。
フィンはぼそぼそと言い訳を始める。
「……手は足りているって」
「え?」
「姉ちゃんの子どもが畑を手伝えるようになったからもういいって。あんたは画家として成功して、それでたっぷり仕送りしろって」
「……はあ」
「……だから……その……」
「へえー、それで行く先がなくなったから、帰ってきたんだ」
嫌味たっぷりにロイドが言う。
なにも言い返せないのか、フィンは俯いている。
セウラスがそこで口を挟んだ。穏やかな口調だった。
「自分の田舎でなくとも、人手を必要としているところなら他にもあったはずだろう? 近所にだって畑はあるだろうし」
セウラスの言葉にフィンは顔を上げる。
「でもここに戻って来た。罵倒されるかもしれないと思いながら。他にも宮廷画家はいる。そちらに行っても良かっただろう。それでもここに帰ってきた。それはどうして?」
優しい声色。なにもかも包み込んでくれそうな。
フィンもそれを感じたのか、いたずらを見つかった子どものような顔で、小声で喋り始める。
「……ここで描きたかったから……」
フィンはそれだけ答えて、また黙り込む。
セウラスは軽く肩をすくめ、ロイドは小さくため息をついた。
「いや……その……、勢いで出たけれど……でも……」
私は、人のことを言えた義理ではないな、と思いながらも口を開いた。
「言い訳する暇があるんなら、さっさと絵筆を動かしなさいよ」
フィンは、しばらく立ちすくんだあと、うん、と頷いた。
「まずは、そんなところに突っ立っていないで中に入ってきなさいよ。その荷物、画材が入っているんでしょう?」
「うん」
「画架は倉庫にあるから」
「うん」
フィンはばたばたと工房内に入ると荷物をドン、と床に置き、それからもどかしく倉庫に走り出した。
それから画架を抱えて持って来ると、いつもの場所に立てる。
そしてふと気付いたかのように、顔を上げた。
「ところで、どうしてセウラスがここに?」
問われたセウラスが、ああ、と頷く。
「正式に弟子入りしたから」
「えっ? 正式に? 王子さまなのに?」
「王族籍からは離脱するよ」
「はああー?」
そう素っ頓狂な声を上げると、しばらく動きが止まった。
そしてわたわたと慌てるように続ける。
「えっ、それっ、僕が嫌味言ったからとかじゃないよねっ?」
「嫌味言ったの?」
私が呆れてそう問うと、セウラスが苦笑しながら返してきた。
「いや、嫌味ってほどのものじゃないよ」
「すみません……」
フィンが縮こまってそう謝罪する。
そしてロイドと私のほうにも振り返ると、頭を下げた。
「すみませんでした……」
はあ、とこれみよがしにため息をつくと、ロイドが顔の前で手を振った。
「いいよ、もう。謝られる筋合いのものでもないし」
「私は人のことを言えた義理じゃないし」
フィンはほっとしたようで、笑顔を見せた。
「お騒がせしました」
と謝ると、また絵を描く準備を始める。
画架を立て、帆布を張った木枠を置き、パレットを広げ、油壷に油を入れる。
そして絵筆を持つと、ふーっ、と息を吐いた。
帰ってきた、という喜びが見て取れる。
だから私たちももうなにも言うことはなかった。
それから私たちは何事もなかったかのように、台の上に置かれた、鉢植えのジニアの花を黙々と描く。
そうしていると、少しして、父が工房に入ってきた。
そしてフィンの姿を認めて立ち止まり、その背中をじっと見つめる。
フィンは集中していてしばらく気付いていないようだったが、視線を感じたのか慌てて振り返ると、椅子から転げ落ちるように立ち上がり、父の傍に駆け寄ると、頭を下げた。
少し、身体が震えていた。
「すみませんでした! あの、また、ここに置いてください!」
父は黙り込んでフィンを眺めたあと、口を開く。
「帰りたければ帰りなさい、と言いました。帰ってきたければ、帰ってきなさい。それだけです」
「はい……」
フィンはその言葉に、ぐいっと手の甲で目のあたりを拭う。
それを見た父は、気が付いた、とでも言いたいかのように手をぽんと叩く。
「ああでも、もう一度同じようなことがあったら破門、ということにしておきましょうか」
「だ、大丈夫です! もう二度と!」
慌てたようにそう誓うフィンをじっと見つめたあと、父はにやりと口の端を上げた。
「そうですか。では描きなさい。周りを黙らせるには、良い絵を描くしかありません」
セウラスはその言葉に顔を上げた。そして小さく笑った。