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38. 求婚

 私は椅子の上で居住まいを正し、セウラスに向き直る。


「本気?」

「冗談だと思う?」


 真面目な顔をして、セウラスは問い返してくる。


「いえ、そうは思わないけど……」


 もちろん彼は質の悪い冗談を言う人ではない。

 それに、こんな大それた話を冗談だとは、誰だって思えないだろう。


「あの、もしかして、私のせい……だったり……する?」


 おずおずとそう尋ねる。

 彼はうーん、と唸ると天井を見上げた。

 どういう返答が来るのか怖くて、私は膝の上でぎゅっと拳を握り締める。


「まあ、まったく無いと言うと、嘘になるかな」


 やっぱり。

 私の存在が、彼の人生を変えてしまった。私が不甲斐ないばっかりに。


「み……見くびらないでよっ」

「アメリア?」

「私はっ、そりゃあ学もないし、生まれも下町だし、着飾ったらすぐに浮かれちゃうし、王族のなんたるかも、今でもわかってないけどっ」


 私は俯いたまま、そう言葉を連ねる。

 言いたいことは、こんなことではないはずなのに。彼なりに考えてくれたはずなのに。こんな責める言葉を舌に乗せたいわけではないはずなのに。


「私はそれでも、がんばっていこうって思ってた。生半可な決心じゃなかった。確かに、助けて、ってお願いしたけど」


 涙がじんわりと浮かんできた。

 冷静にならなくちゃ、と思うのに、まったく心が落ち着かない。


「私は、セウラスの人生を無茶苦茶にしてまで、助けてもらおうとは思わない……」


 ぱたっ、と拳に涙が零れ落ちた。

 ああ、どうして私はすぐに泣いてしまうんだろう。嫌になる。


「見くびってなんて、いないよ」


 静かな声がする。


「君は寝食も忘れてがんばるだろう。王子妃としてどこに出ても恥ずかしくないように、勉強もするだろう。そして宮廷画家になるために絵筆を握り続けるだろう」


 私はその彼らしい穏やかな声を聞きながら、手の甲で、必死で涙を拭った。


「けれどね、駄目なんだ。王族は、宮廷画家を選んで依頼する側で、宮廷画家にはなれない。宮廷画家になるためには、王族ではいられないんだ。これはもう、努力ではどうにもならない」

「……そう……なの」

「まあ前例がないだけだから、もしかしたら陛下のお許しが出れば、両立も可能かもしれない」

「だったら」

「けれど、やっぱり無理だ」

「どうして?」

「もし両立できると思っているなら、アメリアこそ、王子妃という立場を見くびっているよ」


 その言葉に、息を呑む。

 垣間見た、王族たちの世界。王妃と王子妃。たったあれだけの時間で、自分からは遠い世界なのだと感じられた。


 セウラスの言うことは、正論なのだろう。

 けれど。


「でも……私のせいで……」


 拭っても拭っても、涙が零れ落ちてくる。

 そんなつもりではなかったのに。彼にこんな決断をさせたくはなかったのに。

 一生懸命考えたつもりだったのに、まさかこんなことになるなんて。


 足音が聞こえる。セウラスがこちらに歩いてくる。

 そして私の前に跪いたのがわかった。


「アメリア、確かに君のことを考えたことも一因だけれど、それだけじゃないってわかって。私は宮廷画家になりたいんだ」


 その言葉に、顔を上げて、すぐそこにある彼の顔を見る。

 彼は穏やかに口元に笑みを浮かべていた。

 迷いは、ないように見えた。


「私だって、王子と宮廷画家の両立は無理だよ。だから決断したんだ」

「でも……」

「それともアメリアは、王族でない私は嫌?」


 その言葉にカッとなり、反射的に返す。


「そんなわけないっ」


 私の返事に、セウラスは口の端を上げた。


「よかった」


 そうしてにっこりと目を細める。

 どうも毒気を抜かれてしまう。

 私がしなければならないことは、こうして後悔して泣くことではなく、彼の決断を受け入れることなのではないだろうか、とそんな気がしてくる。

 私はまた涙を手の甲で拭った。もう涙は零れ落ちてはいない。


「わかったわ……。もう、言わない」

「うん」


 セウラスは私の言葉に頷いて、立ち上がる。

 私はその姿を見て、やっぱりなんだか大きな人だわ、とそんな考えが浮かんだ。


「アメリアは女性初の宮廷画家に、私は王族出身初の宮廷画家になろう」


 こちらを見て、そう告げる。

 彼の、夢。そして私の、夢。


「初めてっていうのは、案外嬉しいものだしね」


 彼はそう続けると、笑った。

 どこかで聞いたことがある気がする言い回しだ。いや、そんなに変わった言葉ではないけれど。

 そして気が付く。初めて口づけを交わしたその翌朝に、彼が言ったのだ。

 その記憶が蘇り、そのせいで自分の顔が熱くなってきたのがわかった。


「そ、そうね。がんばらないとね」


 少し声が上擦ってしまって、彼にそれを聞かれたのが恥ずかしかった。

 彼が意図的に発言したのかどうかは知らないが、こんなことでいちいち照れていては身が持たないのに。

 そんなふうに私一人があたふたして、彼は落ち着いた様子のままだ。


「あ」


 けれど、なにかに気が付いたかのように、セウラスが声を上げた。


「もうひとつ、初めてができるね」

「え?」

「初の、夫婦ともに宮廷画家、っていうのはどう?」


 そう言って、彼はまた私の前に跪く。

 そして私の両手を、彼の両手で包み込むように握った。

 私の目をまっすぐに見つめて、彼は口を開く。


「結婚しよう、アメリア」


 私はその言葉を、何度も何度も頭の中で反芻した。

 そしてそれが意味を成して私に届いた頃、私は、


「へ?」


 と間抜けな声を出してしまっていた。


 それを聞いたセウラスが、くつくつと笑う。


「そんな反応が返ってくるとは思っていなかった」

「えっ、でも、あの……前みたいに、その場の勢いで、とか……」

「前のときも、その場の勢いじゃなかったんだけれど」

「え……あ……そうなの……?」

「うん」


 頷いて、そして私の瞳を覗き込んでくる。

 栗色の瞳の奥の黒。その奥にある、温かさが見える。


「えっと、あの」


 おろおろしてしまうが、ぎゅっと手を握られて、少し落ち着いた。

 私はひとつ深呼吸すると、応える。


「はい。謹んで、お受けいたします」


 そう返すと、彼はほっとしたように息を吐いた。


「少し時間がかかるかもしれないけれど、必ずだよ」

「う、うん」

「王族籍を抜けて、落ち着いてからがいいと思うんだけれど」

「そ、そうね」

「だから君は私の婚約者だね。先生にも挨拶しないと」

「え、えっと」

「陛下にもいつかは許可を願うけれど、それは私が頃合いを見計らって」

「あ、あの」


 突然に物事が動き出したような気がして、考えが追いつかない。頭の中がぐるぐるとしている。


「ちょ、ちょっと待って」

「うん?」


 私がそう制すると、セウラスは小さく首を傾げた。


「あの……もう少し……ゆっくりと……」

「あ、ごめん。性急過ぎた?」

「いえ、あの、余韻を楽しみたいというか、私、今、求婚されたのだし」

「余韻」


 そうおうむ返しにすると、セウラスは小さく噴き出した。


「なんで笑うの!」


 憤慨してそう声を上げると、彼は肩を震わせた。


「いや、そこ大事なんだなあ、と思って」

「大事でしょ! 一生に一度なんだから!」


 唇を尖らせて抗議すると、彼は手を伸ばしてきて、私の頭を子どもにするように撫でた。


「ごめんね、わかった。ゆっくりといこう」


 私はそう宥めてくるセウラスの顔を見つめて、そして手を伸ばしてその頬を両手で包んだ。

 彼はその動きに、少し驚いたような表情をしている。

 私は彼の唇に顔を寄せる。そして唇を重ねた。

 目を閉じる。

 セウラスに出会えて良かった、と思う。


 少しして唇を離すと、目の前の彼は、何度か目を瞬かせた。


「……君のほうから口づけをしてくれたのは、初めてじゃない?」

「う、うん。はしたない?」


 そう訊くと彼は、首を横に振った。


「いや。婚約者だし」


 そして口元を綻ばせた。


「やっぱり、初めてっていうのは、案外嬉しいものだよね」


 セウラスが嬉しそうにそう続けるので、私も小さく笑う。

 彼は身体を伸ばしてきて、私に軽く口づけると、確認するように問うてきた。


「これでもう、引き返せないよ?」

「そんな念押ししなくても、いいわよ」

「そう?」

「もう、大丈夫」


 私の中の問題は片付いたから。

 もう逃げたりしない。


「でも、よく許可が出たわね」

「まあ、三番目だからね。これが第一王子とか第二王子だったら不可能だっただろうね」


 そう言ってから、彼は笑った。


「初めて、『三番目』で良かったと思えた」


 本当に、本当に解放されたかのように、爽やかに笑ったから、私はその選択が間違いではなかったのだろう、と確信する。


 セウラスはふいに続けた。


「じゃあこれで、口づけのその先を許してくれる?」


 首を傾げてそんなことを問う。

 少し言葉を失って。私は慌てて手を振った。


「だっ、駄目!」


 一気に顔が熱くなる。突然なんてことを言い出すのだろうか。余韻もなにもあったものではない。


「節操がないのは駄目って言ったでしょ!」

「だって結婚するならいいんじゃないの?」

「まだ婚約でしょ!」

「なんだ、残念」


 本当に残念と思っているのかどうなのかわからないような口調をして、彼は肩を落とした。

 私はため息をついて眉根を寄せた。


「そんなことばっかり考えてるの?」

「そうだよ」


 あっさりと返してきた言葉に、私は身を引く。さすがにそれを認めてくるとは思わなかった。


「私の頭の中は、君のことでいっぱいだ」


 そう続けて、彼は私をじっと見つめる。私も彼を見つめた。


「私もよ」


 私がそう返すと、彼の口元から笑みが零れた。

 そして私たちは、また口づけを交わす。

 もう二度と離れない、という誓いのように。

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