33. アメリアの決断
それからまた三日後、私は屋敷に向かった。
今度は玄関を開けたのは、使用人だった。
「アメリアは起きている?」
そう尋ねると、使用人の女性は面白そうに小さく笑った。
どうやら寝てばかりというのは、今も続いているらしい。
「さきほどは確かに起きておられました。今も工房におられるかと思います」
「マシュー先生は?」
「バーンズ伯爵家の屋敷に出向いておられます。お急ぎの仕事のようで、ロイドも手伝いに連れて行っておりますし、当分帰って来られません。いかがなさいますか?」
「ああ、そうか。まあ工房には寄らせてもらうよ」
脅迫したというバーンズ伯爵の、孫娘の肖像画に取り掛かったのだと思われた。
ほとんど一人で描くという先生がロイドを手伝いに連れて行ったということは、本当に急ぎなのだろう。
脅迫までして入れ替わったのだ。伯爵のために多少の無理はする、ということか。
そう思うとなんだか可笑しくて、笑いが漏れた。
アメリアは、今描いているという絵を完成させただろうか。
私はその絵からなにを読み取るのだろう。
先生は、良い出来になる、と断言していた。ならば間違いなく良い絵なのだ。
案内しようとする使用人を手で制し、私は工房までの廊下を歩く。
アメリアに、なんと声を掛けたらいいのだろう。
彼女の顔を見たら、衝動的に、やっぱりそばにいて欲しい、と懇願してしまわないだろうか。
彼女の夢の妨げになることだけは避けたいのに。
「セウラス?」
声がして、顔を上げる。
廊下の向こうにアメリアがいた。
こちらを見て、立ち止まっている。私も動けなくて、その場で立ちすくむ。
胸の中になにかが溢れ出てきて、声が出なかった。
彼女に会ったらどうしようかといろいろと考えていたのに、なにひとつ浮かんでこない。
するとアメリアは、こちらに駆け寄ってきた。
「アメリ……」
「来て」
アメリアはそれだけ言うと私の手首を握り、そして無言で歩き出す。工房に向かって。
私もなにも口にすることなく、彼女についていった。
アメリアの髪にはあの髪紐が結ばれていて、彼女が歩くたびに揺れていた。
彼女は工房の扉を開けると、いつも使っている画架の前に私を引っ張っていった。
私は彼女の視線に促され、画架に立てかけられた絵に目を落とす。
アメリアの新作。
間違いなく良い出来になると先生が評した絵。
画家として一歩を踏み出したという絵。
それは。
私だった。
私が描かれていた。
柔らかな印象の、絵だった。
絵の中の私は、こちら側を見て微笑んでいた。
慈愛の眼差しで。情愛の表情で。
私はいつも、こんな風な顔をしてアメリアを見つめていたのだろう。
間違いなく、彼女が描いたものの中で、一番感情の込められた絵だった。絵の中から彼女の想いが伝わってくる。
「わかる?」
アメリアに声を掛けられ、そちらに視線を移す。
彼女は少し目を伏せて、囁くような声音で問うてきた。
「この絵が、なにを言っているか、わかる?」
私は彼女に歩み寄り、そして両腕を広げた。
「わかる」
そして腕の中に、すっぽりと彼女を納めた。
もう、手放したくない。ずっとこの腕の中に、彼女を抱き締めていたい。
王子だからとか、彼女のためにとか、そんなことはすべて己に対する欺瞞だ。
自分勝手と罵られようとも、この絵を見てしまった今、彼女を手放すなど考えられない。
『愛している』と絵が叫んでいる。
私の絵と同じように。
「私ね、本当に描きたいと思ったのよ」
私の腕の中で、アメリアは言葉を紡ぐ。
「あなたが私に伝えてくれたように、私もあなたに伝えたくて」
彼女は私の背中に腕を回して力を込めてきた。
私も彼女を抱き締めた腕に力を込める。
もう二度と、離れないように。
「私は描くことでしか、それを表現する術を知らなかった。だから描きたいと思った。これからも描いていたいと思うわ」
けれど描くことを選択すると、君は私の手から離れてしまうのではないか。
そんなのは嫌なんだ。
どうにかして、君をここに留めておきたい。お願いだから、去って行かないで。
「贅沢かしら。貪欲かしら。でも、絵筆も手放したくないし、あなたも手放したくないの」
その言葉に、私の身体は震えた。
彼女を抱き締めていた腕を緩めて、アメリアの瞳を見つめた。彼女もこちらを見つめ返してくる。
「だから、助けて。私に手を貸して。一人では無理なの」
そうか。それが君の決断なのか。
どちらも手放したくない。どちらも手に入れる。
そうだね。私も今なら、なんだってできる気がする。
アメリアもあの絵をみたときに、なんだってできる気になったのだ。きっとそうだ。
私は一人でも大丈夫、といつも意地を張る君が、私を頼ってくれた。
だったらこれに応えない手はない。
「ああ、いいよ。けれどそれには条件がある」
「条件? なに?」
「口づけを」
そう答えると、アメリアは何度か目を瞬かせたあと、小さく笑った。
「ええ、いいわ」
そう了承するとアメリアは目を閉じた。
ほんの少し、ほんの少し意地悪したくなって、彼女の額に口づける。
えっ、と彼女が目を開けたところで、唇に唇を重ねた。
少し戸惑った風に身体が揺れたあと、背中に回った手に力が籠った。
唇を離すと、アメリアは小さく息を吐く。
「……今、意地悪した?」
「どうだろう?」
「もうっ」
少し怒ったように、拳で軽く胸を叩いて、唇を尖らせる。
それが可愛くて、私はもっと困らせたくなった。
「口づけのその先は駄目?」
「先?」
「先」
私の言っている意味がわからないのか、しばらく目を瞬かせて考え込んでいる風だったが、その意味がわかったのだろう、顔を真っ赤にして私から飛び退いた。
「あっ、ああいうことは! けっ、結婚した男女がっ、するものなの!」
「そう?」
「そうよっ」
「じゃあ結婚しようか」
「じゃあ……って、えっ?」
そうしてぽかんと口を開けてこちらを見つめてきた。
やっぱり可愛い。
私は喉の奥でくつくつと笑った。
私の様子をみたアメリアは、憤慨した様子でこちらに歩み寄ると、両の拳でぽかぽかと胸のあたりを叩いてきた。
「今の、その場の勢いで言っただけでしょう!」
「そんなことはないよ?」
「嘘っ! ひどい! 意地悪! こんなことで、からかわないで!」
「意地悪なのは否定しないけど……」
「ほらもう、やっぱり!」
否定しないのは意地悪なことだけなんだけどな、と思いながら、私はアメリアの拳を甘んじて受け入れた。
◇
私は王室に向かう。
国王と謁見室で会うのではない。
父と子として、話をしたかった。
私のその願いは受け入れられ、父は待っているとのことだった。




