24. 国王
「じゃあ、そろそろ行こうか」
セウラスがそう声を掛けると、ロイドとフィンははしゃいだ。
「いよいよご対面か!」
「なんか緊張してきた」
けれど私はそんな気になれず、はしゃぐ二人を見つめていた。
このドレスを着るまでは、私もそんな風にはしゃいでいたはずなのに。
今は自分自身に対する失望で心の中が占められていた。
控えの間を出て、廊下を歩く。
廊下にもときどき絵が飾られていて、それらに目が留まってしまう。
「こっちも見るといい」
廊下を曲がるよう促され、私たちは広間に出る。
「うわ、大きいなあ」
広間へと続く横幅のある階段の上の壁一面に、風景画が飾られていた。
「あれはリスターの作品。初期のものだよ」
「へええ」
そんな感じでいちいち足を止めてしまうものだから、なかなか前に進まない。
けれど私も、次々と現れる名画に心を奪われてきた。
あれは? これは? という私たちの質問に、セウラスは的確に答えていく。その知識には舌を巻いてしまう。
「あっ、これ、もしかしてローウェルの自画像? こんなところに」
ロイドが一枚の絵を見てそう言うと、セウラスはこちらに振り向いた。
「アメリア、どう思う?」
「どうって……これ、模写じゃない? その割に出来がいいけれど。というか、模写なんて王城に飾るの?」
「えっ、模写なのか」
フィンが驚いて間近に寄って見ている。
セウラスは小さく笑って答えた。
「そう、模写。でも描いたのは弟子のモラン。今やモランのほうが有名だけれど」
「捻るねえ」
ロイドが喉の奥でくつくつと笑う。
「お嬢さん、さっすが」
「私、むかーしだけれど、本物を見たことあるもの」
「へえー」
そんな風に、四人でわいわいと絵に群がりながら話していると。
「おや? それは我が妃のドレスではなかったかな?」
ふいに話し掛けられて、私たちは慌てて振り返る。
豪奢な衣装に身を包み、立派な髭をたくわえて、十人ほど男性を引き連れた、初老の男性。
訊かなくとも、その人が誰なのかすぐにわかった。
「陛下」
セウラスがそう呼んだ。
膝を折らなければ、と身体を屈めた瞬間に、国王陛下は右手を出してそれを制した。
「よい。そのままで」
「は、はい」
どうしていいのかわからずに、私たち三人は、直立不動の姿勢になってしまう。
「陛下、彼女の着ているドレスは、王妃殿下が着せてしまわれたのですよ」
苦笑しながらセウラスがそう答えると、国王陛下は大きく笑った。
「やれやれ、我が妃にも困ったものだ。どうせ無理矢理着させられたのだろう?」
こちらに向かって問うてきたので、私は慌てて首を横に振った。
「いえ、無理矢理だなんて、そんな」
実際のところは、有無を言わさず服を脱がされ頭からドレスを被せられたわけだが、それは今、口にすることではないだろう。
「確か今日は、マシューの弟子を招待すると報告が上がっていたと思うが」
「その通りです、陛下」
セウラスがその言葉に応える。
その答えを聞いて、国王陛下はこちらに視線を向けた。
「とすると、そなたがマシューの娘御か」
「は、はい」
そう返事をすると、国王陛下はこちらを見て何度も首を縦に動かした。
「なるほど、マシューの女神によく似て美しい」
「そんなこと」
国王陛下にまでそう褒められて、頬が染まる。
それから国王陛下は、ロイドとフィンのほうにも振り返った。
「そちらは弟子たちか」
「さようでございます、国王陛下」
落ち着いてきたのか、ロイドとフィンはそう答えて頭を下げた。
「ふむ。いずれ、そなたらが我が国の芸術を彩るかもしれぬな。精進せよ」
「はい! ありがたきお言葉を賜り光栄です」
「陛下」
そこでセウラスが口を挟んできた。
「アメリアも、宮廷画家を目指しているのですよ」
柔らかな口調でそう付け足す。それがなぜか恥ずかしかった。
「ほう、そうであったか、それは失礼」
「い、いえ」
「もしそうなったら、女性初の宮廷画家ということになるな。これは良い。期待して待つとしよう」
「精進いたします」
ドレスの裾を上げて少し膝を折ると、国王陛下は満足げに首肯した。なのでちょっとほっとする。
「陛下、そろそろ」
「おお、会議の時間か。待たせてはいかん。では皆、城にあるものはすべて堪能していってくれ。我々は未来の宮廷画家を育てねばならぬからな」
笑いながらそう私たちに声を掛けて、侍っていた男性たちとともに立ち去って行く。
その背中が見えなくなるまで見送ったあと。
私たちは一斉に息を吐いた。
「うわあ、陛下直々にお言葉をいただいたよ」
「緊張したあ」
「驚いたわね」
私たちは一様に胸に手を当てて自身の興奮を抑えた。
その様子を見てセウラスは苦笑している。
「でも君たちが宮廷画家になったら、雇い主は陛下だよ。いちいちそんなに緊張していたら大変だ」
「そうなんだけど」
「そうなったら慣れるわよ、……たぶん」
「先生は……最初から気にしてなさそうだから参考にならないかな……」
私たちはそんなことを話して。
そのうち、ロイドがセウラスに振り返った。
「ところで、陛下のこと『陛下』って呼んでいるのか?」
「え、うん、そうだよ」
質問の意図がわからないのか、セウラスは小さく首を傾げた。
「王妃殿下のことは『母上』って呼んでいたのに」
「ああ、そういうこと」
納得したように頷いてから、そして考え込んだ。
「うーん、どうしてだろうね? 陛下とは公的な場でしか会わないからかな。公的な場だと、母のことも『王妃殿下』と呼ぶ。母も私に『殿下』と敬称を付けるよ」
「へえ……」
「陛下とは、私的にお会いすることはほとんどないから」
本当の親子なのに。私的に会うことがほとんどないなんて。
そんな世界があるのだ。
「アメリアだって、先生のことは先生と呼ぶじゃないか。同じことだよ」
「そう……かしら?」
「まあ、そう言われるとそうかなあ」
私たちはひとまずそれで納得する。
「それにしても、今日はすごいな」
「ああ、本当に」
「国王陛下に王妃殿下。まさかお会いするとは思わなかった。しかもお声を掛けられるなんて!」
「私、王太子妃殿下にもお会いしたわ」
「へえ! いやあ、錚々たる面々だなあ」
よく考えるとセウラスも王子殿下なわけだが、彼は同じ弟子なので、そんな感覚はなかった。
私たちが興奮しているところに、セウラスは告げる。
「けれど君たちが会いたいのは、もっと別の人だろう?」
「え?」
振り返ると、彼は口の端を上げた。
「さあ、伯爵夫人に会いに行こう」
「うん!」
その言葉にわくわくして、私たちは大きく頷いた。