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12. アメリアの昔語り

 父は私が生まれたときには、もう画家として働いていた。だが今と違い、細々と描いては画商に売りに行っていた。

 今と比べて技術的には遜色なかったと思うが、売れるような絵ではなかったのだろう。ほとんど値がついていない様子だったから、描けば描くほど赤字だったのではないだろうか。


 ときどき、いかがわしい絵も描いたりしていたから、そちらで日銭を稼いでいたのだと思う。

 もちろん私にはなるべく見せないようにしていたようだけれど、狭い家のこと、私に隠して描くのは不可能で、よく外に出されたりしていた。


 私たちが間借りしていた部屋は二階で、一階は食堂と店主の住まいだったのだが、母はこの食堂で朝から晩まで働いていた。だからよく、食堂に行っては母の働く姿を見つめていた。

 忙しい時間帯はそれもできなかったから、私は店の前の道の上に、木の枝で絵を描いたりして時間を潰した。

 仕事が終わると、母は外で待っている私に駆け寄って、私の手を握る。


「アメリア、ごめんね。待った?」


 そう申し訳なさそうに謝るから、私は首を横に振る。


「ううん、絵を描いていたから、へいき」


 土の上に描かれた猫の絵を見て、母は、まあ、と大げさに声を上げた。


「さすがは父さんの娘ね。アメリアは本当に絵が上手いわ。もしかしたら、アメリアのほうが先に宮廷画家になってしまうかもしれないわね」


 母にそうして褒められるとなんだかくすぐったくて、幸せな気分になったものだった。


 それはたぶん、父も同じだったのだろうと思う。

 父は売れない画家だったが、父の才能を信じ続けていたのは、母だけだった。


「どうして皆、わからないのかしら?」


 母はよく、そう口にしていた。父の絵を見ては、母は首を捻るのだ。


「こんなに優しい絵を描く人なんていないのに。あなたの絵を見ると、私はとても癒されるの」


 輝く瞳で賛辞を呈する母を見て、父はいつも恥ずかしそうにしていた。


「エマはそう褒めてくれるけれど……でも今は、描きたいものを描いているわけではないし……」


 言いにくそうに、もごもごとそんなことを口の中で呟く。


「あら、あの……ちょっと淫靡な絵のこと? でもあれでも、やっぱりどこか優しいのよ、あなたの絵は」


 なんと今では、父が宮廷画家になる前にそうして描いた猥画は、裏で高値で取り引きされているという。

 どうせならあの時代に高く買って欲しかった、と思うのは私だけではないと思う。


 私たちの生活を支えていたのは、間違いなく母の稼ぎだった。

 でも春を売るわけでもない女の稼ぎなど、やはり知れていた。どれだけ母が働いても、画材を購入するだけで吹っ飛んでしまう。


 私たちは三人、肩を寄せ合いながら細々と暮らしていた。

 けれど私はそれで十分だった。父はほとんど家にいたし、母はすぐ下の食堂で働いている。母はいつも笑っていて、父は母をいつも見つめていて、私はそんな二人が好きだった。


 けれど周りの目は、そうではなかった。


「あんたの父さんは、とんでもない穀潰しだよ。売れない絵なんて描かずに働けばいいのにさ。そしたらエマだって楽ができるのに」


 そんなことを言われたのも、一度や二度ではない。

 食堂のおかみさんは母や私には優しかったけれど、父とは口もきかなかった。近所の人たちも似たり寄ったりの態度だった。


 父も、何度か筆を折ろうとしていた。私たちのために。

 けれど母は父の才能を信じていたから、絵を描くことを辞める、ということには頑として首を縦に振らなかった。


「私ががんばるから。あなたはずっと絵を描き続けていて。いつかきっと、認めてくれる人が現れる。私はあなたの絵が好きなの」


 母は呪文のようにそう繰り返した。

 私は早く大人になりたかった。そうしたら私も働いて、父が絵を描くことの手助けができるのに、と思っていた。私も父の優しい絵が好きだったから。


 そのうち、近所に住む男の子たちに、父がいかがわしい絵を描いているのがばれてしまって、ひどくからかわれたものだった。


「お前の父ちゃん、いやらしい絵を描いてるんだってな!」

「仕事もしないで女に食わせてもらってるくせに、変な絵描いてるんだぜ!」


 囃し立てられて、馬鹿にされて。

 でも私は黙って泣くような性格ではなかったので、取っ組み合いの喧嘩をよくした。ついでに言うと、最終的にはいじめっ子たちを泣かせていた。


「お父さんの絵は、すごいんだから!」


 それに同意するまで、男の子たちを追いかけ回した。あの年頃だからできたことだと思う。今だったら、絶対に男の力には敵わない。

 幸い、なのかどうなのか。私と母は被害者で父が加害者、という認識が近所の人たちにはあって、そうして私が暴れることを、特に責められることはなかった。女にやり込められた男の子たちが、言い広めることを嫌がったというのもある。

 気が付いたら私は近所の子どもたちの中で大将になっていて、次第にいじめられることはなくなっていった。


 父はかなりの確率で家にいたから、私が傷だらけになって帰ってきて、それでも自慢げに武勇伝を語ると、よく頭を撫でてくれた。


「アメリアは強い子だなあ」


 諫めることなどなかったから、やっぱりあの頃から父は変わった人だった。

 だからか私はその頃のことを、嫌な思い出だとは思っていない。あんなこともあったなあ、と懐かしく思い返すだけだ。


   ◇


 だがそんな生活も、終わりを告げた。

 母が倒れてしまったのだ。


 最初は「胃の辺りが気持ち悪い」と言っていただけだったのが、次第に食欲を失って、やせ細っていった。とても食堂で働くなんてことはできる状態ではなくなった。

 母の稼ぎがなくなっただけでなく、薬代だってかかる。父の絵だけではとてもじゃないが、生活していけなかった。

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