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1. 第三王子

 ある日、宮廷画家である父が、一人の男性を屋敷の中にある工房に連れて帰ってきた。

 それは娘である私と、父の弟子であるロイドとフィンが、静物画を描いていたときのことだった。


「あー、皆、少し手を止めて」


 師匠である父が、なぜか少し面倒そうな声音でそう指示したので、私たちは渋々ながら筆を置いて席を立つ。

 せっかく今、筆が乗っていたのに。静かな工房の中、三人が絵筆を滑らせる音だけが響く、心地よい空間だったのに。


「今日から一人、仲間が増えます」


 隣に立つ男性をちらりと見たあと、平坦な声で父がそう告げた。


 仲間。私たちはその言葉を聞いて、顔を見合わせる。

 そもそも私たちは仲間ではない、と三人ともが心の中で異議を唱えた気がした。

 三人が三人、宮廷画家を目指して切磋琢磨する競争相手だと、互いを認識しているはずだからだ。


「セウラスです、よろしくお願いします」


 男はそうにこやかに挨拶すると、一人一人の前に立って手を差し出してきた。

 栗色の髪と瞳を持つ彼は、端正な顔立ちをしているしスラリとした身体つきなので、画家として描くよりも描かれるほうが向いているのでは、とも思えるくらいだ。


 ロイドとフィンは戸惑った風ではあったが、その手を握って握手を交わす。

 彼は私の前にも立つと手を差し出してきたが、私はそれを無視して父のほうに振り返る。


「どういうことよ、父さん」

「先生」


 父は間髪を入れずにそう訂正する。

 私の不躾な態度に気を悪くしたような素振りは見せず、男はにこやかな表情のままで、私の前に差し出していた手を引いた。

 私はひとつため息をつくと、口を開く。


「先生。彼は弟子になるということですか? でも、こちらに通っていただなんて知りませんでした」


 私がそう非難めいた言葉を発すると、ロイドとフィンもそれに同調するように、うんうん、と頷いた。


 娘である私はともかく、ロイドもフィンも、毎日足しげくこの工房に通い、頭を下げ、そしてきっちり一ヶ月経ったときに弟子入りを許された。

 宮廷画家である父に弟子入りするには、それが通過儀礼なのだと思っていたのだ。


 実際、途中で脱落した者も多々いる。悪態をつきながら去っていく背中を何度見送ったことか。

 彼らの中にはその後、別の宮廷画家のところに弟子入りを果たした者もいるが、名前もまったく聞かないし見かけることもないので、結局は脱落したのではないかと思う。


 つまり、一ヶ月通うというのは、それほどの熱意を持っていますよ、ということを知らしめるための儀式なのだろう。その熱意がなければ続かないことを、過去に脱落した人たちが証明した。


 だが目の前のこの男は、それをすっとばしてここにやってきた。『仲間』と言うからには、もちろん父の弟子として。


「ああ、彼は期間限定なんだよ」


 父はそう答えて微笑んだ。ついでに男も微笑んだ。


「期間限定?」


 眉をひそめてそう問い返すと、父は続けた。


「半年ばかり、こちらに通う。君たちとは目指すところが違う。けれど半年だけとはいえ、私の弟子であることには変わりない。同じように扱うつもりだ」

「なんのために」

「それを説明する必要があるかね?」


 そうきっぱりと問われれば、返す言葉はひとつだ。


「……いいえ」

「というわけで、よろしく」


 目の前の男は、再び手を差し出してきた。

 私は仕方なくその手を握り返す。多少強めに。

 男はその行為に、にっこりと笑みを返してきただけだった。

 どうやらそれで、彼が父に弟子入りをした、という表明は完了したらしい。


 工房をぐるりと見渡して、父は口を開く。


「ああそうか、倉庫に持って行ってしまったな。アメリア、画架イーゼルをひとつ持ってきてくれ」


 もちろん新しい弟子のためのものだろう。


「ええ? なんで私が」

「アメリア?」

「……わかりました」


 気乗りはしないが父に従って、工房を出る。ここでは父は王さまで、絶対服従だ。

 まあ大した手間ではない。工房の隣の部屋が倉庫になっている。


 倉庫の中に入ると、画架をひとつ手に持つ。外に出ようとしたところで、はたと気付いてまた戻る。

 画架がいるなら、椅子もいる。帆布キャンバスも。木枠に張られたものはあるだろうか。彼はなにも持っていない様子だったから、もしかしたら画材一式必要なのかも。


 ひとまず画架と椅子だけ持っていこう、と両手に持ち、工房に戻る。

 すると、セウラスという男はロイドとフィンと会話していて、父はなぜかいなかった。


「二十四歳だろう?」

「どうしてわかる?」

「第三王子がセウラスって名前じゃないか。王子が生まれたとき、あやかろうと同じ名前をつけた親は多いって聞いたことがあるよ」

「ああ、なるほど。そうだよ、二十四歳」

「やっぱり」


 そんなことを喋りながら、三人は笑い合っている。

 もう馴染んだのか。早い。


 彼は宮廷画家を目指してはいないから競争相手でもないし、男同士ということもあるのかもしれない。

 私は三人の会話を無視して、その前に立つ。そして画架を立てると、セウラスの前に置いた。それから椅子も。

 彼らはそれを黙って見つめていた。


「高さの調節は自分でしてちょうだい」

「ありがとう」


 セウラスは口元に笑みを浮かべて礼を述べる。


「画材もなにも、持ってきていないのよね?」

「ああ、そうだね」


 まるで今気付いたかのように、彼は答えた。

 仮に宮廷画家を目指していないとしても。半年という期間限定だとしても。あまりにもやる気がなさすぎではないか。


 だが私はそれらの思いを呑み込んだ。考えているうちに、彼がここにやってきた経緯が、なんとなく思い当たったからだ。


「じゃあ、持ってくるわ」

「あ、私も行くよ」


 そう言ってセウラスもついてこようとする。私は立ち止まってくるりと振り返ると、それを制止した。


「結構よ」

「えっ」

「私が頼まれたことなの。手助けは必要ないわ」

「ああ……そう」


 きつい口調で言われたことに驚いたのか、彼は動きを止めた。

 私はそれを一瞥すると、また倉庫に向かう。


 父は、弟子をあまり取らない。話も聞かずに拒絶するのが普通だ。その中で一ヶ月通うという儀式を通過した者だけが生き残るが、実はそれも渋々なのだ。

 父は本当は、一人で集中して描きたいのだ。


 ロイドとフィンは儀式を経たこともあるが、本当に見所があるのだと父が認めたので受け入れられた。今は彼らもこの屋敷に住み込みで弟子をやっている。


 私は娘であることをいいことに、押しかけ弟子をやっているだけで、認められたわけではない。

 父は私に弱みがあるから、強く拒絶できないだけなのだ。


 宮廷画家の中で、ここまで弟子が少ないのは父くらいだ。他の宮廷画家は、十人、二十人、あるいは百人近く、弟子をとっているという。

 そんな父が期間限定という変わり種の弟子をとった。考えられることはひとつだ。

 おそらくは、セウラスは貴族の子息だ。しかも位の高い貴族。

 王城に雇われている身の父が、高位の貴族の願いを断れるわけもない。依頼を受けて、彼に指南することになったのだろう。


 ほんの半年で、いったいなにができるというのか。

 でもまあこれも仕事だわ、と思いながら画材の準備をして、また工房に戻ろうと倉庫を出る。


 工房の扉に手を掛けたところで、三人の声が耳に入った。

 私の手がそこで止まる。


「お嬢さんは性格がきっついからなあ、気にすることはないよ」

「そうそう、せっかく可愛いのにさ」

「そうだね、可愛らしい女性だね。先生の作品の女神に似ている気がするけれど、彼女を見て描いたのかな」


 それは、ときどき言われる。金の髪に濃緑の瞳、白い肌の色。父の描く女神に色合いが似ているから、そう言われるのだと思う。

 けれど、違う。私ではない。


「いやいや、いっつもつんけんしてるからさ、この世で最も美しいと評される先生の女神には遠く及ばないよ。女神に睨まれるなんて、救いがなさすぎる」

「猛獣だよ、猛獣」


 どっと笑いが起きたところで、扉をガラッと開けた。

 ぴたっと工房の中が静まり返る。ロイドとフィンは、まずい、という表情をしているが、セウラスは穏やかに笑みを浮かべて立ち上がった。


「ありがとう」

「どういたしまして!」


 画材を彼に押し付けると、荒い足取りで自分の椅子に戻る。


「喋っている暇があるのなら、絵筆を動かしたらどうなの?」


 私の言葉に、三人は顔を見合わせた。ロイドとフィンは肩をすくめ、セウラスは困ったように小さく首を傾げる。

 そこで、また工房の扉が開いた。


「いや失礼。待たせましたな。今、飲み物を持ってこさせていますから」


 父がセウラスに向かってそう声を掛けた。

 飲み物? 今まで弟子に対してそんなことをしたことは一度もない。飲みたければ勝手にどうぞ、という感じだったのに。

 やはり貴族の子息か、とため息をつく。


 ロイドとフィンはといえば、横目でセウラスに視線を向けている。どうやら今頃になって、その可能性に思い至ったらしい。


「そんな気遣いは必要ありませんよ、先生」


 セウラスはゆったりと話し掛けている。


「まあ、初日ですから。多少の甘さは必要でしょう」

「お気遣いには感謝します。では次回からは必要ありませんからね」


 彼が柔らかな声で遠慮すると、父は小さく頷いて応えた。


「では一枚描いていただきましょうか」

「そうですね。せっかく用意してもらいましたし」

「でしたら殿下、どうぞこちらに」


 その言葉の一拍あと。


「は?」

「え?」


 ロイドとフィンの間抜けな声がする。

 私は、はーっと息を吐いた。

 殿下。貴族とは思ったが、まさかの王族。おそらくは、本当に第三王子。


「先生……」


 当の王子はうなだれると、額に手を当てて目を閉じている。


「おや失礼。ついうっかり」


 悪びれもせず、父はそう応える。

 どうせ隠し事をするのは面倒だとでも思ったのだろう。父は絵を描くこと以外のことには、とんと興味が湧かない人だ。そのうち明かしてやろうと狙っていたに決まっている。


 王子は肩を落として諦めたような表情をしたあと、こちらに振り向いた。


「申し訳ない、隠し事をしてしまって。実は、陛下の仰せで、半年ばかりこちらに世話になることになった。気を使わせてしまうかと秘密にしたのだけれど、こういうことになってしまって」


 そして口元に弧を描くと、こう続けた。


「私は、クラッセ王国第三王子、セウラス。これから半年、よろしく頼む」


 ロイドとフィンは、呆然とその場に立ち尽くし。

 私は心の中でため息をついた。

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