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青の座敷の墨つき妖怪  作者: 小津 岬
【 二 】
9/50

菊火てんてん 2

 月若邸には、平屋の半分ほどの広さの二階が備わっている。急な階段を身をすぼめるようにして上がると、客間と納戸が顔をつき合わせているという格好だ。

 先ほど天井に走った気配は、今は感じられない。虎太郎はホッとしつつ、二つある洋間の扉を開けた。

「こっちは昔の俺の部屋で、そこは本当のお客用…… でも長いこと使ってないし、祖父さんもほとんど上がってないはずだ」

「おやおや、おとないの絶えた家とはなんとも寂しいな」

 足を動かすのを面倒くさがったのか、妖はなかば透けながら階段をただよってくる。どっしりした木製の手すりに肘をついた虎太郎は「原因の一端がよく言うよ」と目をせばめた。


 影から浮き出た藍が心外な表情に変わる。

「まだ怨霊あつかいするか、あの座敷で大人しくしていたものを」

「大人しくするより、さっさと開けてくれればよかったじゃないか。俺、こっちにきてからずっとお化け屋敷の子って言われてたんだぞ?」

 痛いところをつかれたのか、藍はぐっと詰まってからぼそりと言い返した。

「……休息していたのだ。外のできごとなど、夢にまざるを垣間見るのみ」

「つまり、寝て起きたわけか。妖怪の暮らしは優雅だな」

 虎太郎は笑いながら部屋に足を踏み入れた。



 藍と遭遇した日に風を通したくらいで、しっかり観察するのはひさしぶりだ。六畳ほどの洋間は記憶と変わりなく、小さな机と椅子、本棚、たんすが四方に収まっている。

「ほう、なかなかの趣味ではないか」

 藍が声を漏らしたように、どれも昭和初期までの精緻な造りをしていて、骨董こっとうの貫禄を帯びていた。


 だが、ここに移ってきた時の虎太郎はまだ七歳。

 飾り気のない生真面目な調度品は、それまでにぎやかなマンションで暮らしていた子供が親しめるものではない。それどころか、両親をうしなって別のところにきてしまったという現実を毎日のようにつきつけた。

 あいにく祖父は流行にそったセンスを持ち合わせておらず、孫に与える物も地球儀や文学全集、それから書道具など、とにかく堅かった。友達がいたとしてもここには呼べなかったよな、と虎太郎は思う。



 過ぎたことは置いて、あたりを見回す。

 やはりあの細糸の張るような感覚はない。もう一方の部屋にも入ってから、彼は自信なさげに妖へ向き合った。

「気のせいだったかな」

「いや、警戒するに越したことはない。留守の際は私が注意して…… なにを笑っているのだ、虎?」

「ああごめん、浮いてるなと思って」


 そう言われた藍は自分の足もとを見下ろした。足袋たびにつつまれた足はちゃんと床についている。

 不思議そうに見返されて、虎太郎はいよいよ笑い声をあげた。

「ちぐはぐだってこと! ここ一応洋間だからさ、平安妖怪にはちょっと合わないな」

「なんと、私がこの家にそぐわないと申すか!」

 藍が水色の袖をばたつかせる。虎太郎は階段に戻って手まねきをした。

「お前には畳がいいよ、畳が。忠告どおり大掃除するから、邪魔しないでくれよ」

 軽口を叩いていた彼だったが、階下へ降りたとたんなにか硬い物を蹴とばし、

「うわっ!」

と宙を泳いだ。

 ハッと顔を上げると、うるし塗りの膳が廊下に転がっている。それだけではない、洗濯カゴも座布団もカバンもテキストも、ありとあらゆる物がごちゃごちゃに散乱して……


 家じゅうが引っくり返っていた。



 掃除は延期、とふたりの意見は一致した。

「すごいな、台風が通ったみたいだ…… また危ないやつじゃないか?」

 虎太郎が不安げに尋ねると、藍は「いいや。われわれに向かってこないとなると、切実な訴えではなさそうだ」と首をふる。

「だが、捕らえぬかぎり好き勝手かき回されるだろう。来訪の日どりは決まっているのか?」

「明後日の午後。でも、断ろうかと思う」

 スマホを握った虎太郎は、夕焼けの裏庭を難しい顔でにらんだ。藍がさらにその顔をにらむ、

「なんと弱気な、それまでにあやつを治めてやればよいのだ! たとえ相打ちになりこの身が真白に干上がったとて……」

と細い拳を震わせて。


 青の間の被害は文机が横倒しになっただけですんだが、自分の居城にまんまと手を出されたことが許せないらしい。

 深い青色の目がぎらぎら底光りするのを見て、虎太郎は「おい、変な術で屋敷を壊さないでくれよ」と慌ててさえぎった。

 妖がキッと顔を向ける。

「変な術ではないし、術を使うのはお前だ。虎、本心ではぜひとも客を迎えたかろう。四の五の抜かしていないで書を鍛えるしかないぞ」

 静かに、そして重々しく告げられ虎太郎は固まった。妖の整った面立ちは怒りに染まって迫力が増している。彼は最後の抵抗をしてみた。

「それさあ、普通の書道と書の術って、そんなに関係……」

「ある。大いにある」

「わかりました」

 虎太郎は子供のようにうなずいた。「いやだ」のイの字でも口にすれば、頭からひと息に食われそうだった。

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