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青の座敷の墨つき妖怪  作者: 小津 岬
【 一 】
7/50

月の屋敷に藍の澄むこと 7

 庭の手入れが終わった、と報告すると、祖父は「ご苦労だった」とうなずいた。

 手術をした片脚はがっちり固定されているが、ベッドの上に身を起こしている。虎太郎はホッとしながら椅子を引き寄せた。

「祖父ちゃん、顔色よくなったな」

「よくならないと困る。骨が折れただけのことでお前を一人にできん」

 太い声にあたたかな優しさが灯り、祖父と孫は自然と顔を見合わせる。それはずいぶんひさしぶりのことだった。

「社会に出るまで見届けなければ、倖一こういち清美きよみさんに申し訳が立たないからな。もう三、四年の辛抱だ」


 両親の名と並べられた数字は妙に生々しく感じられた。虎太郎はやっぱり怒ったような表情に戻り、

「そういう人にかぎって長生きするんだろ、孫に世話焼かせて」

と口をとがらせ、てきぱきと用事を済ませにかかった。彼を眺めていた祖父が口を開く。

「試験はどんな具合だ」

「大体終わった」

 二つの意味で。学業から話をそらそうと、彼は「それより、笛やるかもしれない。夏祭りで」と急いでつけ加えた。


 祖父はしばらく黙っていた。あの竜笛は、彼が若いころに騙し半分の高値で買わされ、苦い思いとともにしまいこんでいたものだ。屋敷に引き取った孫がそれを掘り出した時、吹くのはとめなかったものの、あまり喜んでいる様子ではなかった。

 今回も聞き流したのだろうと虎太郎は思ったが、ふいに返事が投げられた。

「お囃子はやしか」

「そんな感じ。人が足りないらしくて」

「では、年寄りにかまっている暇はないだろう」

 虎太郎が手をとめてふり向くと、祖父の気丈な視線とぶつかった。

「わしのことはほどほどにして、そちらを手伝ってやりなさい。お前のためにもなる」



 ブローカー役の三橋に連絡をし、下宿に戻って前期最後のレポートを特急で仕上げ、虎太郎が月若邸に帰ったのは数日後の夕方だった。

 座敷のふすまはすでに開いていて、当然のように藍が座していて、しかも文机の上に自前らしい書道具を広げていた。

「おや、おかえり」

 筆をとめた藍がなんでもないように顔を向けてきたので、虎太郎は細かい質問を脇にどけることにした。こうやって迎えられると悪い気分ではない、相手が妖怪であっても。

「なんだ、お前も書くのか」

 照れ隠しに紙をのぞくと、流麗な書体で “藍澄” と記されている。

「あいずみ?」

「雅号のようなものだよ。本質は藍だが……」

 ここで藍は、虎太郎が手にしている細長い包みに目をやった。


「あ、これ竜笛。しばらく練習するから、うるさかったらふすま閉めといて」

 彼はひょいと笛をふる。空気が動き清涼な墨の香りが立った。藍はさほどの関心を見せず、すずりに置いていた筆を取りあげる。

「笛も結構だが、私としては書を鍛えたい。ひとつお前も」

「絶対書かねえ」

「なんと」

 妖に真顔で見つめられても、虎太郎は一歩も退かなかった。こればかりは譲れないのだ。

「苦手なんだよ、本当に。祖父さん直々に教えられても全然だめだったし、その祖父さんも諦めた。根っこから向いてないんだ」


 これが書家の孫の字か、と今までどれだけ祖父に叱られ、他人に笑われたことだろう。自分の字を見る機会はできるだけ減らしたい、毛筆なんて特に。

 口を引き結んだ青年のみなぎる意志を感じとり、藍は幾度かまばたきをした。

「……まあ、くこともなし。いずれ、追々」

「絶対書かねえ。宙はよくても紙には書かねえ絶対」

「あいわかりました、重々承知! これは先が思いやられる……」

 拒絶の意志でハリネズミのようになっていた虎太郎は、「呼ばれたのも気のせいか」という藍のぼやきを聞き逃した。

「じゃあそういうことで、ちょっと吹いてくる」


 立ちあがりかけた彼を藍がとめる。

「ああ虎や、くりや蔬菜そさいが痛んでいたよ。さやを開けば墨染めの豆」

「ん、もらったやつなら早成りの黒豆で…… 待て、お前出歩けるのかよ!?」

「気が向いたなら」

 澄ました横顔を見て虎太郎は悟る。さてはこいつ玉露を探していたな……

 しかたない、と腰をあげた彼は、台所に向かう前にふり返った。

「なあ藍。お前、うちの何なんだ?」

 情けなく眉を下げた虎太郎に、妖自身も小首をかしげて答えた。

「ゆかりの者、ということにしておきますか。さて、その黒豆とやらも添えていただこうか、虎や」



( 第一話 了 )


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