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青の座敷の墨つき妖怪  作者: 小津 岬
【 七 】
43/50

暗夜、紅に藍 6

 屋敷の中は異様な静けさにつつまれていた。

 外の戦いなど存在しないかのように白々とした空気がただよう。居間から漏れる明かりが、廊下の板敷きをにぶく光らせている。


 その途中に立っているのは、竹蔵だった。

 彼は闇に沈む青の間にむかって目を見開いている。半分透けた身体が細かく震えていた。

 裏庭には、おぼろげにたたずむ梨那紅の姿があった。

 白く淡く、溶けかかっている。竹蔵をまっすぐ射抜く瞳だけが黒々としていた。


 すっと両手があがり、文机の方へ差し伸べられる。

 ハッとなった竹蔵が座敷に飛び込み、棚の上の硯…… 守護の力の源、陸海空の前に立ちはだかる。

 彼は怯えきっていたが、ごくりと唾を飲んで「お、おいらは……」と声を絞り出した。

「おいらは臆病者だ。だからわかってた、あんたがおっかねえものだって」



 説明のつけられない恐怖心は、夜ごとの訪問が重なるたび強まっていた。かといって、梨那紅を治めてやろうとする虎太郎に水をさしたくない。

 そこで竹蔵は考えた。ひとつ旅立ちの小芝居を打とう、取り越し苦労と片がついたら、向かうべき方へ進みゃいい。

「そしたらほら見ろドンピシャだい。こいつは大事な硯さまだ、お前には渡さねえ!」

 竹蔵が啖呵たんかをきると、梨那紅の頭ががくっと折れた。ばきばきっという濁った音が聞こえた気がして、竹蔵はビクリと肩をちぢめた。


 いくらなんでも様子が違う。まるで操られてるみたいだ、この前のおいらみたいに。


 梨那紅の姿がふと薄くなった、と思った時にはもう縁側の上に立っている。両手をつき出した不気味な姿勢、首は不安定にぐらぐらと揺れる。竹蔵は相手にむかってせいいっぱい腕を広げた。

 溶けた少女の影がもう一度薄れていく。彼は思わず目をつむる。

 ばぎっ、

 と不快な骨の音がして、目を開くとそこに顔があった。




 赤い霧の刃が藍を襲った。

 藍は半身を影に、残りを風にして疾走する。幾度も押し戻されながら、相手の枝を揺らすまで距離をちぢめ、あとひと息で本体に届くところまできていた。

 幹に目をやれば、守るべき青年が力なく寄りかかり眠っている。その姿を確かめた瞬間、藍の頭に二つの名が並んだ。


 虎太郎と宗月。宗月と、虎太郎。

 一筋の光がさした。


「……そういうからくりか」

 同じ、あるいは似たことが起きているのだ。

 二人でひとりの梨那紅がいる。それに気づけなかったのは、危険の核たる片割れがずっと領域にひそみ、力を育んでいたからだ。

 藍は赤い花を抱く木にむけて叫んだ。

「姿をあらわせ。お前の本質を見せよ!」

 それに応え、重々しい黒雲に凶暴な雷光がとどろいた。



 シュッと擦るような音が響くと同時に、月若邸の内外がはじけて空間が揺れた。

「ひゃっ!?」

と、追いつめられていた菊火が屋根から滑ってぶらさがる。しかし必死に顔をあげた時、シァンフェイはすでに飛び去っていた。

 あたりは静まり返り、乾ききらなかった雨の名残りが草木からしたたっている。菊火は、庭に倒れている人影を見つけて矢のように駆け寄った。

「虎太郎!」

 彼は横向きにうずくまっていた。全身から力が抜けているのがわかる。テンの顔が青ざめたが、ふれた頬にぬくもりを感じると急いで叩き起こした。

「しっかりしな、寝てる場合じゃないよ!」


 前脚と尻尾の洗礼を受けた虎太郎は、やがて「う、菊火……?」と声をもらして顔をしかめ、目をしばたかせた。

 菊火はホッとなって彼をのぞき込む。

「正解花丸、ケガはないね? 藍のヤツはどうしたのさ」

「藍……」

 身体を起こした彼は、額をぬぐって呆然とした。ごめんなさい、と言った後の梨那紅の声が耳に張りついている。


 “わたしはあなただけを求めてしまう”



 虎太郎は急に立ちあがろうとした。よろけた彼を菊火がささえる。

「あんた赤い霧にまかれて消えたんだよ。覚えてる?」

「ああ、あの木の丘につれていかれて……」

 赤い夢、雷鳴。

 意識が溺れかけた時、涼やかな風がすくいあげてくれた。

 息を飲んで庭を見回すが、気配はどこにもない。こわばった顔を見合わせたふたりは、物も言わず屋敷へ走る。廊下を飛び越えて青の座敷に駆け込んだ。


 しかしうす暗い部屋には誰の姿もない。一歩踏み入れたとたん、虎太郎が鋭く顔をあげた。

 棚にそって置かれていた硯が、大きくずれている。

 そこで起きた静かなせめぎあいを、虎太郎は身に刻まれるようにして感じとった。

「竹蔵」

 彼はたったひとりで陸海空を守りきり、そして。


「……消えちゃったの?」

 菊火が呆然としてつぶやいた。

 彼らは裏庭を前にして動けずにいた。虫も鳥も、風さえも鳴かない暗い夜が広がっていた。


(第七話 了 )

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