暗夜、紅に藍 3
「ハルちゃん、月若くんとは最近どうなの」
大学の寮まで遊びにきた阿ヶ瀬は、持ってきた菓子を広げるのもそこそこに真剣な顔をした。ぐっと身を引いた春瑠は、
「どうって、どうもしないよ」
と目を丸くする。
相手が「なんだー、お祭りの時いい感じだったのに!」と椅子の背にもたれると、古いエアコンがあいづちのように風を吐き出した。
「虎太…… 月若くんは友達だし、友達」
「いま虎太郎くんって言った! 怪しいー」
楽しげに盛りあがる彼女を前に、春瑠はちょっと考え込んだ。
数珠をはめた、竜笛吹きの男の子。
強いまなざしと閉じた口は、ひとたび笑うと急に人懐っこさをのぞかせる。かと思えば、ハッとするほど静かで遠い表情を見せることもあった。
ほかの人とは違う、という思いは確かにある。しかしそれは虎太郎にまつわる未知の部分に対する気持ちで、彼本人はそういう好奇心を避けたがっている……
そんな図が浮かび、彼女はサッと表情を引きしめた。
「やっぱり違う、そういうのじゃない」
判決を下すように宣言され、阿ヶ瀬はしぶしぶ納得したようだった。それでもカップを揺すって口をとがらせる。
「お祭りの写真で決定的だと思ったのに。月若くんをあんなかっこよく撮るんだもん、あの一枚だけ絵みたいだったなー」
「大げさなんだから。ユウちゃんのベストショットは白城先輩でしょ、両手に酒ビンの」
そう切り返すと、阿ヶ瀬はとたんに「やめてよー……」とぐったり溶ける。攻守交替、春瑠は「で、白城先輩とは最近どうなの」と友達に詰め寄った。
月が満ちはじめ、新しい秋がめぐる。
虎太郎は、すでに梨那紅を数回庭にむかえていた。二度目だけシァンフェイが前もって知らせにきたが、それからは夕暮れの気配で訪れがわかるようになった。
ああ今日だ、という日、夜が深くなってから勝手口を開ける。
彼女は香る風としてやってきて、ふり向けば庭に立っている。他愛ない会話をして一時間もせずに出ていく、という流れができつつあり、虎太郎もそれに慣れてきていた。
彼女は言いつけを守り、あれからは大人しくふるまった。
いつも立ちっぱなしだから、と虎太郎が庭に小さな台を出しておいた時は感激のあまり花が舞いかけたが、
「いけない!」
と自分の頬を両手で包み込んで抑えきった。
ぜいぜい言いながら台に座った彼女を見て、虎太郎は頭をかく。
「余計なお世話だったか?」
「いいえ。長いあいだ、人に心を尽くしてもらうことなどなかったものですから」
そう言った時の素直な微笑みは、彼の胸に同情を呼んだ。
「藍、どうも結びつかない気がするんだ。あの梨那紅と、宗月の死と……」
朝の座敷で虎太郎が打ち明けると、妖の方も「お前が感じるなら、そういうことなのだろうかね」とあいまいに首をかしげた。
「宗月の心残りがはっきりすれば、疑いも晴れるのだが。それまでは来訪を迎えるしかないようだ。ところで最近また笛ばかり吹いているな、今日こそ筆にしなさい」
「あ、これからちょっと祖父さんの見舞いに……」
「言い訳にご老人を使ってはならぬ、待て虎や!」
というふうに、ひところの緊張は一旦なだらかになり、屋敷の内外は平和といっていい。ただし菊火は相変わらずテンの目を光らせていた。
「油断できないよ、あっちには呪い使いがついてるからね」
「お前、シァンフェイのことちょっと気に入ってるよな」
虎太郎が意地悪く言ってみると、彼女はまだ夏毛の黒い顔でニッと笑った。
「好敵手ってだけ。子供の勘ぐりはよしな、虎太郎」
竹蔵が月若邸を去ったのは、そんなさなかの晴れた朝だった。
「実は、少し前から手前の行く方角がわかってまして。あちらさんも落ちついたようですし、これで安心しておいとまをいただけるってもんでさあ」
「そうか…… それが一番いいんだよな、寂しいけど」
話を受けた虎太郎が眉を下げて笑う。竹蔵のさりげない言葉は場を円滑にしてくれたし、気弱ながらの優しさが嬉しかった。そう言われた彼は、
「まったく旦那は幽霊泣かせだなあ! ちょいとありがたい硯にあたってから、お別れとさせてもらいましょうかね」
と笑った。
しかし意外なものが竹蔵を引きとめたがった。
藍だ。
「そんなに急がなくともよいだろう。画の箱はどうなる、“引掛御仕事人” の次は “栗太郎侍” が始まるのだぞ」
「そいつは確かに気になるところですが。兄貴、どうかおいらのかわりに見届けておくんなせえ」
なだめるように言われても、藍は竹蔵の透ける肩をしきりに引っぱろうとした。
「いやだ。お前が旅立てば屋敷の常識者が私だけになってしまう」
「おふざけ抜かしてんじゃないよ墨妖怪」
「屁理屈いって困らせるな、竹蔵が決めたんだから……」
菊火と虎太郎にいさめられ、藍はようやく不満顔のままうなずいた。
見られたってどうにかなるだろう、とどやどや玄関を抜け、虎太郎が門を開けてやる。照れながら屋敷の前に立った竹蔵は、
「虎の旦那、藍の兄貴、菊姐さん。本当にお世話になりました。おいら皆さんを忘れません、どこに行っても!」
とやっぱり笑顔で別れを告げ、朝の道を歩いていった。迷いのない足どりは江戸時代の旅人のようで、あたりの景色ごと時代をさかのぼって見えた。
「元気でね、竹蔵。極楽で愉快にやんな!」
テンの姿で門柱にのぼった菊火は、いつまでも尻尾をふって彼を送った。
ひとつの出会いが終わり、秋に向かう月若邸はいっそう静かになったようだった。




