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青の座敷の墨つき妖怪  作者: 小津 岬
【 七 】
39/50

暗夜、紅に藍 2

 新月の夜になった。

 虎太郎は表庭の縁側にひとり腰かけている。

 すでに屋敷の明かりは落とし、時刻は日づけも変わるころ。待ちつづけるあいだ、心臓は高鳴ったりおさまったりをくり返して彼をあおった。


 使者が去った後、藍から宗月道士の最期について聞かされていた。

 といって、千年前に死んだ時の話をされても実感は湧いてこない。虎太郎は取り乱しもせず考え込んだ。

「これから訪ねてくるカリンの木が、その時の都の怨霊ってことか?」

「まったく同じものではなさそうだ。なんらかの関わりがある、というところだろうね」

と、藍は白い頬に手を添えて彼を見た。

「この相手、宗月自身の心残りともつながっているように思うのだ。お前の言ったとおり話をせねば始まらん。案ずるな、私は絶対にここを離れない」



 虎太郎が第一にするべきは、相手と向きあい、迷う心を治めてやること。たとえどんなに恐ろしい姿をしていても、本質をつかんでやるのだ。

「大丈夫だ。俺はできる」

 やってきたことは少なくても、まったくのゼロじゃない。

 汗ばんだ手を握ったり開いたりしていると、暗い庭の左隅に気配を感じた。反射的に顔を向けると、その先の勝手口がトンと叩かれる。


 あちこちで鳴いていた秋の虫がぴたりと静まった。

 静寂に沈んだ庭を渡り、質素な木戸の前に立つ。手首を守る数珠を意識しながら、彼はそっと戸を開いた。


 その瞬間、甘くさわやかな風がさあっと吹き込んだ。彼の顔をなでて軽やかに後ろへ抜けていく。

「あっ」と首をめぐらせた時には、風はもう庭の真ん中に形をとっていた。

 少女の影姿が立つ。

 古代の衣装、だけどこの国じゃない。手紙の文面と、「大陸」という藍の言葉が浮かぶ。おぼろげだった姿は、ふり返った虎太郎が近づくにつれて鮮やかにきわだってゆく。一歩、また一歩。



 間を空けたところで止まり、

「君は……?」

と声をひそめる。

 夜空の下の少女はとてもはかなげで、不用意に揺らせばもろく壊れてしまいそうだった。

「やろうと思えばいくらでも化けられんだ。どんな手がまねいたって、簡単に握っちゃダメだからね」

という菊火の助言が頭をかすめ、虎太郎は身を硬くした。


 しかし訪問者はみずから動いた。


 両手を広げまっすぐ向かってくる、可憐な顔をいっぱいにほころばせ、小さな唇を歌うように開き……

「宗月さまっ!」

 喜びではちきれそうな声が儚さをほうり投げた。

 あ、なんか違う。

 虎太郎の気が抜ける。彼の胸へ飛び込もうとした少女はそのまま勢いよくすり抜けてしまい、袖をばたつかせて大きくつんのめった。

 やっぱり違う。虎太郎は戸惑いながらも、「あのー、大丈夫?」と普段どおりの声をかけていた。




 対面のはじめに、少女はあらたまって姿勢をただした。

「月若虎太郎さま、どうか数々の無礼をお許しください。宗月さまに会いたい一心で、従者に命じ手荒な行いにおよんでしまいました」

と、両手をあわせて深く頭を下げる。長く垂れた袖がひらひらと揺れた。

「それは…… 受けるかどうかは、少し待ってくれ」

 そうとどめた虎太郎は記憶が湧くのを待ったが、やがて諦めた。

「最初に聞きたい。君は誰なんだ」


「あなたさまに、梨那紅りなくという名をいただきました」

 少女はとても大切そうに口にした。

「俺が、宗月さんがつけたって?」

「そうです。いいわ、一度は思い出して下さったもの」

と笑いかける。明るい笑顔は普通の女の子のようで、こんなに若くして死んでしまったのか、と虎太郎は気の毒に思った。



「ええっと梨那紅、少し話そう。座らないか」

 彼が声をかけると、梨那紅は大人しく首を横にふった。

「身体を持たないわたしは、守られた家には上がれません。シァンフェイとは違うのです」

「あのコウモリの人、じゃなくって妖怪か。難しい名前だな」

 飾らない感想に少女の顔がほころぶ。

さとに飛ぶもの、という意を持ちます。わたしをよく助けてくれる精霊で、出会ったのは……」

と、声が途切れる。

「……シァンフェイに尋ねなくては。わたしは過ぎたことの多くを失いました。いま語れたらよかったのに」


 寂しそうにうつむいた彼女へ、虎太郎は自然な言葉を返した。

「おあいこだ。俺だって大体忘れてる」

 顔を向けた梨那紅が、夢見るような表情に変わる。

「やはりあなたは宗月さまですね」

「最初は冗談かと思った。でも、それで合ってるみたいだ。見た目はぜんぜん似てないらしいけど」

と、彼が何気なく微笑んだ瞬間だった。


 目の前に立つ梨那紅のまわりに、薄い紅色の花びらがぶわっと爆発した。


「うわっ!?」

 甘く強い風にすくわれ、虎太郎は縁側から転げ落ちる。見上げた視界を花の嵐がおおいつくしていく。

「あ、藍っ!!」

 彼の叫びが消えるより早く、屋敷の奥からどっと涼風が押し寄せた。

 ガタガタとさんを揺らし庭へ舞い込み、花びらをまとめて吹き払う。竜のような勢いで中空にひるがえると、膝をつく虎太郎の前に人の姿となって降り立った。




えりを開けば刃がのぞくとは。約束をたがえたな、亡花もうかの霊」

 どこか予期していたらしい調子で藍は告げる。虎太郎は慌てて立ちあがりながら、屋根の上に菊火の気配を感じた。

 陸海空だってある、屋敷の守りは堅い。場を治めるのは俺だ、と彼は口を引き結び心を決めた。


 しかし、騒ぎはそこまでだった。花びらが晴れた後には、しょげかえった梨那紅がぽつりと立っているだけだ。 

「ご、ごめんなさい。つい嬉しくなってしまって……」

と、かかげた袖に隠れてこわごわと藍をうかがう。

 梨那紅は、菊火の人姿よりは背丈があるものの、とても華奢きゃしゃだった。しょんぼり下がった眉、その下から今にも泣き出しそうな目で見つめられると、藍は自分がすごくひどいことをしている気がした。

 虎太郎も、「藍、なんか違うみたいだ」といさめるようにささやいてくる。

 これでは私が人でなしの鬼のようではないか。その通りなのだが。いや、そうではないのだが。


「では、まかせる」

 複雑な表情で虎太郎へふり返ると、彼はとなりに進み出てきた。まっすぐに少女を見る。

「梨那紅、君の望みはなんだ? 宗月との約束があるなら教えてくれ。思い出せなくても、俺は信じる」



 危うい問いだ、と藍は感じたが、黙って行く末を見守る。

 肩を落とした梨那紅は痛々しげに顔をあげた。先ほどの嵐もどこへやら、今にも消えてしまいそうな様子だ。

「……わたしと話すのを、拒まないでください」

「それだけか?」

「はい。誓って」

 ひたむきな黒い瞳が虎太郎にそそがれる。彼は視線をあわせてしっかりとうなずいた。

「わかった。君がまわりを傷つけないかぎり、俺は迎える。それでいいな」


「……はい! 守ります、必ず」

 少女の顔がぱあっと明るくなり、藍はハッとして虎太郎を引き下げた。

 次の瞬間、梨那紅は「ありがとう、虎太郎さま」と声を響かせ、長い袖をふわりとふり上げた。

 同時に地面から赤い渦が巻き起こり、風にかわった彼女は宙を走り出す。ドドドとうねる暴風は敷地ごと揺るがし、板戸をぶち破る勢いで勝手口から退出していった。



 庭木がはらはらと葉を落とし、小さな池に波が立つ。その前で妖と人は立ち尽くしていた。

 心の荒れ狂うあまり自他を見失う状態は、藍も身に覚えがある。その情動を治めてやればいいのだろうが……

「虎」

「うん」

「あれは、手ごわいぞ」

「はい……」

 呆然とするふたりのまわりで、吹き飛ばされひっくり返っていた虫たちが根性を見せて鳴きはじめた。

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