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青の座敷の墨つき妖怪  作者: 小津 岬
【 六 】
36/50

眠れる陸海空 5

「沖野ちゃん、四番テーブルのオーダー取ってたよね」

 ひそひそと、しかし勢いよくバイト仲間に尋ねられ、春瑠はまばたきしながらうなずいた。

「そう、今からサーブ……」

「かわってかわって、お願い!」

 飛びつくように頼み込んでくる相手に「いいよ、けど今日で三人目」と笑う。


「だってあれははずせないよ、ここ一ヶ月、いやこの夏ベスト。アジアのどこの人だろー?」

「オーダーからすると熱帯圏かも。ほらもうできてる、いってらっしゃい!」

 澄まし顔でトレーを持つ同僚を送り出し、春瑠はてきぱきと仕事にかかった。

 アルバイト先の喫茶店は繁華街の中にあり、客足は絶えない。シフトに課題にと忙しくしていると、このあいだ月若邸まで走ったのがずっと昔のことに思えた。



 夏のあいだに色々と変なことが起こったが、春瑠は自分なりに説明をつけていた。

 大学の騒ぎはいたずらで、寮生の集団体調不良は精神的不安からで、博物展は設備の故障…… ということで終わらせたい。

 藍之介にも告げた「気のせい」は、理解をこえた事柄から彼女を守る盾のようなものだった。しかし、少しだけ気にかかる。

 虎太郎くんは、ああいうできごとを本当はどう思ってるんだろう。

 彼とはあれから一度連絡を取ったきりだ。春瑠を呼び出す形になったことを、虎太郎はとても気にしていた。


 “もう治ったから平気。いきなり驚いたよな、迷惑かけて本当にごめん”


 恐縮したメッセージは二人の間にちょっとした壁を作ったが、盾しか持たない春瑠はそれを壊すことができずにいる。




 ガラス戸を押し開けたシァンフェイを、町のにぎわいが包み込む。

 彼は少しだけ目を細めた。陽の光も町の喧騒も好まないが、夏の名残りの熱気は遠い故国に似て懐かしい。

 しかし穏やかな表情はすぐに消える。

 不可解だったのは、注文を持ってきたのが春瑠とは違う人間だったことではなく、彼女がなんらかの守護を身につけていることだった。あの二匹の妖の力ではないらしい。正体をつきとめるまで手を出さない方がいい、と彼は判断した。


 行き交う人をよけて店の裏手にまわると、思ったとおり通用口があった。あの娘はここから出入りするはずだ。効くかどうかは賭けだが、わずかなしゅを置いておこう。

 素っ気ないペンキ塗りのドアに近づき、人さし指と親指をあわせて額にあてる。目を閉じて呪文をささやきかけた、その時だった。


「そこまでだよ、のぞきコウモリ」



 活きのいい声が背中につきたった。

 シァンフェイは落ちついてふり返る。

 せま苦しい路地に立っているのはあのテン妖だったが、今日は彼と同じように人間体を装っていた。ティーシャツを伸ばしたような黄色のワンピースから、草履ぞうりをひっかけた細い脚がのぞく。

 少女というより女の子、といった感の菊火が、小さくまとまった顔を生意気にあげた。

「ハルにちょっかいかけにきたね? 残念だけど、ここで蜘蛛ばらまかせたりしないから」

「…………」

「今日は帰んな。あんたもあたしも、ムダな戦いするほどバカじゃない。そうでしょ」

 菊火は青年をじっと見据える。いつかの夜、月若邸の屋根の上でもこうして向かいあったことが思い起こされた。


 ふいに、彼女は軽やかな笑い声をたてた。青年が「?」と身を引くと、

「こーんなに背ぇ伸ばしちゃって、あんた見栄っぱり。獣の時、あたしと同じ大きさなのに!」

と楽しげに喋りだす。片手をいっぱいつりあげた様子に底意はなく、挑発とはいえない。

 シァンフェイは、翼を広げれば自分の方が大きい、と思いながらかすかに困惑の色を見せた。これではまるで雑多な談話だ、このテン妖は私と話してどうするつもりなのだろう?

 強い陽ざしが路地にかかる。さんさんと太陽を浴びながら、菊火はころりと表情を変えて首をかしげた。

「ね、さっき飲んでたヤツ何? 外から見てたよ、入れ物に花ささってたけどそういう趣味?」




 春瑠が長いシフトを終えると、もう夜も遅かった。

 何気なく裏口を出た彼女は、ドアのそばにうずくまる影を見つけて「ひっ……!」と飛びあがった。飲み込んだ声に影が身動きし、顔があがる。

「あれぇ、ハル。遅かったね」

「菊火ちゃん!?」

 カバンを抱きしめた春瑠は飛びはねる心臓をおさえてかがみ込んだ。

「どうしたの、大丈夫。またなにかあった?」


「ううん、ちょっと渡すものが…… じゃなくて、もう渡したものがあってさ。藍と虎太郎からあずかったお守り、そこに入れといたから」

と、春瑠のトートバッグを指す。彼女が「お守り?」とかき回すと、紺色のちりめん生地を袋にした小さな護符が現れた。

 中に包まれているのは、あの陸海空でった墨で書かれた守護札だった。

「いつでも持ってて、離しちゃダメ。そしたら安全安心だから」

 字を書いたのは藍だけど、袋はあたしが縫った。

 菊火はちょっと得意になって眠い目をこすった。春瑠はお守りと女の子とを不思議そうに見くらべている。

「わあ、気づかなかった。いつくれたの?」

 テンの姿で通気口から侵入したとは言えず、菊火はごまかすように立ちあがって裾を払う。

「ま、人間なんて隙だらけさ。それよりハルが一日じゅう働くなんて思わなかった、それじゃあ…… っと」


 よろめきながら身を返した菊火を、春瑠が「待って!」と引きとめた。

 頭に色々な考えが走る。住んでいる町まで一時間以上かかるはずだが、まさか一人で帰るつもりなのか。もう二十時を回っている、送っていくか家の者に連絡を……

 すばやくふり向いた菊火は、なにも言わずに彼女をうかがった。どこかから漏れてくるカラフルなライトが女の子を照らす。

 少し怯えたようにも見える顔に、虎太郎からのメッセージが、そこに隠された気持ちが重なっていった。



 深いところに光をあてないで。

 あなたに闇がはね返るから。



 短い時間で出した答えは、

「……お守り届けてくれて、ありがとう」

という言葉と、小さな微笑みだった。


 ふいをつかれた菊火が「う」とぎこちなくうなずく。春瑠はその手をとり、女の子を引っぱって歩き出した。

「な、なに?」

「お腹すいたでしょ。私のお店、じゃなくて私の働くお店いこう。なに食べたい?」

 建物のすき間を抜け、車道に沿った表通りに出る。たくさんの人の流れに乗ると、かたわらの女の子は戸惑いながらも小声で答えた。

「それじゃ、水果シュイクォ


「しゅい……?」

 首をかしげられ、菊火は焦って言葉をつぐ。

「あれ、そういう名前じゃないの? 花のついた、おっきい飲み物」

「あっわかった、トロピカルミックスプルメリアスペシャル! 期間限定メニューだから特別セットにできるよ、SSサイズのメインふたつとサイドがひとつ、サラダかスープがついてデザートも選べて……」

 どうやらハルも呪文を使えるらしい。とうとうとつながる言葉のぜんぶにうなずきながら、菊火は春瑠と並んで大きな扉をくぐった。

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