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青の座敷の墨つき妖怪  作者: 小津 岬
【 六 】
34/50

眠れる陸海空 3

 虎太郎は下がりかけた足を踏みとどめ、石碑の上にあらためてライトを向けた。

 闇を背にして眼のない鳥の顔が浮かぶ。塚の番人は、訪問者を前にしても微動だにしなかった。

 そっと手を伸ばした虎太郎が、畳んだ翼にふれる。ひやりと硬くすべすべした感触に生のきざしはない。

 彼は藍へふり向いた。自然と声がひそまる。

「……眠ってるみたいだ」


「では、起こしてやればよい」

 藍もささやきで答え、彼の手に涼風を送った。

 静かに筆をとった虎太郎は、「字じゃない気がする」と首をかしげながら腕をかかげる。懐中電灯を受けとった藍がそっと背中を押した。

「お前の術だ。思うままに運べ」


 うなずいた虎太郎が鳥に向かい合う。象牙のようなくちばしの少し上、顔のくぼんだ部分にそっと穂先を置いた。力を加減して腕を引く。

 少しずれた、と冷や汗をかきながらも、うす青い影の流線が二つのまぶたを与えた。そして、数歩さがった虎太郎が、

「どうだ?」

とうかがった次の瞬間。

 カッと闇を割る勢いでまぶたが開き、瞳のない真っ白な眼がふたりをとらえた。



「虎、さがれ!」

 藍が叫び、姿を墨影に解く。長い首を伸ばした鳥は塚の上で巨大な翼を広げ、ぶわっと浮きあがる。虎太郎はとっさに右手をかかげた。

 しかし握っていたはずの筆は鳥のはばたきを受け、おぼろげな影に戻って揺れた。吹き消されるろうそくの灯のように。

「なっ……!」

 彼が愕然とした時だった。


「その筆、もしや宗月道士さま!?」


と、頭のてっぺんから突き抜けるような声が唐突に響いた。

「えっ?」

 きょとんと動きをとめた虎太郎の横に、

「あれは、ゆかりのものか」

と藍が降り立つ。端整な顔には、珍しく安堵をあらわにしていた。


 舞い戻った大鳥が、塚の低い部分にとまって彼らを見上げる。

「はい、私はまさしくあなたに鎮めていただいたものです。磯の怪鳥けちょうですよ、お忘れですか!」

 真っ白な瞳を輝かせ、長いくちばしをぱくぱく動かす。親しげに、嬉しそうに語る相手の前で、虎太郎は気まずく頭をかいた。

「それが、昔の記憶はあいまいで……」

「おやまあ、ではこれでいかがです?」

 鳥は長い首をかしげるなり天へ向け、くちばしをパカッと開けた。

 そのとたん、


 キイィイイギャアアアァーッ!


 とすさまじい怪音があたりをつんざいた。空気がビリビリ震え林が揺れる、葉が散る、土ぼこりが舞う。たまらず耳をふさいでしゃがみ込んだふたりは、顔をつきあわせて怒鳴りあった。

「虎、思い出したことにして話をあわせよ。でなければとまらん!」

「そんな、嘘ついたらあいつに悪いって!」

「律儀にしている場合か!?」


 一方の鳥は本来の目的を忘れ、ひさしぶりに喉をふるわせる心地よさにひたりきっていた。

 この夜の怪声は一帯にとどろき、「あの塚は本当にやばい」とオカルト口コミ情報がいっそう充実することになる。期待に胸を膨らませた趣味人が訪れることも増えたが、残念ながら奇怪な現象はなにひとつ起こらなかった。

 塚を守っていた大鳥が、そこを永遠に去っていたからだ。




「へえ、これが陸海空? すごい、なんか出てるじゃない!」

と、菊火がつぶらな目をまん丸にした。

 鼻をつくほど間近に見つめるのは、一枚のすずりだ。

 しっとりと黒いなめらかな石づくりで、貝と白石をはめこんだ細工がぐるりと側面をまわる。浜辺とさざ波、そして空に風をつかむ鳥。菊火の驚いたとおり、硯からは見えない力がもくもくと湧きつづけていた。


 となりに膝をつく竹蔵も、

「なんとも清々しく感じやす。不思議なもんだなあ」

と感じ入って両手をかざす。

「ちょっと竹蔵、火鉢じゃないんだから」

「あったかいってより涼やかですぜ、菊姐さん。生き返る心地だ、こいつぁ透けも治りそうですよ」

 文机におさまった藍が、お茶入りの碗を両手で包みながら口をはさむ。

「硯にはおかと海がある。その上のくうに、守りの術が生まれるという仕掛けだな」



 昨晩、塚の大鳥はこう語った。

「私は、あの遠い時代、地霊どうしの争いに敗れたものです。心を失い暴れていた折、あなたが呼び戻してくださいました」

 宗月に救われた後、鳥はたくさんの時間を夢にこもり石を彫りあげたという。


「しかし宗月さまを探しあてることができず、わが身を硯に隠し時を待っておりました。流れ流れて塚がたち…… ご本人に起こしていただくとは、なんとも長い恥のてんまつでございます」

 鳥は深々と頭を下げる。消えかけた力を保つため、たまに近づく者の眠りを少しずつ拝借していたのだとも語った。

 そこまで聞くと、虎太郎はうっすらと記憶を取り戻した。潮の香り、翼の音。そしてひたむきな感謝の声。


 “いつか陸海空をあなたにささげましょう、私が持てるすべての技を込めて”


「ああそうだ、確かに約束してくれたな。そんなに長い時間を、ずっと待ってくれたのか」

 彼が微笑みかけると、白い鳥はスッと首を伸ばした。

「はい。ここにようやく果たせます」

 満足そうな声を残し、眼を線にしてにっこり笑う。

 そして、ふたりがとめる間もなく塚に吸い込まれるように消えてしまい、石のひとつがごろりと落ちた中に、みごとな細工をほどこした硯が現れたのだった。




 夜半に帰りついてから虎太郎はぐっすり眠り込んでいたが、翌朝にはすっきりした顔で起き出してきた。

 その彼を待ちかまえていたのは、文机に書道具をびしりとそろえた座敷妖怪だった。

「……なにしてるんだ、藍」

 すでに身を引きながら尋ねるが、その時にはもうシャツの裾をがっちりつかまれている。藍は、にこにこしながら妖怪らしい腕力で彼を引き寄せた。

「虎、陸海空は屋敷を守護する素晴らしい品だ。しかも硯としても至極上等、使わなくば塚の鳥に失礼というものではないか?」

「ううっ」

「今日は逃げられんぞ。ひさびさの稽古だ、墨をすりなさい」


 虎太郎は、横から押してくる気迫に冷や汗を流しながら普通の筆をとる。あいかわらずふにゃふにゃしたとらえどころのない文字を眺め、藍はしんみりしてつぶやいた。

「いくらなんでも猫すぎる……」

 小一時間の指導で限界にきていた虎太郎は、「そんなに言うならネコを描く」とついに文字すら投げだした。これにて終局、と藍は胸のうちで白旗をかかげる。

「これは自販機の横で見た三毛、こっちは角の畑にいるハチワレ…… お、けっこうそれっぽいぞ。月若家初の絵師になろうかな」

 楽しくなってきたらしい虎太郎だが、ふと硯を見つめて筆をおいた。


「屋敷が安全になったってことは、そのぶん外に出た時が危ないわけだよな?」

 うなずきを返した藍は、少し考えてからこう言った。

「あちらが早いうちに仕掛けてくるなら、かえって都合がいい。私の力が尽きる前に始末をつけたい」



 虎太郎が「なんだって?」と顔をあげる。妖は困ったように微笑んで語りだした。

「昨夜、筆をとりそこねただろう」

「ああ、塚の鳥が吹き消したから……」

「あのものが起こした風は、それほど強くない。今であれば問題ではないが、あの瞬間の私は押し返せなかった」

 うつむけた顔にかすかな寂しさが走る。

 虎太郎は、この前の大蜘蛛が出た晩を思い出す。戸口から走り出た自分へふり返った時、藍は角をいただく墨染めの鬼の姿だった。射抜くように見つめてきた瞳は、とてももろいものに感じた。


 急に不安になった虎太郎は、

「それは…… たまたま理由があったんじゃないか? 月が細かったからとか、蒸し暑かったとか」

とわざと軽い調子で答える。妖は彼と笑みを合わせたが、その首はゆるやかに横にふられた。

「この身にも限りがあるということだろう。近ごろはまわりが騒がしかったゆえ、忘れかけていたが」

 藍に怖れの影はない。「どれ、猫々戯画を見せてごらん」と文机をのぞく顔はのん気でさえある。



 虎太郎は、少しためらいながら尋ねた。

「あのさ。お前と一番最初に、本当の最初に会った時って、どんな感じだったんだ」

 猫の一匹に模様を描き足していた藍は、

「いま話さずとも、そのうち嫌でも思い出す」

と一蹴する。虎太郎は少しムッとして声を高くした。

「記憶となると、宗月さんの視点しかわからないだろ。それだけじゃなくてお前から聞いておきたいんだよ」


 藍が手をとめ、驚いた顔をあげる。

「おや、それらしい口をくようになった。子供の成長は早いものだ」

「誰が子供だ。まさかお前も忘れてるんじゃないだろうな」

 いぶかしげな細目で問われ、妖は「私が健忘だと? よろしい、語ってやるからしかと聞きなさい」としゃっきり居ずまいをただした。

 自分の方が子供じゃないか、と虎太郎はこっそり笑う。テン妖の菊火にしても、あまり長く生きていると大人の心持ちを通り越すのかもしれなかった。

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