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青の座敷の墨つき妖怪  作者: 小津 岬
【 五 】
31/50

想花香 6

 目を開けた虎太郎が最初に口にしたのは、

「ごめん」

という小さな言葉だった。


 彼と視線をあわせた春瑠は「いいの」と短く答える。しかし虎太郎は、あおむけになった頭をかすかに横にふった。

 彼女が自分を助けるためにきてくれたのはわかっていた。あたたかな喜びの下に、どろりと濁った予感が流れる。

 また巻き込んでしまった。しかも状況は前より悪い、もし彼女が狙われ、危害が及んだとしたら……?

 ぴくりと動いた彼の手を、春瑠が優しくつつんだ。

「大丈夫だよ。虎太郎くんも私も、みんな」



 藍之介状態で現れた藍は、春瑠にむかい深々と頭を下げた。

「春瑠さん、こたびは大変お世話にあいなりました。折悪しく私が遠出をしていましたもので、このようにお騒がせを」

「やめてください、私なんかに。この前は私が助けてもらったし……」

 顔を赤らめた春瑠が照れ隠しにカップを持ちあげる。

 小袋にわかれた紅茶の淹れ方を学んでおいてよかった、と思いながら藍は相手をうかがう。先日の博物館での怪異は、虎太郎の力について説明するためのいい導入になるだろう。

「そう聞いております。なにやら、出先で奇妙なことが起きたそうですが」


 しかし春瑠は棒読みで答えた。

「あれは気のせいです」

「なんと」

 思いがけずはっきり返され、藍は着流しの身を引く。

「気のせいです、私が体調を崩しちゃったんです。今日の虎太郎くんもきっと暑さ負けです、菊火ちゃんが気づいてくれてよかった。本当によかった」

 彼女の言葉はまるで自分に暗示をかけているように平坦で、対面の妖怪は「そうですね」と小声で返すしかなかった。


「はい、そうなんです。それよりも藍之介さん!」

 春瑠がパッと空気を切り替える。

「はい、なにか?」

「今度ぜひポートレートを撮らせてください。場所はお宅でも外でも地の果てでも、どこにでもついていきます」

 優しい顔立ちのかわいらしい目がたかのように光っている。月若藍之介は微笑んだまま固まった。




 泥のように眠り込んでいた虎太郎だが、ほどなくして起きあがった。

「あれ、今。どこ」

 ぼんやりして座敷を見回すと、少し開けた障子から明るい陽が差し込んでいた。

 そばに座っていた藍が「よく戻った」と声をかける。虎太郎は、光を受ける白い顔を見上げた。

「さっき、竹蔵が……」

「あれを責めてやるな。大蜘蛛の眼で術にかけられ、操られたらしい。私の警戒が足りなかった」

「じ、術? 一体なにが」

 言葉を切った彼は、布団の上に座りなおして首をかしげた。


「なにか見えたのか?」

という問いかけに彼はうなずく。そうだ、とても長い夢を見て……

「ぜんぶ忘れた」

 呆然として答えると、となりの妖はがっくり首を垂れた。


「ちょ、ちょっと待てよ。朝早くだった、竹蔵が起こしにきて……」

 しばらく視線をさまよわせていた虎太郎は、「引きずり込まれた。利用されたんだ、父さんと母さんを」と小声で言った。

「相手を憎むか」

 藍が尋ねると、虎太郎の目が強い色を帯びた。

「腹が立つよ。でも……」

と声を抑える。

「戦うより、救わなきゃいけない気がする。ここに俺がいるのって、そういうことだと思う」

 そのとき藍は思い出した。

 遠い昔に、神の使いすら堕ちる世だと嘆いた時、宗月が返した答えを。


 “だからこそ、われわれがいる”



 妖は、鏡を見るように目の前の青年と向き合った。

 すると彼は「……多分な! よくわからないけど」と真面目な顔でつけたした。これさえなければ、と藍は額を押さえる。

「進んで的をはずしにいくとは、どこまでも惜しい虎だ。宗月もそれなりに頓珍漢とんちんかんではあったが」

「なんだよ、せっかくいいこと言って……」

と言い返しかけた虎太郎は、ふと道筋を変えて尋ねた。

「宗月道士って、どんな人だったんだ」

 表情に不安は残っているが、拒絶の意志はもう見えない。藍はひとつゆっくりうなずいた。

「お前よりは、背が高かった」

 つづきを待った虎太郎が「……それから?」とうながす。藍はもうひとつうなずいて口を開いた。


「木登りがうまかった。魚とりもうまかった。昼寝が好きでどんな場所でも三つ数えるまでに寝入ることができた、あれはみごとだったが道ばたに転げているのを見た者が驚くので私が言いわけに苦労した。それからあとは」


「ありがとう、もういい。本人が妖怪みたいだな、まわりまで巻き込ん…… あっ、沖野さんは!?」

 まさに自分が巻き込んだ相手を思い出し、忙しく廊下に向きなおる。藍は手を伸ばして肩を押さえてやった。

猛禽もうきんの春瑠なら心配ない。菊火がついている」

「猛禽……?」

 不思議に思って見返すと、妖の表情はどこまでも硬い。これはなにかあったな、と虎太郎は困惑しつつ悟った。




 駅まで戻る道のり、春瑠は先立つ女の子を追って歩いていた。

 遠くの方には大きな建物がそびえているが、このあたりは畑や民家が目につき、のんびりとした空気がただよう。

「菊火ちゃんのお家、この近くなの?」

「そんなとこ。月若の家もけっこう危なっかしいでしょ。それでよく顔出すんだよね、うるさがられるけど」

「そうかなあ。虎太郎くんたち、嬉しいと思うよ」

 声を投げかけられ、ぶらぶらと前を歩いていた菊火が足をとめる。彼女は短い浴衣のような変わった服を着ていた。オレンジ色が似合うな、と思いながら、春瑠は細い後ろ姿に追いつく。

「今日だって私を呼んでくれたじゃない。一緒に助けられたね」


 空は青く晴れ、並木に蝉がうるさい。菊火は虫の声を避けるようにうつむいたが、ふいにくるっと身を返し、生意気な笑顔をいっぱいにした。

「まっ、こういう時は女が強い! あたし、そういうことはちゃんと知ってるから」

 おどけて胸を張った菊火を、春瑠が「菊火ちゃん、今時の子!」といたずらっぽくのぞきこむ。

「あれぇガキに見える? 見込みあると思ったけどまだまだだね、ハル」

 ふたりは楽しげに声をあわせて笑う。春瑠がごく自然に小さな手をとると、菊火は一瞬だけ身をこわばらせたが、ひかえめに握りかえした。なにもなかったように会話はつづく。


「それじゃあ、来年から中学生くらい? すごくしっかりしてるよね、お友達もそうなのかな」

「ぜーんぜん。あいつら山猿みたいだった、修行の相手してやれば噛みついてくるし」

「そういう遊びが流行ってるの……?」

 影をつなげた人と妖。夏の終わりの午後の歩みは、涼を運ぶ穏やかな風に似ていた。



(第五話 了 )

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