表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青の座敷の墨つき妖怪  作者: 小津 岬
【 五 】
30/50

想花香 5

 少女の霊と出会ったのは、旅を始めて二月ふたつきほどたったころだった。

 春の山の片隅にしなやかな木が薄紅の花をつけている。懸命に枝を伸ばす細い木、それに寄りかかるようにして彼女は立っていた。

 美しいが風変わりな、異国の衣装。その全身は陽が差し込むとおぼろに溶け、少女が人の世のものでないことを知らせていた。

「あなたは、旅の方……?」

 不思議そうに首をかしげる彼女へ、宗月は微笑みを返した。とたんに相手が笑顔になり、「まあ、わたしが見えるのね!」と声を高くする。

「これまでの誰にも、声すら届きませんでした。それが姿まで伝わるだなんて」

 軽やかなはしゃぎようは生者と変わらない。無邪気な様子に胸を打たれた宗月は、少女のそばへ歩み寄った。


「きれいな花だ。その木がお前自身だね?」

「はい、縛られてどこへも参れません。 ……あら、あなたは」

と、少女の黒い瞳が開かれる。

「あなたは、導いてくださる方。そうなのですね」


「一応、というところだ。身ひとつで修行しようと決心したのも、つい最近でな」

 恥ずかしそうに頭をかく青年を、少女は小さな顔を近づけてまじまじと見つめた。

「でも、迷える心をお治めになったのでしょう?」

「仔鹿を一頭、子猿を二匹、仔だぬきを三匹」

 宗月が正直に指を折ると、相手は「野の者ばかり!」と拍子抜けに眉をあげる。

「なに、いずれの魂も等しく尊い…… あれらは素直で助かった」

 ばつの悪そうな新米道士を見て、少女は袖を口もとにあててかわいらしく笑った。その表情のまま、明るく告げた。

「では、わたしがあなたにとって初めての人形ひとがた。どうか少しのあいだ、この寂しい木とたわむれにお話を」



 少女は、かつてとても広い国に生きたこと、白い花の咲く園で暮らしていたことを切れぎれに語った。

「たくさんの人がおりました。楽士に歌者に、わたしは舞手として、高貴な方々のために芸を競って……」

「厳しい日々だったろう」

 宗月が小さく応じると、彼女は「舞のほかには、なにも持ちませんでした」と寂しげに微笑んだ。

「けれどある方が、わたしを家に迎えると誓ってくださって。夢のようだった」

 淡色あわいろの夢、と小さくつぶやく。表情の消えた横顔に狂気の影が走ったようだった。


「その方の誓いは二つあったのです。わたしのものは果たされなかった。すべて忘れてしまえたらいいのに」

 己の内に向けて告げる彼女を、となりに座る宗月がそっとのぞき込んだ。

「旅の先は長い。国をまわって鍛錬をつめば、お前を苦しめる鎖を解くことができるはずだ」

 潤んだ目が彼をとらえる。

「いつか必ず、お前を自由にする。その日まで穏やかであるように……」

 かりそめの名を与えよう。

 そう筆をかかげた青年の手に、少女がたおやかな指を添える。ふたりの視線が合った。

「遠い約束よりも……」

と、少女はささやく。

「今、ここにいてください」



 切実な心を向けられて宗月の手がとまった。花びらが幾枚も降りかかる。その色は濃さを増して景色に浮きあがる、くっきりと赤く。

 あたりの時間までもが流れを捨てかけたが、宗月はふいに顔をあげた。

「あれは?」

 誰かの声が聞こえる。

 とても離れたところから、誰かが呼びつづけている。


「……つき、か ……くん」


 目をせばめた彼の頬を少女の手が引き戻した。黒々とした瞳の中に、それまでになかった情念が渦を巻いていた。

「宗月さま。耳を貸してはだめ」

「いいや、待て」

 彼は彼女を抑えながら立ちあがる。筆を握る手に小さな重みを感じた。数珠だ、私はこんなものをつけていただろうか?

 そこへひときわ強い声が届いた。

「……月若くん。虎太郎くん!」


 ああ、と彼の唇が開かれる。

 あれは俺の名前だ。





 着信があった時、春瑠は午前中のアルバイトを終え、最寄り駅についたところだった。

 “月若くん(お屋敷)” という表示を確かめ、何気なく通話を受ける。そのとたん、甲高い声が耳もとで爆発した。

「あーっ届いたァッ!」

「きゃーっ!」

 彼女はあやうくスマホをほうり出しかけたが、切実な訴えがそれをとめた。

「ちょっと聞いてんの、沖野のハルだね? 月若の家を助けて。虎太郎が危ないんだってば!」


「月若くんが……?」

 春瑠の表情がサッとかげる。

 すぐに気を取りなおし「具合悪いの? 救急車、かわりに呼ぼうか」とはっきり告げる。この子はきっと近所の者で、藍之介もそばにいないのだろう。

 しかし相手はイライラと声を張りあげた。

「そういうんじゃないよ。事情はその、込み入ってて…… ああもう、顔が見えないってまだるっこしい!」

 女の子がキーッと動物のように鳴くと、春瑠は反射的にこう答えていた。

「わかった、すぐ行く。それまで月若くんをお願い」

 通話を切るや駅へ駆け込んでいく。返事とうらはらに何ひとつわかっていなかったが、自分の想像を超えるものが虎太郎に迫っていることは感じていた。

 目指す駅で電車を飛び下り、太陽の照りつける道を走る。すれちがう人々が驚いて彼女を見送った。



 屋敷が見えてくると、固まりかけていた春瑠の頭がやっと動き出した。

 それに応えるように、門の向こうにぴょこっと人影が現れる。細っこくて小柄なポニーテールの女の子だ。

「ハル!」

 利発そうな顔から電話と同じ声が飛ぶ。春瑠は息を切らして「月若くんは?」と尋ねた。

「こっち、早く」

 女の子は跳ねるように廊下を進み、居間も座敷も通りすぎて階段を上がっていく。後を追う春瑠に新たな不安が生まれる。どうして二階に? 以前訪ねた時、もう使っていないと聞いたのに……


 洋間に立ち入った瞬間、幾筋も流れていた汗がスッと引いた。

 虎太郎は、板張りの上に崩れるように横たわっていた。

 目を閉じた顔には一切の表情がなく、春瑠の背筋を凍らせる。女の子の言ったとおりだ、これは “そういう問題” ではない。

 かたわらで厳しい表情をしていた少女が、

「動かせないから。呼んであげて」

と張りつめた口調で告げる。


 春瑠は背を押されたように膝をつき、虎太郎の手をとった。二人を包み込み守っているうす青い影に、必死になっている彼女は気がつかなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ