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青の座敷の墨つき妖怪  作者: 小津 岬
【 五 】
28/50

想花香 3

「あいつってばどこまでも無礼だね、出来の悪い化け物けしかけるなんて!」

 菊火はテンの姿で座敷にあがり、かっかと怒っていた。 

「虎太郎。あんたに近づいた異国ニンゲンはね、のぞきコウモリが化けてたに違いないよ。まんまとこれを差し出して……」

と、庭から拾った矢立を尻尾ではたき、虎太郎にぐっと顔を近づける。

「呪いを仕込まれたわけ!」

「そ、それはうかつだったけど…… その人に怪しい気配は感じなかったんだ。本当に、これっぽっちも」

と眉を下げ、申し訳なさそうに藍を見やった。


 しかし藍は、文机に肩肘をついた視線を落としたまま動かない。

「われわれも、お前が屋敷に近づくまで気づけなかった。じかに刃を交わすより、裏で糸を引く力が強いものなのだろう」

「あんなおっかないもん操れるんですかい? それをやっつけちまった兄貴らも兄貴らですが……」

 すみっこに正座した竹蔵が透けた顔を青くした。ただの人間の霊である彼は、藍の言いつけをしっかり守って身をひそめていたが、屋敷を這いおりる大蜘蛛を窓から目撃していた。

「目が合っちまったんですよ、ずらっと並んだ気味の悪い眼でね。おいらもういっぺん命落とすかと思いやした」

と、閉めきった雨戸をこわごわ見る。ついで、かたわらに座る虎太郎に目をうつした。

「で、そのコウモリ野郎には親玉がいるってことで。そいつぁどういうわけで旦那を狙ってるんです?」


「こっちが聞きたいよ! 助けてほしいっていうならわかるけど……」

 困りはてた二人に、菊火が大人びた声を投げる。 

「そのへんはコウモリを捕まえてもムダさ。あたしが見たとこ、あいつは忠義もの。いくら責めたって吐かないだろうね」

 ひとり考え込んでいた藍が、「虎や」と静かに顔をあげた。

「私が正しければ筋がとおる。お前は望まぬかもしれないが、聞いてくれ」




 生まれかわり。

 藍は、簡潔な言葉で推測をあらわした。

「かつて私がつかえた道士、宗月の魂を、お前が継いでいるはずだ。月若の家に途絶えかけた力を一身に集めているのも、そのせいだろう」

 そしておそらく、敵の狙いは虎太郎に秘められた力そのもの。


 そう言われた彼は、

「生まれかわりって…… 魂とかなんだよそれ、冗談だろ?」

と困惑しきってまわりを見回した。

 しかし、かたわらの菊火に、

「そういうことなら、あんたが河原の騒ぎを鎮めたのも納得できるね。あの水武者たちを一筆で、だ。おかしいと思ったよ」

と冷静な調子で返されると、すがりつくものを失って肩を落とした。


「でっかいいくさになるんですかい? どうすればいいんでやんしょ、仲間を集めますか?」

 竹蔵がおろおろして藍へ尋ねたが、答えたのはテン妖だった。

「戦力になるヤツなんてそう見つからないよ。あたしと墨鬼、それと虎太郎でなんとかする」

 虎太郎がはじかれたように彼女を見る。なにかを訴えるような視線を、菊火は鼻先をあげて払いのけた。

「あんたが物ごとの真ん中なんだ。守られてるだけじゃラチが明かない、わかるでしょ」

「……俺がやってきたのは、救うための術じゃなかったのか。戦いなんて」

 その先は言葉にならず、彼はうなだれる。膝の上で両手をきつく握ると、すれた数珠が音を立てた。青の間に沈黙が落ちる。


「宗月の代から、千年あまり」

 空白に響いた藍の声は、澄んだ水のようだった。

「私も信じられない心地でいるが、隔てた時は長すぎる。魂の奥深くがまだ眠っているのだろう。お前の中で機が熟したなら……」

と、虎太郎を見据えた。


「いずれ目覚める」




 二匹の妖は、夜半をすぎても座敷に残っていた。

「どうするの。まだ言うことは残ってんでしょ」

 菊火がテンの顔を持ちあげる。

「落ちつくまで待つしかない。こうなる予感はしていた」

 藍は疲れたように息をつき、先ほどの虎太郎の様子を思い返した。


 妖たちの話をなんとか飲み込もうとしていた虎太郎は、ふと眉をひそめてこう尋ねてきた。

「待てよ。その宗月が目覚めたら、俺はどうなるんだ」

 彼の混乱に怯えの影がさす。藍はそれを解こうと、ゆっくり言葉をつづけた。

「力と同時に、多くの記憶が返るかもしれぬ。しかし悪い変化ではない」


「さて、敵の狙いには目安がついた」

と、伸びあがった菊火が口をはさむ。

「じゃあ、宗月の狙いは何なのさ? なんにもなしに生まれかわるヤツなんていない、死にぎわに未練が残ってるんでもなきゃ。あんた知らないの、藍」

 水を向けられた妖は「あいにく、なにも」と小さく返し、虎太郎に語りかける。

「宗月の望みは魂に残されているのだろう。それを思い出し、成しとげることこそが使命…… お前自身の望みであるはずだ」

 祈る気持ちで青年を見つめたが、相手は視線を払うように表情を険しくした。


「……つまり、他人ひとのやり直しってことか? なにができてなにをするか、最初から全部決まってた。そういうことだな」

 畳を叩いて身を乗り出す。鋭くあがった大きな目には、宗月には見られなかったぎらりとした意思が映っていて、藍の声は思わず弱まった。

「いいや虎、それは違う……」

「違ってない。今までの俺なんて、いないのと同じじゃないか」

 荒々しく座敷を出ていく彼を、藍は引きとめることができなかった。



「今夜はもうこないと思うけど、屋根はあたしが張っとく。あんたも自分の領域だろうが注意してなよ、一回足もとすくわれてんだから」

 てきぱきと話をまとめにかかる菊火に、藍がつぶやく。

「お前は残るのか。この家に毛ほどの義理もなかろう」

「わざと言ったね性悪。あたしの小筆、騒ぎが終わったらなにがなんでも返してもらうよ。ま、奪いとることになるか」

 鼻で笑い飛ばした彼女は、ふと真面目な表情に戻る。


「あたし、あのコウモリのことちょっとわかるかもしれないから。正体じゃなくて……」

「忍ぶものの心が?」

 それぞれ長い時を歩んだ妖の視線が、静かにぶつかる。テンのつぶらな眼が遠くを見透かすようにまたたいた。

「不思議だね。忠を尽くすヤツ、誇りをつらぬくヤツほど、ひどい終わり方するんだ」

 独りごとのような返事を置き、菊火は天井へ駆けあがって消えた。




 そのころ、虎太郎は二階にいた。

 自室として使っていた洋間に座り込み、ほこりをかぶっていたアルバムを広げている。

 生まれたばかりの時から、家の中を元気に這っている姿。よちよち歩きから三輪車に乗ったと思えば、幼稚園の運動会で自慢げに一等の旗を持ち……

 そんな彼のとなりに、両親の笑顔があった。

 大らかで優しく、頼もしかった父。おしゃべり好きで明るかった母。二人の姿をなぞりながらページをめくっていくと、一面が桜の季節に変わった。小学校の入学式だ。ここから一年半ほどして親子の記録は終わってしまう。

 手をとめた虎太郎は、心臓がすっと冷えるのを感じた。


 ここに写っている俺は、いったい何者なんだろう?

 くり返し、やりなおしの魂。

 そうと知らずにそんな子供を持って、二人は幸せだったろうか。


 しかし答えは返らない。虎太郎は、無意識のうちにあの花の香りを求めていた。

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