想花香 3
「あいつってばどこまでも無礼だね、出来の悪い化け物けしかけるなんて!」
菊火はテンの姿で座敷にあがり、かっかと怒っていた。
「虎太郎。あんたに近づいた異国ニンゲンはね、のぞきコウモリが化けてたに違いないよ。まんまとこれを差し出して……」
と、庭から拾った矢立を尻尾ではたき、虎太郎にぐっと顔を近づける。
「呪いを仕込まれたわけ!」
「そ、それはうかつだったけど…… その人に怪しい気配は感じなかったんだ。本当に、これっぽっちも」
と眉を下げ、申し訳なさそうに藍を見やった。
しかし藍は、文机に肩肘をついた視線を落としたまま動かない。
「われわれも、お前が屋敷に近づくまで気づけなかった。じかに刃を交わすより、裏で糸を引く力が強いものなのだろう」
「あんなおっかないもん操れるんですかい? それをやっつけちまった兄貴らも兄貴らですが……」
すみっこに正座した竹蔵が透けた顔を青くした。ただの人間の霊である彼は、藍の言いつけをしっかり守って身をひそめていたが、屋敷を這いおりる大蜘蛛を窓から目撃していた。
「目が合っちまったんですよ、ずらっと並んだ気味の悪い眼でね。おいらもういっぺん命落とすかと思いやした」
と、閉めきった雨戸をこわごわ見る。ついで、かたわらに座る虎太郎に目をうつした。
「で、そのコウモリ野郎には親玉がいるってことで。そいつぁどういうわけで旦那を狙ってるんです?」
「こっちが聞きたいよ! 助けてほしいっていうならわかるけど……」
困りはてた二人に、菊火が大人びた声を投げる。
「そのへんはコウモリを捕まえてもムダさ。あたしが見たとこ、あいつは忠義もの。いくら責めたって吐かないだろうね」
ひとり考え込んでいた藍が、「虎や」と静かに顔をあげた。
「私が正しければ筋がとおる。お前は望まぬかもしれないが、聞いてくれ」
生まれかわり。
藍は、簡潔な言葉で推測をあらわした。
「かつて私がつかえた道士、宗月の魂を、お前が継いでいるはずだ。月若の家に途絶えかけた力を一身に集めているのも、そのせいだろう」
そしておそらく、敵の狙いは虎太郎に秘められた力そのもの。
そう言われた彼は、
「生まれかわりって…… 魂とかなんだよそれ、冗談だろ?」
と困惑しきってまわりを見回した。
しかし、かたわらの菊火に、
「そういうことなら、あんたが河原の騒ぎを鎮めたのも納得できるね。あの水武者たちを一筆で、だ。おかしいと思ったよ」
と冷静な調子で返されると、すがりつくものを失って肩を落とした。
「でっかい戦になるんですかい? どうすればいいんでやんしょ、仲間を集めますか?」
竹蔵がおろおろして藍へ尋ねたが、答えたのはテン妖だった。
「戦力になるヤツなんてそう見つからないよ。あたしと墨鬼、それと虎太郎でなんとかする」
虎太郎がはじかれたように彼女を見る。なにかを訴えるような視線を、菊火は鼻先をあげて払いのけた。
「あんたが物ごとの真ん中なんだ。守られてるだけじゃラチが明かない、わかるでしょ」
「……俺がやってきたのは、救うための術じゃなかったのか。戦いなんて」
その先は言葉にならず、彼はうなだれる。膝の上で両手をきつく握ると、すれた数珠が音を立てた。青の間に沈黙が落ちる。
「宗月の代から、千年あまり」
空白に響いた藍の声は、澄んだ水のようだった。
「私も信じられない心地でいるが、隔てた時は長すぎる。魂の奥深くがまだ眠っているのだろう。お前の中で機が熟したなら……」
と、虎太郎を見据えた。
「いずれ目覚める」
二匹の妖は、夜半をすぎても座敷に残っていた。
「どうするの。まだ言うことは残ってんでしょ」
菊火がテンの顔を持ちあげる。
「落ちつくまで待つしかない。こうなる予感はしていた」
藍は疲れたように息をつき、先ほどの虎太郎の様子を思い返した。
妖たちの話をなんとか飲み込もうとしていた虎太郎は、ふと眉をひそめてこう尋ねてきた。
「待てよ。その宗月が目覚めたら、俺はどうなるんだ」
彼の混乱に怯えの影がさす。藍はそれを解こうと、ゆっくり言葉をつづけた。
「力と同時に、多くの記憶が返るかもしれぬ。しかし悪い変化ではない」
「さて、敵の狙いには目安がついた」
と、伸びあがった菊火が口をはさむ。
「じゃあ、宗月の狙いは何なのさ? なんにもなしに生まれかわるヤツなんていない、死にぎわに未練が残ってるんでもなきゃ。あんた知らないの、藍」
水を向けられた妖は「あいにく、なにも」と小さく返し、虎太郎に語りかける。
「宗月の望みは魂に残されているのだろう。それを思い出し、成しとげることこそが使命…… お前自身の望みであるはずだ」
祈る気持ちで青年を見つめたが、相手は視線を払うように表情を険しくした。
「……つまり、他人のやり直しってことか? なにができてなにをするか、最初から全部決まってた。そういうことだな」
畳を叩いて身を乗り出す。鋭くあがった大きな目には、宗月には見られなかったぎらりとした意思が映っていて、藍の声は思わず弱まった。
「いいや虎、それは違う……」
「違ってない。今までの俺なんて、いないのと同じじゃないか」
荒々しく座敷を出ていく彼を、藍は引きとめることができなかった。
「今夜はもうこないと思うけど、屋根はあたしが張っとく。あんたも自分の領域だろうが注意してなよ、一回足もとすくわれてんだから」
てきぱきと話をまとめにかかる菊火に、藍がつぶやく。
「お前は残るのか。この家に毛ほどの義理もなかろう」
「わざと言ったね性悪。あたしの小筆、騒ぎが終わったらなにがなんでも返してもらうよ。ま、奪いとることになるか」
鼻で笑い飛ばした彼女は、ふと真面目な表情に戻る。
「あたし、あのコウモリのことちょっとわかるかもしれないから。正体じゃなくて……」
「忍ぶものの心が?」
それぞれ長い時を歩んだ妖の視線が、静かにぶつかる。テンのつぶらな眼が遠くを見透かすようにまたたいた。
「不思議だね。忠を尽くすヤツ、誇りをつらぬくヤツほど、ひどい終わり方するんだ」
独りごとのような返事を置き、菊火は天井へ駆けあがって消えた。
そのころ、虎太郎は二階にいた。
自室として使っていた洋間に座り込み、ほこりをかぶっていたアルバムを広げている。
生まれたばかりの時から、家の中を元気に這っている姿。よちよち歩きから三輪車に乗ったと思えば、幼稚園の運動会で自慢げに一等の旗を持ち……
そんな彼のとなりに、両親の笑顔があった。
大らかで優しく、頼もしかった父。おしゃべり好きで明るかった母。二人の姿をなぞりながらページをめくっていくと、一面が桜の季節に変わった。小学校の入学式だ。ここから一年半ほどして親子の記録は終わってしまう。
手をとめた虎太郎は、心臓がすっと冷えるのを感じた。
ここに写っている俺は、いったい何者なんだろう?
くり返し、やりなおしの魂。
そうと知らずにそんな子供を持って、二人は幸せだったろうか。
しかし答えは返らない。虎太郎は、無意識のうちにあの花の香りを求めていた。




