青竹に光陰の追い書き 6
ちょっとした罠は、その日の夜中にきちんと役割をはたした。
仕掛け主はテン妖の菊火だ。若づくりだの子供だの評された彼女だったが、日ごろの元気さの裏でひそかに行動を起こしていたのだ。
ごく薄い火の花を、月若邸の上空にいくつも咲かせて待つ。なにかが通ればすぐ知れる、という警戒線だ。
こんなに気を張るのもひさしぶり。
菊火は、かつて忙しく走り回った時代を思い出した。一緒にこの術を編み出した者は、 “忍び” と呼ばれた大馬鹿人間たち……
あくびがもれて面影をかき消す。このところ毎晩の見張り、さすがに疲れが溜まってきたその矢先だった。
「……きた!」
動きを感じ取って軒下を飛び出す。稲妻のように雨どいを駆けあがり瓦を走り、屋根におどり出ると同時に、彼女本来の真っ白い姿に変わった。
かっと燃やした火があたりを照らす。
探す相手は二階の軒先にいた。屋根のすぐ下、外壁に張りついて…… いや、ぶらさがっている。翼で身をおおい、頭を下に真っ逆さまだ。
コウモリ?
けど、この異相。
四肢を踏みしめた菊火は、戸惑いを隠してにらみつける。
そこらにいるような小さいコウモリではなく、立派な身体と大きな目を持つ飛ぶ獣だ。ここの国じゃ見たことない、と菊火はさらに警戒しつつ口を開いた。
「まんまと引っかかったね。これまでの妙な気配、全部あんただったわけだ」
答えはないだろうとふんだとおり、相手はじっと動かない。静寂に声を重ねる。
「墨妖怪の領域にちょっかいかけたでしょ。ま、あのぽんこつはだいたい脇が甘いけど…… ひとつ言っておく」
と、橙色の眼が熱を帯びる。
「あたしはね、今この屋敷をねぐらにしてんの。内でも外でも、月若の家を乱そうってんならタダじゃおかないよ」
異国の獣は、表情のない瞳で彼女を見つめるだけ。ふいにサッと翼を広げ天地を戻すと、音もなく飛び去ってしまった。
その姿が夜空に消えてからも、菊火は油断なく視線をそそぎ続けた。
きっと誰かにつかえてるんだろう、忍びみたいに。それじゃあ親玉はどこに陣を張ってる?
「……あいつに話しておくしかないか、しゃくだけどさ」
首をふって深刻な空気を払う。この情報と引き替えに、あたしの筆を奪い返してやったらちょうどいいかもしれない。
翌日の午後。外から戻った虎太郎は、しばらく居間に座っていた。
先ほど、両親の墓前で不思議なことがあった。線香の煙も供えたばかりの花も飛び越え、かすかに甘い香りがただよってきたのだ。それはさわやかに彼の鼻先をくすぐり、やがて風に流されていった。どこか懐かしい気がした。
もしかしたら、父さんと母さんだったのかもしれない。
あたたかい気持ちで青の間に向かうと、藍と菊火が珍しく静かに向かいあっていて、ふたり同時にふり向いた。
「ただいま、やっと仲よくなったのか」
笑いかけた虎太郎は、妖たちの様子にこれまでにないものを見て言葉をとめた。なにやら考え込む菊火の、鋭い表情。
それから、彼を見透かすようにした藍が抱く、心細さのようなもの。
「あんたにまかせるよ、墨妖怪」
虎太郎が呼びとめる前に、菊火は陽のそそぐ裏庭へ駆けていった。残されたふたりは困ったように顔を見合わせる。
「なにをまかされたんだ?」
「……私にも、よくわからない」
藍は半分を正直に、半分を隠して答えた。虎太郎は首をかしげたが、やがて気をとり直した。
「それじゃあわかったら教えてくれ。菊火もタイミング悪いな、せっかくアイス買ってきたのに」
出てこいよ竹蔵ー、とのん気に呼びかける虎太郎を、藍は心配まじりの半信半疑で眺める。異国の獣妖、そしてそれをけしかけた何者かが、この青年を狙っている……?
「よし、時間ぎれで早い者勝ち。先に選ぼうぜ、藍!」
虎太郎が気合の入った顔で廊下に飛び出す。こちらも根は子供のようだ。
ますます不安をつのらせた妖怪は、「虎や、小倉抹茶はあるか」と声をかけつつ、月若の末裔を追いかけた。
(第四話 了 )




