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青の座敷の墨つき妖怪  作者: 小津 岬
【 四 】
22/50

青竹に光陰の追い書き 3

 春瑠の手の中で軽やかにシャッターが鳴った、その瞬間だった。

 バツッ! と不穏な音を立て展示室の照明が一斉に切れた。

「きゃあっ!?」

 怯えた声があがり、虎太郎はとっさに彼女を引き寄せた。


 彼の目は、明かりが落ちる寸前にガラスケースの向こうで闇が爆発するのを確かにとらえていた。本能が光を探す。展示室から顔をつき出すと、暗くなった通路の先に緑色のライトがぽつりとついていた。非常灯だ。

「沖野さん、こっち!」

 春瑠をかばいながら足を速める。まわりにいたはずの入場者も、係員も見当たらない。首筋がひやりとあわだった。

 竹簡に残っていた念が反応したのは、この俺に違いない。沖野さんを巻き込んでしまったんだ。



 泣きたいような気持ちが押し寄せたが、手を触れる春瑠の肩が震えていることに気づき口を引き結んだ。たどりついた非常灯の下にそっと彼女を座らせる。

「ケガ、してない?」

 ささやいて尋ねると、春瑠は目を見開いて顔をあげた。口を動かそうとしたが声にならず、かすかにうなずいた。

 虎太郎は、自分自身もなだめるように「停電みたいだ」と言った。

「警報が鳴らないから、火事とかじゃないよ。きっともとに戻る」


「でも、さっき。あの黒いの、なに……?」

 やっと声をふりしぼった春瑠は、すがりつくようにカメラを抱きしめた。虎太郎は胸が苦しくなった。竹簡から湧いた闇を見てしまったのも、自分と一緒にいたせいだろう。

「大丈夫。すぐに誰かくるから!」

 そうだ、呼んだら現れる。あのとり澄ました世話焼き妖怪が、呆れた顔をして助けにきてくれる。

 確信に励まされ、彼は急いで矢立を取り出した。




 自分の領域に入ると、藍はいつも水を満たした壷を思う。

 透明で冷たい、止まったような流れのはてしない広がり。彼方は濃い青色に沈む。顔をあげれば光にきらめく水面のような世界、前に進むべき時代が、そして足もとに目を向ければ深淵しんえんの闇が溜まっていた。

 過去だ。

 しかし、いかなるものでも時を自在に超えることはできず、過ぎた時代を自由にのぞくこともできない。藍は己の記憶をたどる。


 ついこのあいだ、青の間が開いた時はどうだったろう。

 座敷を巻き込んで長い休息についていた藍は、宗月の声を聞いた気がして目を覚ました。平安の代で生を終えて以来、霊になって会うどころかひとかけらの気配も感じさせなかった主の呼び声を。

 藍は空間をただよいながら腕を組む。

 宗月は二つの世に通じていた人間だし、なにより義理がたい男だった。約束をはたさないのは、彼の魂が大きな壁にはばまれているからではないだろうか?

 その障壁があらわになる前に虎太郎を鍛えてやれ、ということかもしれない。


「月なしに裏のあり、か」

 難しい顔でつぶやいた時。

 頭上の水面が大きく揺れ、水色の装束に波紋様を投げかけた。虎太郎が呼んでいるのだ。矢立をあずけておいてよかった、とたゆたう空間を蹴って浮きあがる。

 しかし。

 その軌道を、鋭い影の一閃がさえぎった。




 虎太郎は、真っ暗な通路の先をうかがうふりをして矢立に呼びかけつづけた。しかし一向に応答がなく、

「おおい、藍…… もう、どこ行ったんだよ!」

と焦りはじめた時だった。

「旦那、旦那。聞こえますかい、おいらですよ!」

 思いがけず人のいい返事があり、とがっていた感情がすっと退いた。

「あっ、江戸の。藍を知らないか?」

「それがどこにも見えないんですよ。お座敷で机が揺れてたもんで、席についてみたらお話が通ったんで。一体どうなすったんですか?」


 藍はなくとも援軍を得て、虎太郎の目の前が明るくなった。江戸の人間なら竹簡について知っているかもしれない。

「出先で困ったことになったんだ。力を貸してくれ」

 手短ないきさつを聞いた江戸霊は、

「さあ、竹の札ってのは…… おいらのころは、書きものと言やあ紙だったと思いますよ」

と、すまなさそうに言う。がっかりしかけた虎太郎だが、矢立を握りながらさっきの会話を必死に思い出す。

「まじないとか、お祈りに使った物らしいんだ。そんな噂は覚えてないか?」



 しかし相手は苦しげにつぶやいた。

「ううん、ひらめかないでやんす。いっそそちらに行けたらいいんですが……」

「気にするなって。どうにかして菊火を呼んでくれ、一緒に藍を探してほしいんだ」

「へい、合点です旦那!」

 策といえばそれしかないが、こっちの状況が保つだろうか。虎太郎がじりじりした気持ちで唇を噛んだ時、江戸霊が世間話のようにつけたしてきた。

「それにしたって、お祈りの文句が一切れだけですかい? せっかくの心がばらばらじゃあ、書き手も浮かばれないでしょうねえ」


 のん気ともいえる同情の口調が、虎太郎の頭になにかを運んできた。ハッとふり向き、春瑠の横にかがみ込む。

「沖野さん、写真見れる?」

「う、うん」

 彼女はこわばった顔をうなずかせ、膝の上でカメラのボタンを押す。プレビューを表示させ、虎太郎に差し出した。

 小物や器の画像を次々と送っていく。やがて、最後から二枚目の写真…… 竹簡の展示パネルが大きく現れた。彼の強い視線が文を追う。


 “本来は、何本かの札をひもでまとめていたと思われる。これは現存する一部……”


 ばらばらの、一部。道すじがかちりとつながった。



 しかしその時、展示室から闇が吹き出した。悲鳴のような耳ざわりな音がうす暗いフロアを駆けめぐる。

 身をすくめかけた虎太郎は、しっかりと顔をふった。不安と混乱で青ざめる春瑠に、「大丈夫だ。聞いて」とおさえた声をかける。

「向こうに戻れば人がいるかもしれない、俺が助けを呼んでくる。ここは安全だから、少しだけ待ってて」


 立ちあがりかけると、思いがけない勢いで腕をつかまれた。彼は驚いてふり返る。座り込んだままの春瑠は、見上げた首を横にふった。

「だめ、月若くんが……」

 危ない、という言葉が小さく消えていく。まっすぐな心配を向けられた虎太郎は、きりっとした表情を少しだけゆるめ、

「絶対戻る」

と彼女の肩を叩いた。

 心細そうに眉をひそめた春瑠だが、やがてそっと手を放した。駆け出す前に見た彼女はとても頼りなく思えて、虎太郎の足は一瞬とまりかけた。

 だが今は、目の前の怪異を治めなくては。

 矢立をきつく握りしめる。迷いをふりきった彼は、闇があふれる展示室へ飛び込んでいった。

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