青竹に光陰の追い書き 1
八月も半ばにはいり、夏はいよいよ盛りに輝く。
祖父に頼まれたとおり、虎太郎は月若邸の庭に小さな迎え火を焚いた。陽の去った空にのぼっていく細い煙を見送りながら彼はつぶやく。
「これで帰ってきてくれるな」
「虎や、あの重箱のような家ではどこで火を焚くのだ?」
同じく首を上に伸ばした藍が尋ねる。この妖怪はマンションという単語をどうしても覚えられずにいた。
「さあ、できないんじゃないか。うちは二つも庭があるから恵まれてるよ」
「なるほど。恵みをあてにした余所者が集まるやも知れぬな」
大真面目な推測を聞かされ、虎太郎は「不吉なこと言うなって……」と両腕をさすった。
藍の言葉に誘われたわけではないが、妖とむかえる盆にやってきたのは思いがけない客だった。
その日の真夜中すぎのこと。
明かりを消した居間で、虎太郎はふとまぶたを開けた。開けはなした扉を越え、なにやら声が聞こえてくる。
……もしかして、家族の誰かが。
両親の笑顔が浮かび一瞬で目が冴えた。すばやく廊下に出ると、仏壇のある小さな和室から弱い明かりがもれている。彼は心臓を鳴らして中をのぞき込んだ。
「干菓子ってさ、あたしそんな好きじゃないんだよね」
「そうですかい? 日持ちして助かるじゃありやせんか、運ぶにも楽だ」
「わかってないねーあんた、乾けばいいってもんじゃ…… あっ虎太郎、この間のつるっとしやたつ、もうないの?」
くるりとふり向いた見知らぬ女の子に声をかけられ、彼は「はあ?」とまぬけな声を出して固まった。
「どうしたのさ、あたしが別嬪すぎて驚いた?」
十一、二才くらいのその子は、生意気な表情でニッと笑ってみせた。
丸みのある輪郭だが顎はとがっていて、小づくりな目鼻の愛らしさにおてんばな風を吹かせる。思いっきり高い位置で結んだ髪は毛先が元気よくはね、黒ではなく艶のある焦げ茶色をしていた。
虎太郎は大きな目を何度もまたたかせた。頭の中で答えがつながる。
「……テン妖の菊火!?」
「あったりーぃ、でも遅い! ニンゲンの鼻ってほんっと利かないよねえ」
菊火は楽しげに笑い転げた。
膝の出るほど短い着物は濃い橙色で、そこへ細い帯や羽織を重ねている。膝から下をおおう脛当てが身軽な忍者を連想させた。
「ちゃんと尾っぽは隠してきたよ、お盆だし。さて、ほかにないならこれで我慢」
と、手のひらに崩れた落雁を乗せ、虎太郎の見る前でぺろりとなめる。もちろん盆棚に供えていた物だ。
「おいお前、今度こそ泥棒じゃないか……!」
慌てて手を伸ばした彼だが、くのいち少女の奥にもう一人いることに気づくと、動きをとめて先を見据えた。
「そちらが月若の旦那ですかい? 夜分に起こしちまいまして、まったくもってこの通り」
歯切れのいい声がして、暗がりから伸びた両手が畳に揃えられる。そうして身を乗り出すと、ろうそくの明かりに若々しい顔が浮かびあがった。
ただし、透けている。
「……ご先祖さま?」
虎太郎は、かすれた黄緑の着物をまとう青年に恐るおそる尋ねる。きちんと正座した相手は、髷を結った頭を気まずそうにさすった。
「へい、とお答えしたいところなんですが……」
困りきった彼の後を引きとり、菊火が得意顔で言った。
「ぜーんぶ忘れたってさ。来た元も行き先もわかんないって言うから、つれてきてやったよ。とあえず名前つけてあげたら?」
翌朝になって事情を知らされた藍は、
「妙なものを拾ってきたな。さすが獣」
と変な感心をあらわし菊花を見つめた。気楽なテンの姿に戻った彼女は、
「ちょっとまわりが気になってね、偵察に出たらこいつがうろうろしてるわけ。悪いやつじゃなさそうだし、中に入れてもまあ平気かなって」
と長い尻尾で放浪者を叩く。
「底意のなさには同意するが……」
深い青の流し目が髷青年をとらえる。怯えた様子でちぢこまった相手に、藍はさしたる言葉もかけなかった。すかさずテンが伸びあがる。
「あー気にしないで、こいつ見かけ倒しのぽんこつ鬼だから」
「なに? 私のどこが壊れかけの役立たずだというのだ」
「だいたいぜんぶ」
「なんと」
絶句した平安妖怪が仏頂面で文机に向きなおる。
「いえ、あの、まあまあ。お二人とも、穏便にいきやしょうよ」
髷青年は、そっぽを向く藍と畳に転がって笑う菊火をおろおろと見た。すぐさま慣れ親しむとはいかなくても、人(のようなもの)が増えた座敷はにぎわい明るんで見えた。
唯一生身の人間である虎太郎は、
「どう見ても江戸の町人だよな。時代劇のよくある名前一覧……」
と難しい顔でスマホをつつく。書の術で名を与えようとしたが、肝心の名前を一文字も思いつけなかったのだ。
菊火が彼の方へ鼻先をあげる。
「ねえ、半助ってどう? 半分透けてるから」
「適当すぎる。人の名づけなんだぞ」
ふたりのやりとりを前にして、江戸霊が肩をすぼめた。
「根を詰めねえで下さい、旦那。手前のことで屋敷の主人をわずらわせるわけにゃいきませんや」
ここで藍が割って入る。
「おとなしく虎にまかせなさい。本質を持たずにさまよい続ければ、お前もまわりも危険にさらされるぞ」
小筆を走らせながらぴしゃりと言いわたすと、町人霊はきりっとなって背筋を伸ばした。
「へい、わかりやした兄貴!」
「兄になった覚えはない」
「ほんっと感じ悪いんだから、この墨妖怪」
すると、やいやい言いあう人外たちのとなりで、画面を見ていた虎太郎が「えっ、あれ?」とびっくり声をあげた。藍が顔を向ける。
「どうした虎や、手紙か」
「ああ、そんなところ…… ちょっと返事してくる」
急にそわそわし始めた彼を眺め、藍はうす笑いを浮かべてうなずいた。差出人の察しはつく。写真機と水ようかんを持参したあの娘、沖野春瑠だろう。
「なーに、何なのさ虎太郎。からっぽ頭を手伝ってやろうってのに」
つまらなさそうに首を伸ばした菊火に、藍が年長者の余裕をもってしみじみと告げた。
「テン妖、お前は見かけどおりのお子様なのだな」




