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青の座敷の墨つき妖怪  作者: 小津 岬
【 四 】
20/50

青竹に光陰の追い書き 1

 八月も半ばにはいり、夏はいよいよ盛りに輝く。

 祖父に頼まれたとおり、虎太郎は月若邸の庭に小さな迎え火を焚いた。陽の去った空にのぼっていく細い煙を見送りながら彼はつぶやく。

「これで帰ってきてくれるな」

「虎や、あの重箱のような家ではどこで火を焚くのだ?」

 同じく首を上に伸ばした藍が尋ねる。この妖怪はマンションという単語をどうしても覚えられずにいた。

「さあ、できないんじゃないか。うちは二つも庭があるから恵まれてるよ」

「なるほど。恵みをあてにした余所者よそものが集まるやも知れぬな」

 大真面目な推測を聞かされ、虎太郎は「不吉なこと言うなって……」と両腕をさすった。


 藍の言葉に誘われたわけではないが、妖とむかえる盆にやってきたのは思いがけない客だった。

 その日の真夜中すぎのこと。

 明かりを消した居間で、虎太郎はふとまぶたを開けた。開けはなした扉を越え、なにやら声が聞こえてくる。

 ……もしかして、家族の誰かが。

 両親の笑顔が浮かび一瞬で目が冴えた。すばやく廊下に出ると、仏壇のある小さな和室から弱い明かりがもれている。彼は心臓を鳴らして中をのぞき込んだ。


「干菓子ってさ、あたしそんな好きじゃないんだよね」

「そうですかい? 日持ちして助かるじゃありやせんか、運ぶにも楽だ」

「わかってないねーあんた、乾けばいいってもんじゃ…… あっ虎太郎、この間のつるっとしやたつ、もうないの?」

 くるりとふり向いた見知らぬ女の子に声をかけられ、彼は「はあ?」とまぬけな声を出して固まった。



「どうしたのさ、あたしが別嬪べっぴんすぎて驚いた?」

 十一、二才くらいのその子は、生意気な表情でニッと笑ってみせた。

 丸みのある輪郭りんかくだが顎はとがっていて、小づくりな目鼻の愛らしさにおてんばな風を吹かせる。思いっきり高い位置で結んだ髪は毛先が元気よくはね、黒ではなく艶のある焦げ茶色をしていた。


 虎太郎は大きな目を何度もまたたかせた。頭の中で答えがつながる。

「……テン妖の菊火!?」

「あったりーぃ、でも遅い! ニンゲンの鼻ってほんっと利かないよねえ」

 菊火は楽しげに笑い転げた。

 膝の出るほど短い着物は濃い橙色で、そこへ細い帯や羽織を重ねている。膝から下をおおうすね当てが身軽な忍者を連想させた。

「ちゃんと尾っぽは隠してきたよ、お盆だし。さて、ほかにないならこれで我慢」

と、手のひらに崩れた落雁らくがんを乗せ、虎太郎の見る前でぺろりとなめる。もちろん盆棚に供えていた物だ。

「おいお前、今度こそ泥棒じゃないか……!」

 慌てて手を伸ばした彼だが、くのいち少女の奥にもう一人いることに気づくと、動きをとめて先を見据えた。


「そちらが月若の旦那ですかい? 夜分に起こしちまいまして、まったくもってこの通り」

 歯切れのいい声がして、暗がりから伸びた両手が畳に揃えられる。そうして身を乗り出すと、ろうそくの明かりに若々しい顔が浮かびあがった。

 ただし、透けている。

「……ご先祖さま?」

 虎太郎は、かすれた黄緑の着物をまとう青年に恐るおそる尋ねる。きちんと正座した相手は、まげを結った頭を気まずそうにさすった。

「へい、とお答えしたいところなんですが……」

 困りきった彼の後を引きとり、菊火が得意顔で言った。

「ぜーんぶ忘れたってさ。来た元も行き先もわかんないって言うから、つれてきてやったよ。とあえず名前つけてあげたら?」



 翌朝になって事情を知らされた藍は、

「妙なものを拾ってきたな。さすが獣」

と変な感心をあらわし菊花を見つめた。気楽なテンの姿に戻った彼女は、

「ちょっとまわりが気になってね、偵察に出たらこいつがうろうろしてるわけ。悪いやつじゃなさそうだし、中に入れてもまあ平気かなって」

と長い尻尾で放浪者を叩く。


「底意のなさには同意するが……」

 深い青の流し目が髷青年をとらえる。怯えた様子でちぢこまった相手に、藍はさしたる言葉もかけなかった。すかさずテンが伸びあがる。

「あー気にしないで、こいつ見かけ倒しのぽんこつ鬼だから」

「なに? 私のどこが壊れかけの役立たずだというのだ」

「だいたいぜんぶ」

「なんと」

 絶句した平安妖怪が仏頂面で文机に向きなおる。

「いえ、あの、まあまあ。お二人とも、穏便にいきやしょうよ」

 髷青年は、そっぽを向く藍と畳に転がって笑う菊火をおろおろと見た。すぐさま慣れ親しむとはいかなくても、人(のようなもの)が増えた座敷はにぎわい明るんで見えた。



 唯一生身の人間である虎太郎は、

「どう見ても江戸の町人だよな。時代劇のよくある名前一覧……」

と難しい顔でスマホをつつく。書の術で名を与えようとしたが、肝心の名前を一文字も思いつけなかったのだ。

 菊火が彼の方へ鼻先をあげる。

「ねえ、半助はんすけってどう? 半分透けてるから」

「適当すぎる。人の名づけなんだぞ」

 ふたりのやりとりを前にして、江戸霊が肩をすぼめた。

「根を詰めねえで下さい、旦那。手前のことで屋敷の主人をわずらわせるわけにゃいきませんや」


 ここで藍が割って入る。

「おとなしく虎にまかせなさい。本質を持たずにさまよい続ければ、お前もまわりも危険にさらされるぞ」

 小筆を走らせながらぴしゃりと言いわたすと、町人霊はきりっとなって背筋を伸ばした。

「へい、わかりやした兄貴!」

「兄になった覚えはない」

「ほんっと感じ悪いんだから、この墨妖怪」

 すると、やいやい言いあう人外たちのとなりで、画面を見ていた虎太郎が「えっ、あれ?」とびっくり声をあげた。藍が顔を向ける。

「どうした虎や、手紙か」

「ああ、そんなところ…… ちょっと返事してくる」


 急にそわそわし始めた彼を眺め、藍はうす笑いを浮かべてうなずいた。差出人の察しはつく。写真機と水ようかんを持参したあの娘、沖野春瑠だろう。

「なーに、何なのさ虎太郎。からっぽ頭を手伝ってやろうってのに」

 つまらなさそうに首を伸ばした菊火に、藍が年長者の余裕をもってしみじみと告げた。

「テン妖、お前は見かけどおりのお子様なのだな」

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