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青の座敷の墨つき妖怪  作者: 小津 岬
【 三 】
17/50

風音と水刃 4

 始まりはゆるやかなものだった。

 ごぼごぼとたくさんの渦が生まれ、闇の濃くなった中心からなにかが立ちあがる。ふたりが見守る前で、やがて数十人ものよろい武者が姿を現した。

「亡霊……?」

 虎太郎が張りつめた面持ちでささやき、一歩前に出た藍がうなずく。

 いにしえの戦士たちは影と水で形づくられていた。

 呼吸に合わせるようにして、実体のない身体の中を水の行きかう音が響く。軽く、あるいは重たく。かぶとの下の顔は一様に暗く、歯をむいた口もとだけがかろうじて見分けられた。

 彼らが “おん……” といううなり声を発した瞬間、夜の暑さが潮のように引いた。


「虎、ふさわしき字を与えよ!」

 藍が墨の流れに解け、虎太郎に筆をとらせる。

 それが合図になり、対面の武者たちが一斉に身を沈め刀をかまえた。向かってくる。先頭の一人が、ばしゃっと飛沫を散らして河原に乗りあげた。

「待てよ、お前たちを助けたいんだ!」

 慌てて叫ぶ虎太郎を、「言葉は通らぬ。筆で伝えるのだ」と藍の風が押し下げる。

 相手はばらばらと草むらまで迫ってくる。虎太郎が後退するのをとめようとして、いくつもの水の刀が空を斬った。

 彼は、涼やかな影に守られながら黒い顔のひとつひとつを見据える。意識が針の先のように集まった時、街灯の明かりがはね返り、兜の中をちかっと照らした。


 すすけた骸骨のような顔。眼は瞳を持たず、どこまでも暗い二つの穴でしかなかったが、虎太郎はその奥の強い意志を感じとった。

 誰かを探している。

 敵ではない。それではつかえるべき主君か、いやそれも違う。

 虎太郎は武者たちをぐるりと見回した。風にはばまれながらも足を進める彼らは、みな簡素な鎧を身につけているようだ。

 ここでハッとひらめいた。


「指揮官は。大将はどこだ!?」


 虎太郎が筆を宙に置いた。彼らに必要なのは、取りまとめ導く者。それを表す字を……

 しかし、筆先の青い影はすっと引いたそばから消えてしまう。集まってきた武者が、刀をつき出して藍の風を押し切ろうとする。

「だめだっ」

と、いったん身を返し河原を駆けた。墨の影が彼をかばってつづく。

「意味はつかめるのに。何が足りない!」

「あやつらの心が、救いを求めることを忘れ…… 待て!」

 藍が急に形を現し、虎太郎をぐっと引きとめた。


 川下の流れに一つの渦が生まれ、そこに遅れた武者が立ちあがる。静かにかまえた刀から水がしたたり、ゆっくりと顔が向けられる。

 姿形はこれまでの相手とほぼ同じ。しかし、まとう気迫が明らかに違っていた。



 空洞の口が開き、声のない咆哮をあげる。同時に、彼は虎太郎へと狙いをさだめ走り出した。

「く、来る!」

 彼は下がろうとしたが、後方にも追っ手が迫っている。河原にも川面にもうごめく影の群れをとらえた時だった。


天佑てんゆう、なるか」


 涼やかを通りこした冷たい声が河原に落ちた。

 藍の声だ、と気づくまでのあいだに黒雲が切れ、黄色の大月がまばゆい姿を現す。

 虎太郎は、月をあおいだ妖の瞳が急激に色を変えるのを見た。闇に似た青が光を得たように明るく、薄く……

 わずかに開いた唇には牙がのぞき、白い額の真ん中が裂けて不思議な影がさす。陶器のようになめらかな角は、さらに黒髪を割って二本が伸び、見知ったはずの妖は異相へと変貌をとげた。


「藍……?」

 呆然となった虎太郎が呼ぶと、返事にかわり薄青の眼がぎらりと輝いた。なにを目にしても己をたもて、という声がよみがえる。あれはこのための言葉だったのだ。

 藍は片手を前に伸べ、ぐっと力を込めて五指を握った。あたりに矢のような風が吹き降り、虎太郎は思わずかがみ込む。

 風におどる黒髪、墨に染まった狩衣。その向こうで、武者をつらぬいた一陣が水の身体を削っていくのが見えた。ばしゃっと飛沫があがって虎太郎は目を覚ます。慌てて立ちあがり、風を受ける藍の袖をとめた。

「待ってくれ藍、倒すんじゃない……!」

 だが薄い瞳に気圧されて声が詰まる。言葉を持たない激しさがそこにあった。



 川下の武者は短い空白を逃さなかった。風の切れ目をぬって水が走り、人と妖を二手にはじき飛ばす。

「うわっ!?」

 すぐそこでざあっと駆けあがる水音。虎太郎はとっさに手で顔をかばう。斬り払われたのは虎眼石をつなぐ糸、数珠玉が四方に散ってゆく。

 守護を失った虎太郎の世界が、ぐらりとかたむいた。

 まわりに満ちるあらゆる気が、鮮やかな色をともなって渦巻き出す。河原の景色が遠くなり、ここがどこであるのか、なにをしているのか、彼は心の居場所を見失った。


 影と水の武者たちをなぎ払った藍が、異変をとらえて鋭くふり向いた。

「虎!」

 叫んだ拍子に、身の内で飛び回っていた自我がようやく治まる。爪のとがった手を伸ばすが、崩れ落ちていく虎太郎の前で武者が腕をふりあげた。


 それをとどめるように、彼らのあいだに巨大な菊が開いた。

「お前は……」

 藍が思わず声を漏らす。

 燃える火の花は白い獣の顔に変わり、長い身体をともなって相手に襲いかかった。


 くるっと見事な宙返りひとつ、燃える尾っぽで敵を払った菊火は、倒れた虎太郎の上に大きく伸びあがって声を張った。

甲冑者かっちゅうもんは血なまぐさいったらないね。ひとつ明るくしてやろっ」

 小菊花炎の術、と唱え終える前に火の束がワッと咲く。水の軍勢のかしらが “退け” というように片腕を下げた。

「おっそい遅い、逃げ足くらべなら具足を捨てなぁ!」

 真っ白い炎をまとうテン妖は、集まり出した兵の中へとまっすぐつっこんでいく。


「……だめ、だ。菊火」

 草むらにかがみ込んでいた虎太郎がうめく。痛む頭を押さえて必死に顔をあげた。

 菊火のふり切れた威勢のよさ、あれははったりの強がりに違いない。今度は彼女が危なくなる。

 かまえられたたくさんの刀がカチカチッと鳴る。形勢を立てなおした藍が、組んだ指から風を解きはなち武者を押し下げていく。

「先走るな、テン妖!」

と、斬られかけた菊火をすんでのところで引き戻したが、それが隙になった。

 二匹の妖怪を取り巻いた武者たちがみずからの形を解き、ひとつになる。大きな暗い水の輪と化した彼らは、轟音をあげて襲いかかった。

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