風音と水刃 2
「お疲れさまでーす!」
という元気なあいさつで虎太郎はわれに返った。
「えっ?」と慌てて見回したすぐそばを、楽器を持った中学生たちが通り抜けていく。
「きゃー母校のブラバン、懐かしい。がんばって後輩ちゃん!」
会長が三味線をぎゅっと抱けば、琴をかかえた阿ヶ瀬が笑いをこらえて虎太郎の肩を叩く。
「月若くん、終わったよ。しっかりして」
「あっ、ああ。そうか」
すっかり暗くなった境内は、ライトや提灯で華やかに照らされていた。たったいま降りてきた舞台を、夢でも見たような気分でふり返る。
「さっきまでキリッてしてたのになあ、別人みたいだ」
にこにこと胡弓をかかげる白城は、「虎くんアガちゃん、なに食べたい?」と早くも屋台へ気を向けた。
「じゃあ先に荷物置いて……」
虎太郎が阿ヶ瀬を見下ろした時、彼女は「ハルちゃん、こっち!」と片手をあげた。
沖野さん。
背筋を伸ばしてふり返ると、ライトの光をぬって春瑠が歩いてくるところだった。二人に向けておどけたようにカメラをかまえてみせる。ファインダーの横にパッと笑顔がのぞいた。
「お疲れさま、演奏素敵だったよ。たくさん撮らせてもらった」
「見えた見えた、撮ってるなーって。リアルよりきれいに写してくれた?」
「もちろんばっちり!」
「そこは実物どおりって言ってよー」
友人と盛りあがる春瑠は祭りの空気のせいか幼く感じられ、虎太郎の顔は自然とほころぶ。同時に、沖野さんの浴衣姿見たかったな、と残念にも思った。
すると、うしろから遠慮のない声がかかった。
「よお月若、すっかり法師じゃん!」
焼きトウモロコシをかじりながらやってくるのは、同期の三橋。虎太郎は、自分と同好会をつないだブローカー役を「俺は何にも帰依してないぞ」と苦笑いで迎えた。
「まあほら、サマになってるからさ。お前を紹介して正解だったな、曲はよくわかんなかったけど」
三橋は調子よく笑ったが、聞きつけた阿ヶ瀬が首をつっこむ。
「わかんないってそれ何耳? 最近の曲だよ、がんばってアレンジしたんだからー」
「素人に無茶いうなよ。っていうか阿ヶ瀬、浴衣すげーな。すっげー座敷わらし感」
「それ禁句なんだけどー!? もう許さない、なんか買ってくれるまで許さない!」
と二人の応酬がはじまり、取り残された虎太郎は春瑠と顔を合わせた。
「……沖野さん、なにか食べた?」
「まだなの、撮ってばっかりで忘れちゃって」
笑顔で見上げてきた彼女は、「一緒に行く?」と尋ねてきた。明るい色の目がライトをはね返し、無邪気に輝く。
「そうだね」
と笑った虎太郎も、少し子供に戻ったような口ぶりをしていた。
「あれっ、おーい、みんなまとめて僕のおごりで……」
歩き出した二人へ呼びかける白城を、会長の手がびしりととめた。
「やめな、シロ」
「ええっ、せっかく可愛い一回生を餌付けしようと……」
「やめな」
修羅の形相で襟首をつかまれた白城は、弦にあてた弓を引いて切ない音を出した。
同じ夜の、ずっと先のこと。
それを目にした者は一人もなかった。
ひとときの祭りが過ぎ去り、人も明かりも消えた町。闇に沈んだ川辺でさらさらと草が鳴っている。
しかし突然、ぼごり、とくぐもった音があがる。
よどみなく流れていた水がかき回されるように乱れ、自然に反した渦を巻きはじめる。渦は一つではなかった。ぼごっ、ぼごりと川がうめく。
やがて、人の耳には届かない声が生まれた。
“鳴ったか”
“おう、確かに”
“鳴った。御大将……!”
その言葉が引き金となり、にごった水面を割って刃の切っ先が現れた。空の星のように数多に。
翌日、見舞いに訪れた虎太郎がエレベーターを降りると、通りがかった看護師が「あっ、月若さんの……」と呼びとめた。
「お祖父ちゃん、さっき戻ってきたところよ。リハビリがんばってるからいたわってあげて」
と笑う。
大荷物を抱えて病室に入れば、祖父がノートになにか書きつけながら彼を迎えた。尋ねられる前に、
「経過の記録だ。祭りはどうだった」
と聞き返してくる。昨晩を思い出した虎太郎は、ゆるみかけた頬を慌てて引き締めた。
「なんとかなった。それで、笛、手伝いじゃなくてちゃんと続けようと思うんだけど……」
「わしに聞いてどうする。もう決めてあるんだろう」
祖父は落ちつき払って「やるなら最後までやり抜きなさい」と手もとに視線を戻した。虎太郎もまじまじと祖父の字を眺めた。ただの鉛筆がきなのに、ひとつひとつに流れるような力強さがある。
どうして字の下手な俺ばかり変な勘があるんだろう、と彼はあらためて首をひねる。
書に力が宿るなら、俺よりも祖父さんを選べばてっとり早かったじゃないか。藍も無駄な苦労をしないで済んだのに……
「虎太郎、どうかしたか」
「いや、なんでもない。そうだ、これ祖父ちゃんに」
と荷物を探る。
和紙の用箋と何本かの筆ペンを差し出された祖父は、いかめしい顔に苦い表情を浮かべたが、孫は遠慮なく机に置いた。あの妖怪とやりとりを重ねるうちに押しの強さがうつったようだ。
「病院で毛筆やるわけにいかないだろ。気分だけでもさ」
「墨を磨らねば始まらん……」
祖父は藍が泣いて喜びそうな愚痴を漏らしたが、ペンをつき返すことはしなかった。ただし口はへの字に曲がり、最後まで礼も言わなかった。
「ちょっと弱ったと思えばあの調子だぞ、本当にいたわりがいのない祖父さんだ!」
家に戻った虎太郎が不満の声をあげると、文机につく藍が「そんなに怒ってやるな。孫に甘えているのだろうよ」としたり顔をする。
「お前としてはどうだ、筆ペン」
虎太郎は納得いかない様子で机をのぞき込む。 “藍澄” という雅号が書体を変えいくつも連なっていた。
興味深げに試し書きしていた妖は、
「私には使いづらいが。今代の筆記具に近いなら、お前の手習いにこそちょうどよいのではないか?」
と思わぬ水を向けてきた。しまった、と虎太郎の目が丸く開く。
「いや、俺はそんな」
「このところ笛ばかり吹いて稽古をおこたっていただろう。祭りを終えたなら次は書だ、さあこれを手本に一筆……」
妖怪がじりじりと迫り、彼が冷や汗を垂らしたその時。廊下に投げ出していたカバンでスマホが鳴った。
「あっ電話、ちょっとごめん!」
これ幸いと座敷を抜け出した虎太郎は、「それは手紙の音だろう、私は覚えたぞ虎!」とやかましい声を背に端末をとった。
同好会のグループメッセージ、発信者は会長だ。何気なくつづきを開いた彼は、
「……なんだって?」
と一気に表情を険しくした。
急いで打ったらしい文章はこんなふうに始まっていた。
“次の練習ちょい延期 うちの学校呪われたかもよ!?”




