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青の座敷の墨つき妖怪  作者: 小津 岬
【 三 】
15/50

風音と水刃 2

「お疲れさまでーす!」

という元気なあいさつで虎太郎はわれに返った。

「えっ?」と慌てて見回したすぐそばを、楽器を持った中学生たちが通り抜けていく。

「きゃー母校のブラバン、懐かしい。がんばって後輩ちゃん!」

 会長が三味線をぎゅっと抱けば、琴をかかえた阿ヶ瀬が笑いをこらえて虎太郎の肩を叩く。

「月若くん、終わったよ。しっかりして」

「あっ、ああ。そうか」


 すっかり暗くなった境内は、ライトや提灯ちょうちんで華やかに照らされていた。たったいま降りてきた舞台を、夢でも見たような気分でふり返る。

「さっきまでキリッてしてたのになあ、別人みたいだ」

 にこにこと胡弓をかかげる白城は、「虎くんアガちゃん、なに食べたい?」と早くも屋台へ気を向けた。

「じゃあ先に荷物置いて……」

 虎太郎が阿ヶ瀬を見下ろした時、彼女は「ハルちゃん、こっち!」と片手をあげた。


 沖野さん。

 背筋を伸ばしてふり返ると、ライトの光をぬって春瑠が歩いてくるところだった。二人に向けておどけたようにカメラをかまえてみせる。ファインダーの横にパッと笑顔がのぞいた。

「お疲れさま、演奏素敵だったよ。たくさん撮らせてもらった」

「見えた見えた、撮ってるなーって。リアルよりきれいに写してくれた?」

「もちろんばっちり!」

「そこは実物どおりって言ってよー」

 友人と盛りあがる春瑠は祭りの空気のせいか幼く感じられ、虎太郎の顔は自然とほころぶ。同時に、沖野さんの浴衣姿見たかったな、と残念にも思った。



 すると、うしろから遠慮のない声がかかった。

「よお月若、すっかり法師ほうしじゃん!」

 焼きトウモロコシをかじりながらやってくるのは、同期の三橋。虎太郎は、自分と同好会をつないだブローカー役を「俺は何にも帰依してないぞ」と苦笑いで迎えた。

「まあほら、サマになってるからさ。お前を紹介して正解だったな、曲はよくわかんなかったけど」

 三橋は調子よく笑ったが、聞きつけた阿ヶ瀬が首をつっこむ。

「わかんないってそれ何耳? 最近の曲だよ、がんばってアレンジしたんだからー」

「素人に無茶いうなよ。っていうか阿ヶ瀬、浴衣すげーな。すっげー座敷わらし感」

「それ禁句なんだけどー!? もう許さない、なんか買ってくれるまで許さない!」

と二人の応酬がはじまり、取り残された虎太郎は春瑠と顔を合わせた。


「……沖野さん、なにか食べた?」

「まだなの、撮ってばっかりで忘れちゃって」

 笑顔で見上げてきた彼女は、「一緒に行く?」と尋ねてきた。明るい色の目がライトをはね返し、無邪気に輝く。

「そうだね」

と笑った虎太郎も、少し子供に戻ったような口ぶりをしていた。


「あれっ、おーい、みんなまとめて僕のおごりで……」

 歩き出した二人へ呼びかける白城を、会長の手がびしりととめた。

「やめな、シロ」

「ええっ、せっかく可愛い一回生を餌付えづけしようと……」

「やめな」

 修羅の形相で襟首をつかまれた白城は、弦にあてた弓を引いて切ない音を出した。



 同じ夜の、ずっと先のこと。

 それを目にした者は一人もなかった。

 ひとときの祭りが過ぎ去り、人も明かりも消えた町。闇に沈んだ川辺でさらさらと草が鳴っている。

 しかし突然、ぼごり、とくぐもった音があがる。

 よどみなく流れていた水がかき回されるように乱れ、自然に反した渦を巻きはじめる。渦は一つではなかった。ぼごっ、ぼごりと川がうめく。

 やがて、人の耳には届かない声が生まれた。


 “鳴ったか”

 “おう、確かに”

 “鳴った。御大将……!”


 その言葉が引き金となり、にごった水面を割って刃の切っ先が現れた。空の星のように数多あまたに。




 翌日、見舞いに訪れた虎太郎がエレベーターを降りると、通りがかった看護師が「あっ、月若さんの……」と呼びとめた。

「お祖父ちゃん、さっき戻ってきたところよ。リハビリがんばってるからいたわってあげて」

と笑う。

 大荷物を抱えて病室に入れば、祖父がノートになにか書きつけながら彼を迎えた。尋ねられる前に、

「経過の記録だ。祭りはどうだった」

と聞き返してくる。昨晩を思い出した虎太郎は、ゆるみかけた頬を慌てて引き締めた。

「なんとかなった。それで、笛、手伝いじゃなくてちゃんと続けようと思うんだけど……」

「わしに聞いてどうする。もう決めてあるんだろう」

 祖父は落ちつき払って「やるなら最後までやり抜きなさい」と手もとに視線を戻した。虎太郎もまじまじと祖父の字を眺めた。ただの鉛筆がきなのに、ひとつひとつに流れるような力強さがある。


 どうして字の下手な俺ばかり変な勘があるんだろう、と彼はあらためて首をひねる。

 書に力が宿るなら、俺よりも祖父さんを選べばてっとり早かったじゃないか。藍も無駄な苦労をしないで済んだのに……

「虎太郎、どうかしたか」

「いや、なんでもない。そうだ、これ祖父ちゃんに」

と荷物を探る。

 和紙の用箋ようせんと何本かの筆ペンを差し出された祖父は、いかめしい顔に苦い表情を浮かべたが、孫は遠慮なく机に置いた。あの妖怪とやりとりを重ねるうちに押しの強さがうつったようだ。

「病院で毛筆やるわけにいかないだろ。気分だけでもさ」

「墨をらねば始まらん……」

 祖父は藍が泣いて喜びそうな愚痴を漏らしたが、ペンをつき返すことはしなかった。ただし口はへの字に曲がり、最後まで礼も言わなかった。



「ちょっと弱ったと思えばあの調子だぞ、本当にいたわりがいのない祖父さんだ!」

 家に戻った虎太郎が不満の声をあげると、文机につく藍が「そんなに怒ってやるな。孫に甘えているのだろうよ」としたり顔をする。

「お前としてはどうだ、筆ペン」

 虎太郎は納得いかない様子で机をのぞき込む。 “藍澄あいずみ” という雅号が書体を変えいくつも連なっていた。

 興味深げに試し書きしていた妖は、

「私には使いづらいが。今代の筆記具に近いなら、お前の手習いにこそちょうどよいのではないか?」

と思わぬ水を向けてきた。しまった、と虎太郎の目が丸く開く。


「いや、俺はそんな」

「このところ笛ばかり吹いて稽古をおこたっていただろう。祭りを終えたなら次は書だ、さあこれを手本に一筆……」

 妖怪がじりじりと迫り、彼が冷や汗を垂らしたその時。廊下に投げ出していたカバンでスマホが鳴った。

「あっ電話、ちょっとごめん!」

 これ幸いと座敷を抜け出した虎太郎は、「それは手紙の音だろう、私は覚えたぞ虎!」とやかましい声を背に端末をとった。

 同好会のグループメッセージ、発信者は会長だ。何気なくつづきを開いた彼は、

「……なんだって?」

と一気に表情を険しくした。

 急いで打ったらしい文章はこんなふうに始まっていた。


 “次の練習ちょい延期 うちの学校呪われたかもよ!?”


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