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青の座敷の墨つき妖怪  作者: 小津 岬
【 二 】
13/50

菊火てんてん 6

 騒動の翌日。

 午前に一走り雨があったものの、昼にはカラリと晴れあがった。月若邸の客人は、雫の光る道を歩いてやってきた。

「きた!」

 呼び鈴が鳴り、虎太郎があたふたと玄関へ向かう。藍はうす笑いを浮かべてそれを見送り、さんざん言われたとおり座敷に引っ込んだ。今日は浮くのも透けるのも禁止だ。

 虎太郎が扉を開けると、門の先から沖野春瑠(はる)が頭を下げた。

「こんにちは! おじゃまします、月若くん」

とあがった表情はすでに輝いていて、虎太郎は誘われたように笑顔になった。


「ようこそ、迷わなかった? 大通りから入り組んでただろ」

 少し照れながら門を開け、彼女を迎え入れる。優しい色合いの幾何学模様のブラウスに丈の短いパンツを合わせ、足もとは上品なフラットシューズ。どこか懐かしい雰囲気は、目や髪の色の薄さだけでなく服装からもきているのかもしれない、と虎太郎は気がついた。

「大丈夫、番地でたどれたよ。本当に素敵なお家だね……!」

 ほうっと息をつく春瑠は、もう屋敷しか目に入っていないようだ。



 そうだ、俺に会いにきたわけじゃない。

 様子を察した虎太郎は、もてなしも早々に案内をはじめることにした。彼女はいそいそとカメラを取り出して彼につづく。

「初心者用、入門機なの」と小声で説明したが、がっしりした造りもそれをかまえる横顔も、虎太郎にとっては本格的に思えた。

 やがて表庭に出た春瑠は、

「わあ、竹垣に池! 横の木はカエデ?」

と声をあげた。


 あんまり嬉しそうだったので、虎太郎は「小学生の時、その池から顔が半分のぞいてるの見たよ!」とか「中学生の時、楓からなにかがぶら下がってるのも見たよ! 撮らない方がいいよ!」という言葉を引っ込めた。

 どうか変なものが写りませんように。ひそかに数珠を握りながら裏庭にまわって、春瑠が「松がきれい」とカメラをかまえた時だった。

 青の間の雨戸が何気なく開いた。

 二人が一緒に顔を向けた先に、藍がとり澄まして立っていた。


 こいつ、何を。

 虎太郎は引きつった顔で春瑠と藍を交互に見た。どちらも視線を合わせたきりとどまって、彼だけが慌てている。

「沖野さん、あれはその、なんていうか……」

 虎太郎が声をかけると、春瑠はハッとして尋ねた。

「月若くんの、お兄さん?」

「えっ」


 すかさず、藍が縁側から深々と頭を下げた。

「月若藍之介(あいのすけ)と申す遠戚のものです。いつも虎がお世話になっております」

「あっ、沖野です! お休みのところにすみません」

 なんだよ藍之介って。これからどうするんだよ顔出して。


 虎太郎はやきもきしたが、春瑠が「お兄さんの部屋だったんだね、書院造」と邪気のない顔で見上げてきたので、しかたなくうなずいた。

「私ははずしますので、こちらの座敷もどうぞ」

と微笑む藍は、よく見れば紺の着流しをまとい、長い髪をひとつにまとめている。

 洋室に合わないと言ったのを気にして現代に近づけたのだろうか、ともかく平安全開でなくてよかった。いややっぱりよくない。


 和装の背中が廊下に消えると、となりの春瑠が「優雅なお兄さん。いいなあ」と小さく言った。虎太郎の視線に気づき、焦って手をふる。

「あの、変な意味じゃないよ。私ひとりっ子で、いとこもいないから羨ましくって……」

 心なしか色白の頬が赤くなっているようだったが、虎太郎は光の加減のせいにして笑顔を作った。

「まあ、外面そとづらのいい兄貴でさ。もう消えたから好きなだけ撮ってよ!」



 夕方からバイトが入っているという春瑠は、名残惜しそうに腰をあげた。

「ごめんね、ばたばたして。今日は本当にありがとう、すごく楽しかった」

「俺も。うちでよければ、いつでもきてよ」

 虎太郎は自分でも驚くほど素直に口に出した。門を越えた春瑠はあらためて頭を下げ、「写真、今度渡すね」と笑顔で手をふった。

 彼女は、夕焼けまでの間延びした空気の中を軽やかな足どりで帰っていった。駅まで送っていきたい気がしたが、知り合ったばかりで図々しいぞと自分をいましめて屋敷に戻る。


 するとさっそく藍が出た。

「虎や、あの娘はいい趣味をしているな」

 着流し姿で居間のテーブルにつき、視線は手土産の水ようかんにそそがれている。虎太郎は半目になって妖を見た。

「祖父さんの見舞いにくれたんだ、お前の分じゃないぞ」

「ご老人は五つも六つも食べなかろう。それに月若家の端くれを演じたのだから、私にだって権利はある」

「どこの誰だよ藍之介って、勝手に一族を増やすな!」

「枯れ木のような屋敷がにぎわっただろう? 後の話もはずんでいたではないか」

と顎に手を当て、からかいの笑みを浮かべる。言い返そうとした虎太郎だが、ふと声を飲み込んだ。

 確かに、今日はずいぶんよく喋ったようだ。いつもなら触れたくないことまで。



 帰りぎわ、春瑠の目が戸棚に飾られた写真にとまったのに気づき、彼は小さく微笑んだ。

「あれ、軽井沢。親と一緒の最後の夏休み」

 七歳の虎太郎は、コテージを背景にして両親にはさまれている。三人ともふざけてくっつきあっていて、笑っていた。

 春瑠は「楽しかった?」と静かに尋ねる。

「うん」

 虎太郎が答えると、彼女は明るい目を少しだけ細め、言葉の外で思いやりを示す。それから自然な調子で話しはじめた。

「軽井沢、行ってみたいな。私の家、旅行のかわりに引越しばっかりだったの」

「転勤族ってやつ?」

「そう。やっと落ちついたと思ったら、大学も就職も地元にしなさいって言われて…… でも、出てきちゃった。色々やってみたくて」

と、いたずらがばれたような顔で明かす。


「自分で選んだんだな。それってすごいよ」

 虎太郎は心からそう言った。彼も高校で家を離れたが、それはこの家から逃げたいという気持ちが先立っただけだ。

 春瑠は恥ずかしそうに首をかしげる。

「半分くらいはわがままだなって、自分でも思うの。けどこっちにきてよかった、月若くんとも知り合えたし!」

 笑顔を見せられてドキッとしたが、あちらとしては特に深い意味はないらしい。 “素敵なお屋敷に住む月若くん” でしかないのか、と虎太郎は身のほどを知る。


 まあいい、次は祭りで会えるんだ。

 台所で湯を沸かしながら、居間へふり返る。

「藍、しっかり消えてくれただろうな? あれだけ喜んでたのに心霊写真、なんてシャレにならないぞ」

 両手を膝に置いて玉露待ちする妖は、今さらなにをくかという顔をした。

「まさか。断りもなく写り込むのは目立ちたがりの寂しん坊だけだ」

「……それお前じゃないか」

「なんと」

 藍は眉をひそめて身を引いたが、茶菓子の出ないうちは消えるわけにもいかない。じりじりした焦燥が伝わってきて、背を向けた虎太郎は思わず吹き出した。



 一日の終わり、明日の手前。

 そっと表庭に下りた虎太郎は、あたりを見回してから小声で呼びかけた。

「おおい、テン妖。菊火」

 まだ屋敷のまわりにいるのはわかっている。昨夜遅く、掃除を終えて寝床に入った彼は、床下に響く小さなすすり泣きを耳にしていた。

 片手に乗せた小皿を闇にかかげてみる。

「水ようかん。テンは甘いもの食わないのか?」


 少しして、縁側の下で気配が動き出した。はしに腰を下ろし、皿を置く。屋敷は居間を残して明かりを落としていて、わずかな反射光だけがまわりを照らす。彼が黙って待っていると、膝の横からひょいと獣の顔がのぞいた。

「よう」

 虎太郎が笑いかけると、菊火は黒い顔に並ぶつぶらな目を油断なくまたたかせた。

「……なあに、あたしを懐柔かいじゅうしようっての?」

「いや、墨妖怪だけにあげたんじゃ不公平かと思って。いらないなら片づけるぞ、蟻がくる」

 いらないなんて言ってない、とつぶやいた菊火は、しきりに匂いをかいだ後でやっと口を動かしはじめた。


 途中、一度だけ顔をあげた。

「あんた、甘っちょろい馬鹿人間」

「知ってる」

 月はどこだろう、と虎太郎は夜空を見透かす。皿を空にした菊火がすばやく縁の下にもぐり、声だけを庭に残した。

「でも安心しな、一等の馬鹿じゃないよ。本当に救いようのなかったヤツら、何人か知ってる」

「その人たちがお前の筆と関わってるのか?」

「……さあね。どの道、戻らないさ」

 ぽつりと言って、気配は消えた。


 虎太郎は星もまばらな空を見上げた。

 やっぱり筆を返してやるように、もういちど藍にとりあってみてもいいかもしれない。そんなことを考えながら、彼は軽くなった皿を持って屋敷に入っていった。


(第二話 了 )

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