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青の座敷の墨つき妖怪  作者: 小津 岬
【 一 】
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月の屋敷に藍の澄むこと 1

 初夏の陽が落ちた、水色の宵のことだった。

 町はずれにひっそりとたたずむ家屋。一人の青年が門を押し開け、うす闇の迫る戸口へと視線をそそいでいる。


 月のお化け屋敷、か。


 虎太郎とらたろうは苦々しく冷めた思いで柵を閉じる。かたわらには “月若つきわか” という表札が出ていて、それが彼と祖父の名字だった。

 彼は背負ったデイパックを探って鍵を取り出す。ティーシャツにスウェット、スポーツシューズの身軽ないでたちはいかにも大学生らしい。

 短くした髪を立てるように撫でつけ、くっきりした眉とやや吊り気味の大きな目が強い印象を与える。それは、口を真一文字に結ぶ癖とあいまって、彼をとっつきにくく見せていた。


 細い木枠にガラスのはまる玄関戸へ鍵を差し入れる。

 幼いころ住んでいた時は金属の棒のような頼りない鍵だったが、高校進学と同時に家を離れてから取り替えられていた。近代的な平べったい感触は、瓦屋根と白壁、それから古い木材でなりたつ月若邸とは反りが合わない気がする。

 からら、と寂しい音を立てて戸を閉める。虎太郎の目は、まっすぐ伸びる廊下のつきあたり左手へ、自然と吸い寄せられた。



「青の間は、置いておけ」

と、祖父は彼に言っていた。

 かつぎ込まれた手術室から病室へうつり、枕元に孫の顔を見つけてから、一番はじめに告げた言葉がそれだった。

 虎太郎は、動揺を押し隠そうとして不機嫌な口調になった。

「わかってる。ほうっとくしかないだろ、開かないんだから」

 口をとがらせると、祖父はあおむけの四角い顔を小さくうなずかせた。


 四月の入学式で会った時は、大柄な身体に羽織袴というおなじみの正装をしていて、しゃきっと伸ばした背筋に桜がたくさん降りかかっていたのを覚えている。しかし、白い枕とシーツにはさまれた今、彼はとても齢をとったように見えた。

 いかめしい顔立ちは変わらないが、いつもの気迫…… 筆を手にしている時のような力は抜け落ちている。すりむいた頬に大きなガーゼがあてられていた。


 数日前の、朝早く。祖父は屋敷の裏庭で立ちくらみを起こし、倒れた拍子に足の骨を折ってしまったのだった。

「脚の方は心配ないよ、時間はかかるが歩けるようになるからね。気になるのは、お祖父さんが “急に意識が遠くなった” と言っていたことだ」

 講義を投げ出して飛んできた虎太郎へ、医師はていねいに説明した。

「取り急ぎの検査では、心臓も脳も異常はなかったんだが。お祖父さんの体調について、気になっていたことはないかな。息苦しそうだったとか、顔色が優れなかったとか」


「いえ…… 俺、高校の時から県外で。たまにしか会ってなかったんです」

 虎太郎が後ろめたい思いとともに首をふる。眼鏡を押しあげた医師は、わかったというようにうなずいた。

「リハビリも含めて入院は長くなるよ。ええっと、ほかに連絡できるご親族は……?」

「大丈夫です。仕度とか、俺がやります」

 虎太郎は意固地ともいえるきっぱりした返事をした。

 “ご両親は?” から始まるおきまりのやり取りと、それにくっついてくる優しい哀れみ、なぐさめを頂戴することにはうんざりしていた。

 事故の当時ならともかく、もう俺は子供じゃない。


 渡された書類をまとめていると、祖父が「虎太郎」と重たげに口を開いた。

「今後なにがあるともかぎらん。月若の家はいずれお前に託されると、よく心得ておきなさい」

 まっすぐ見つめられ、虎太郎は「そんなのいま言わなくても……」としかめた顔を窓辺に向けた。

「わかっておるな」

「はいはい」

「はいと言うたな」

「うん……?」


 風向きが変わった。

 嫌な予感とともに祖父を見つめ返すと、四角い顔の中の大きな目に、傍若無人な厳しさがさっそく戻っていた。

「庭の手入れが半端で気がかりだ。続きはまかせたぞ、当主代理」



 祖父さんはぶっ倒れても祖父さんだ、と虎太郎は思う。

「あの世に行ってもあの調子だな」

 憎まれ口の独りごとを漏らし、屋敷中の窓を開けて回る。夏の宵は長く明るく、まだ電灯をつける気にはならなかった。

 隣県にある大学は夏季休暇の手前で、課題もレポートも追い込みの時期。明日もいくつかの試験をひかえているが、祖父は庭の手入れを先延ばしにすることを「みっともない」と嫌った。何とか時間を作ってやってきたものの、下宿に帰れるのは深夜になるだろう。

「一回生からしくじるのは避けたいよな」という同期の言葉が浮かび、彼は作業の前からぐったりして首を垂れた。


 祖父からの助言は「ヤブ蚊に気をつけろ、線香を大いに焚け、ただし無駄づかいはするな、お前は昔から後先を考えない悪い癖がある」という小言まじりのもので、

数珠じゅずを忘れるな」

と呪文のようにつけ足された。


 忘れるもんか、と虎太郎は反抗心をもって手首に目をやる。

 ぐるりと巻かれているのは、つややかな焦げ茶に深い黄色が層を描く、勇ましい丸石のつらなりだ。彼の名に合わせた虎眼石とらめいしは、いつでも右の手に収まっていた。

 ひとたびはずせば虎太郎の世界は崩れる。いないはずの誰かの声に耳を、説明のつかない影姿に視界を奪われ……

 しかし彼は、魔よけのお守りにも苦い思いを抱いていた。普通の人ならこんなもの必要ない。

 それに、普通の家にはあんな部屋もない。


 うす暗い廊下の奥にもう一度目が向かう。なんてことのない、味も素っ気もないくたびれたふすまがぴったり閉まっていて、それこそが、


 開かずの青の間だった。


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