第3魔法師団
ドゴッ、と壁にでもめり込んだかのような音が聞こえてくる。しかし、中に居る者達はいつのもあれかと思い作業を進める。
「すまない。皆、作業を止めて欲しい」
いつもならここで主任であるアーサーが入ってくる筈だ。
しかし、今日は違っていた。入って来た人物に慌てて作業を止め挨拶をする。アーサーよりも早く入って来たのはルベルト第2王子。そして、彼に付き添うようにして入って来た少女と、少し遅れてアーサーが入ってくる。
「前に話をしたように、彼女の魔封じの枷を外したい。悪いけれど、準備を始めて欲しい」
「は、はい!!!」
バタバタと散って行く人達にウィルスは目をパチパチと瞬きをして、ルベルトへと視線を向ける。
「私……どうしたらいいんでしょう」
「あ、君はここ、でえっ!!!」
「アーサーさん!?」
後ろから来たアーサーがウィルスに椅子を用意しよとして、そのまま自分が転んでしまう。慌てて彼を抱き起そうとするも、なかなか起き上がられない。力の無さに思わず泣きたくなってしまうが、ルベルトが訂正を口にする。
「気にしないで、ウィルス。アーサーはいつもこうだから」
そう言って起き上がらせ、アーサーも「アハハ、申し訳ないです」とペコペコと謝る。その流れを見ていた師団の者達は……。
「おい、女の子に起き上がらせる上司って……」
「あ、あの子、可愛い容姿ですね。あんな子に枷なんて可哀想だ」
「そうだな。早急に外すぞ」
「主任みたいにドジじゃないって知らせないとな」
散々な言われようであり、ウィルスは聞いてはいけないのでは……と表情を曇らせる。
アーサーはそのままウィルスを椅子に座らせ、改めて枷を見て観察を始めた。
「…………」
当たり前だが、とても真剣に見ておりウィルスの方も緊張が移る。そう思っていたらふわっと頭を撫でてきた。
「ご安心を。優秀な者達が多いですから、そう不安がらないで下さい」
「ありが、とう……ございます」
不安といるよりは、緊張が移っただけだがアーサーにはそう見えなかったのだろう。そのままずっとニコニコと微笑まれ、ウィルスも同じように返した。
フワフワと優しい空気が漂う中、ガシャンとその場に似合わない音が聞こえてきた。
「あ……」
「大丈夫です。少し痕になっていますが、直に消えるでしょう」
「あ、はい。ありがとう、ござい……」
ウィルスはそこではっと目を見張った。
流れるような水色の髪は短く1つに結ばれ、透き通るような肌は女性だと見間違う程の美しさ。彫刻のような整えられた顔、鼻筋は凜としている。
「カー……ラス?」
「え……」
カーラス・イクリナ。
バルム国の師団をまとめていただけでなく、ラーグナスと同じく傍に居た……厳しくも優しい師団長。弱冠15歳にしてその地位におり、幼い頃から厳しい教育を受けてきた。
氷のカーラス。冷たい雰囲気と実力を持っていた。しかし、ウィルスには途端に甘い顔をした。だから、彼女はずっと知らない。
普段の時と姫を前にした時の、彼の印象を。
「私、は……カーラスと、言うのですか?」
「え」
ウィルスは驚きのあまり、聞かれた内容を瞬時には理解出来なかった。しかし、相手は……カーラスは、本当に分からないといった表情をした。
少しの間のあとで、彼はペコリとお辞儀をした。
「私はアッシュと言います。……5年ほど前からディーデッド国にお世話になっています」
「っ……」
「貴方の言うカーラスが、私だとしても……記憶を無くしている身。思い出す事が出来ず……申し訳、ありません」
聞かされた内容に更に衝撃を受けながらも、ウィルスは彼にそっと手を伸ばす。記憶をなくしても、彼女は彼に言うべき言葉があった。
「ごめん、なさい、無理に思い出さなくて大丈夫です。……良かった。生き残ってくれて」
不安がらせないように、とウィルスは笑顔を作った。
偽りでも、虚勢でもなく。ただ純粋に彼が生きている事が嬉しくて伝えた言葉。
アッシュと自分でも仮の名を名乗っていると自覚している。本当の名を知れたからなのか、彼は酷くその名が嫌いになった。名前と自分の事を知っていると思われる少女。
しかし、同時にダメだとも思った。
彼女の言っているカーラスと、今の自分では明らかな差がある。自分は本来の名を教えてくれたカーラスであり、彼女のように親しみを込めたカーラスではない。
「ありがとう。と、言うべきなんですよね……」
「うん……。外してくれてありがとう」
ズキリ、と胸の奥が痛い感覚がする。
それをやり過ごすようにウィルスはお礼を言った。気まずい空気なのは承知しているけれど、今は……素直に心の底から喜べる。
ラーグナスに報告しようと思ったウィルスは、研究科を出るまで必死で涙を堪えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「こちらをどうぞ。少しは落ち着くと思います」
そう言ってウィルスに出したのはハーブティーだ。
通された部屋には色とりどりの花が生けられ、とても華やかな空間だとウィルスは思った。研究熱心だと聞いたので、てっきり研究資料が部屋を埋め尽くす程の足の踏み場もないような空間だと勝手に思っていた。
現にカーラスがそうだったのだ。
だから、研究熱心の人は皆そう言う物だと思っていただけに、アーサーの部屋はウィルスの想像していた事とはかなりかけ離れていた。
「ありがとうございます。アーサーさん」
「………やっぱり、知り合いが記憶を失っているって言うのは色々と辛いよね」
察したように言われ、思わず言葉に詰まる。
思わず出されたハーブティーを飲んでいるから、アーサーの質問には答えられないという風にしたが……恐らく彼はそれを見抜いている。
「彼はね………。バルム国とディーデット国の国境付近に倒れていたんだ」
「王子……」
ウィルスが落ち着く前に話し出すルベルトに、思わずアーサーは咎めるような声色で呼ぶ。しかし、ルベルトはそれを意に介さないように話し出した。
「アーサー。ウィルスの心情を心配するのもいいけど、彼女は知っておくべきだ。バルム国の生き残りで最後の王族なんだから」
「それは……」
「大丈夫、です。……ルベルト様。聞かせて下さい」
ハーブの効果なのか、少しずつでも心が落ち着いて来たウィルス。彼女はそのままルベルトから話を聞くことになった。
ディーデット国は、バルム国が魔獣により蹂躙されたと言うのを聞きすぐに捜索隊を編成しいて向かわせた。その現場にはアーサー、ルベルトも同行をしていたのだ。
バルム国のあったとされる場所は既に焼けた大地だった。夜中に雨が降っていたにも関わらず灼熱の中に居るような暑さが辺りを包んでいた。そこから数週間、小さな手がかりでも良いからと瓦礫を退かしたり、何が起きたのかさえ分かるものはないかと探し回った。
しかし、魔獣がどうやって国を蹂躙したのかを分かるような物証も、その場にある魔力でも分かる事はなかったのだと言う。
「彼を見付けたのはちょうど、国に帰る時。その国境付近で、フラフラとした足取りでいたのをアーサーが見つけたんだ」
見付けた時の彼は熱中症にも近いような症状だった事と、全身赤く色づいたような火傷を負っていた。その場での治療では出来る事が限られるとなり、すぐに近くの街のギルドから国へと帰った。
その時の事を思い出しながら、ルベルトは話を続けた。
「彼はそこから数週間、目が覚めない状態が続いて……次に目を覚ました時には自分の名前も、何で倒れていたのかも忘れていたんだ。だから、国王の……父と話し合って、保護の意味も含めてこちらで面倒を見ようとなったんだ」
「……そう、だったんですね……」
話しを終えルベルトは再びハーブティーを口にする。
そして「カーラス、と言うんだね」と今度はウィルスに向けて、確認の意味も込めて聞けば彼女はコクリと頷き「ラーグナスに確認を取っても大丈夫です」と言ってきた。
「そっか。彼もバルム国に居たんだものね」
「彼は私の世話をしていますけど、本来は騎士団の騎士ですから国の防衛に携わっていました。カーラスは魔法師団の副師団長と言う立場で、魔法に詳しいのも含めて私によく教えてくれましたよ」
「………へぇ。じゃあ、彼から魔法については学んだの?」
「いえ。私は魔力はあっても魔法は扱えないだろうと、カーラスから言われていたのでずっとそうなのだと……」
そう。と短く答え、ギルダーツと話していた疑問に合点がいった。
ウィルスの魔法の無知さは……やはりワザとなのだと言う事。少なくともカーラスは、彼女の魔力が持つ特異性を知っていたと言う事になる。
(なら、何で隠す様な真似をしたんだ……)
既にウィルスは魔獣とその繋がっている人物と出会っている。
仮面の男とも女とも思わえる不気味な人物。今は派手な動きがない分、少し不気味ともとれこの隙にウィルスには力を自覚するべきでは……と。
そんな考えをふと思ったルベルトはギルダーツが反対するなとも簡単に想像がついたのだ。
(兄は……ウィルスを戦いに出すのを嫌がっている。いや、それは恐らく……レント王子にも言える事か)
「………?」
ふと、自分に向けられる視線にウィルスは不思議そうに首を傾げればルベルトはニコリと笑ってごまかした。そのままお菓子を渡そうとして「あーんしようか」とばかりに口を開かせる。
「なっ、なななな」
「そんなに慌てないでよ。さっきはやってくれたでしょ?」
「あ、あれは……。アーサーさんもいますし」
「平気です。何も見ていないので」
「そう言いながら、目を逸らす気がないのは何故です!?」
思わずそう問い詰めると、彼は暫く考えて「さっき王子から念話で聞きました」と隠す事もせずに伝える。すぐに真っ赤にし口をパクパクと動かして数秒後――。
「何を伝えてるんですかーーー!!!!!!」」
怒ったウィルスはやり返そうとルベルトを追う。それをヒラリと躱し「妹より分かりやすいから無理だよ」とにこやかに言われて、その事に対してむっとした表情でいる。
ピタっと止まればすぐにルベルトを追うように走り回る。部屋の主であるアーサーはそれを止める事もせずに、用意したハーブティーのおかわりをしに移動するのだった。




